75.投げ文
短いです。
恋歌は怒鳴る。
「どういうことよ」
意識したわけではなかったが、声を小さくしようとは思わなかった。
だが、その情報を恋歌に伝えた綾羽は、自分の姉女郎が出した大声に身を竦め、声を落とすように懇願した。
「静かに。みんなに聞こえちゃいますっ」
なんで聞こえてはいけないのか。この怒りを楼主にぶつけてやりたい。
そう思いながらも、恋歌は頷き声を落とす。
確かに、こんな話が広まって美雪に良いことがあるわけはない。
だから、綾羽が恋歌を嗜めたのは、美雪のことを考えた上でのことだ。
それはわかる。
だから、恋歌も声を落とす。
怒りの感情を消すことはできなくても、声の大きさを下げる。
だが、声が震えるのはどうにもならなかった。
「美雪がキリシタン?」
「はい。昨夜、乙名のところに、そういう投げ文がされたそうです」
「投げ文?誰が…?」
まさか、美雪付きのカムロだろうか。
あの生真面目な表情を思い出し、すぐにそれを否定する。
いや、あの子は美雪と高村晋輔の話を聞いていない。あの子が知っているのは、高村晋輔が美雪に文を当てたことだけだ。
「誰か、は……わかりません」
綾羽は首を振った。
「そう」
それはそうだろう。
自分を知らしめたくないからこその投げ文だ。
だが、綾羽はその後を躊躇いながら続けた。
「ただ。乙名が慌てて戸を開けたら、女の後姿が見えたそうです。乙名は自信はないと言いながらも、春風姉さんだったかもしれない、と言っているとか」
噂話、なのだろう。
ただの噂話だ。
だが、そこに出てきた名前に、恋歌たちは息をのんだ。
「春風……」
しばらくの時間がたってから、ようやく恋歌はその名を呟いた。
「春風…どの……か」
恋歌に応えるように、高村晋輔も低くつぶやく。
「ありえる……か」
「うん」
恋歌は頷く。
きっとそうだ。
恋歌は、何故かそう確信した。証拠はない。確証どころか、根拠さえない。
だが、恋歌はそうに違いないと確信した。
吸血鬼に踊らされた春風は、吸血鬼の天敵たり得る美雪の信仰を投げ文という形で告発したのだ。春風は昨夜吸血鬼になり、晋輔に滅ぼされたが、それでもその悪意の投げ文は恋歌たちを窮地に陥れている。
それはもちろん、美雪の力が信仰によるものだと理解できなかった善次郎の意思ではないのだろう。それは最初の日に現れた鬼の親玉の手なのだろう。あいつは、最初からすべてを看破して、春風に命じたのだ。
隠れキリシタンなら、その存在を暴いてしまえばいい、と。
その意図するところは明白だ。
美雪に信仰を捨てさせること。この国でキリシタンであることが露見すれば、美雪は捕らえられ、過酷な拷問の果てに棄教を強いられる。そして美雪に棄教させてしまえば、恋歌たちは吸血鬼に対する最大の武器を失うことになるのだ。
棄教させてはいけない。
だが。
それを美雪にどう伝えればいい?
そもそも、自分に何かを言う資格があるのか?
「キリシタンだと断じられれば拷問の上に一族皆殺しにされるかもしれないけど、自分たちが生き残るために棄教しないでくれ」と?
恋歌は答えられない。
自分で問うた問いに自分で答えられない。
深刻な表情の二人に明るい声をかけたのは綾羽だ。
「でも、そんな馬鹿げた話、すぐに出任せだってわかります。誤解は解けます。美雪さんもすぐに戻ってこれますよ」
綾羽には危機感は伝わらない。彼女は美雪がキリシタンであることを知らないのだ。
本当のことを、この幼いカムロに打ち明けるわけにもいかず、恋歌は曖昧に笑みを浮かべて頷く。
「美雪は奉行所に?」
キリシタンに関する取調べは本来長崎奉行所の管轄だ。
耶蘇教(キリスト教)に対する弾圧が厳しかった時代、長崎奉行所はキリシタン狩りを主な勤めのひとつにしていた。
だが、鎖国と禁教が完成して以来、長崎奉行所は一般犯罪や対外貿易に関わる審理・処理ものを第一義にしてきた。
それでも、もし美雪がキリシタンだということになれば、その取調べは奉行所が行うことになるだろうか。だとすれば、その取調べは苛烈を極め、残酷な拷問が待ち受ける。
そのことを想像し、綾羽の手前での笑顔さえ維持できなくなりそうになる恋歌に、綾羽は軽い口調で答えた。
「いえ。乙名のところです」
「乙名の?」
「はい。投げ文は無視できないけど、乙名も楼主も、そんな話真に受けてません。
それなのに美雪さんに変な噂が立ったら、よくないし。だから、乙名のところにお役人が出張ってくれるらしいです。なんでも、特例らしいですよ。
だから、美雪さんが自分はキリシタンなんかじゃないって言えば、すぐに帰ってこれますよ」
それを聞いて、恋歌は安堵する。
美雪はこれまで自分の信仰を隠してきたのだ。相手の懐疑が本気でなければ、シラを切ることくらい簡単なはずだ。
「じゃあ、大丈夫そうだ、ね……」
恋歌は安堵して、高村晋輔を見る。
だが、その同意を求めた問いかけに、高村晋輔の表情が晴れることはなかった。
「なに?」
「美雪殿が否定して、奉行所はそれを信じる。そして美雪殿は解放される。そうかもしれん。そうなればいい、とわしも思う。そして、特例など設けてくれるくらいなら、きっとそうなるのだろう」
恋歌の短い問いかけに、晋輔は独り言を口にするように答える。だが、自分の言葉に納得できなかったのだろう。彼は眉を顰め、恋歌に問いかけた。
だが、と。
「だとしたら、投げ文の意味とは何だ?」




