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77.美雪3

2014/11/14 誤字など訂正。

「私は裸で歩いている」

 ぼんやりと左右の足を交互に前に出しながら、美雪は先ほどから感じていることを小さく声に出してみた。

 裸。

 そんな風に美雪は感じている。

 もちろん、着物を着ていないわけではない。

 客を引く遊女が色気を出すためにする、襟を大きく開いて肩を見せるような着方もしていない。

 帯だって、ちゃんと締めている。

 だが、もう彼女を守ってくれていた「鎧」はない。

 遠い故郷とを繋いでくれていた糸は切れた。

 信仰という拠り所を失って、今の彼女はやはり「裸」だった。


 いや。

 違う。

 失ってなんかいない。


 諦めそうになる自分を慌てて叱咤する。

 あるいは、ただ言い訳しているだけかも。


 キリシタンであることを否定した。

 踏み絵を踏んだ。

 だが、それは初めてのことではない。

 毎年、丸山では遊女から旅人にいたるまですべての人間が絵を踏まされる。

 むしろ、人気の遊女が素足を曝す艶めかしさに男たちが生唾を飲む風物詩にもなっている。

 今年も美雪は踏んだ。

 それでも、昨夜、美雪の手の中で十字架は輝き、善次郎を退かせた。

 大丈夫。

 何も変わっていない……はずだ。

 それでも、心の奥が悲鳴をあげている。

 今までとは違う罪悪感に、自分の心が汚れてしまった、と泣いている。

 それを否定しようとする自分の心を空々しく感じる。


 だから、帰ろう。

 早く郭に戻ろう。

 恋歌に話せば、きっとこんな不安は笑い飛ばしてくれる。


 大丈夫。

 そんなの汚れたうちに入らないよ、と。


 それでも、既定事実のように想像できる恋歌の言葉に、したくもない反論をしてしまう自分がいる。

 恋歌にはわからない。

 キリシタンではない恋歌には、この宗教の戒律の厳しさが理解できない。

 敵に対する寛容さを持ちながら、自らの信仰心に対してはどこまでも厳しくあるこの宗教を、彼女は知らないのだ。

 美雪の知らないかつての長崎。美雪の知らない古い時代。

 この土地では、大勢のキリシタンが死んだ。ポルトガル人のバテレン(神父)たちも捕らえられ、棄教を迫られた。

 中には転んだ(改宗した)者もいる。

 だが、多くの者が改宗を拒み、残忍な拷問の果てに命を落としたのだ。

 もちろん。

 もちろん、彼女にもその覚悟はある。

 それが信仰の証になるというのなら、

 それしか信仰の証にならないというのなら、

 命を捨てる覚悟はある。あった……と、思う。

 だが。

 小さな弟にその過酷な試練を負わせることはできない。

 もっと小さな妹に、残酷で容赦のない検査を受けさせるわけにはいかない。

 戦うにはあの子たちは幼すぎる。

 なにも知らなければ堕落を選ぶこともない。

 何も知らない無垢な魂。

 きっと、それは、過酷な試練を乗り越えた魂には、その輝きは及ばないのだろう。それでも、今はあの子たちに無垢であることの贅沢を味わわせてやりたい、と美雪は願っている。

 少なくとも、幼子には過酷すぎる拷問の果ての堕落よりは、送るに値するものであるはずだ。


 けれど。

 わかっている。

 本当はもうひとつ、わかっていることがある。

 コトは自分だけの問題ではない。自分とその家族の問題だけではない。自分の集落だけの問題ではないのだ。

 美雪が武器を失ったということは、恋歌とあの若侍が危機に陥る、ということでもある。

 恋歌の慰めを期待するなんておこがましいにもほどがある。

 美雪のしたことは、自分の友人に対する裏切りでさえあるかもしれないのだ。


 それでも、今の恋歌たちには炎がある。

 遠くから消せるという反則技が鬼にあるのなら戦うには心許ないかもしれないが、少なくとも徒手空拳ではない。

 美雪はそう考える。

 そうでも考えなければ、自分の犯した罪に押しつぶされてしまいそうだった。

 帰ろう。

 早く郭に帰ろう。

 きっと何も変わっていない。

 自分の中で信仰がある以上、昨夜と同じように美雪は戦える。戦ってみせる。

 恋歌や高村晋輔を背中において、昨日と同じようにしっかり戦ってみせる。


 心の中には怯えがある。

 それでも、美雪が自分を鼓舞するように足を速めたとき、暗闇に見知らぬ影が立っているのが見えた。


次が少しだけ長くなりそうなので、ここで投稿。

今年中にもう一話(できれば二話)投稿……できるようがんばります。

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