6. 地下
意外に、そして不必要に広い地階を探すまでもなく、善次郎はいた
「よお」
階段を下りて最初の部屋に善次郎は立っていた。震える美雪を背後から抱え、もう一方の手に握った小太刀は彼女の咽に当てている。
それにしても。
「あんた馬鹿じゃない?」
恋歌は正直な思いを口にした。
「外に逃げればいいものを、なんでこんな地下になんか」
「俺もそう思ってるよ」
善次郎は苦笑する。
「まあ、慌ててたのさ。階段を下りたところにもうひとつ暗い場所に続く階段があったからな。なんとなく、出口みたいな気分で入りこんじまったのさ」
「馬鹿ね」
「馬鹿だな」
苦笑しながら、善次郎は頷く。
「でも、まあ、必ずしも悪い選択肢ではなかったと思ってる」
善次郎はゆっくりと動いている。
小太刀を美雪の咽喉に突き付けたまま、ゆっくりと足を踏み出してくる。
それに合わせて、晋輔は後退する。鯉口は切ったまま、しかし、鞘から太刀は抜かず、善次郎から距離をとって後退する。恋歌もその背に押されるようにして後ずさった。やがて、恋歌たちは階段下から追いやられる格好になり、その位置を善次郎に明け渡した。
余裕の笑みを浮かべたまま、善次郎は言った。
「まずは刀を捨てろよ」
「そんなことするわけないじゃない」
「……そりゃ、まあ、そうだよな」
善次郎は嗤う。
同時に恋歌は、美雪を捕まえた善次郎の腕が、着物の上から美雪の乳房をゆっくりと揉んでいるのに気づいた。
こいつ、どこまでも腐ってる……
「この卑怯者……」
晋輔の口から押し殺すような声が聞こえた。
不意に、恋歌は高村晋輔を理解した。これほどに怒るということは、彼に対しては人質が有効だからだ。つまり、高村晋輔には人質を見捨てることはできない。たとえそれが、見知らぬ土地の、自分とは関わりのない遊女であろうとも。
それは恋歌の気に入った。
今まで、仇討ちを抱えた男と出会う機会はなかったが、それが武士にとって死に物狂いになる状況だということくらい、恋歌も理解していた。敵討を果たせないということは、故郷に帰ることもできないということなのだ。
それでも、高村晋輔は激情に任せ、人質を見殺しにしない。美雪もろとも善次郎を切り捨てようとはしない。
実際、いまや善次郎は逃げるための最良の位置を確保している。彼が美雪を傷つけ、それから身を翻して階段を駆け上ったら、晋輔は簡単に彼を追うことはできないだろう。少なくとも、躊躇い、善次郎が逃れるための時間を与えてしまうことは間違いない。
善次郎の言う「悪い選択肢ではない」というのは、おそらくそういう意味なのだろう。
実際、高村真輔にしてみれば、美雪を人質に取られ、手詰まりになっている。初対面である男の敵討ちの成否など眼中にない恋歌にしてみれば、善次郎が自暴自棄になって凶行に及ぶことが何よりも怖い。
とはいえ。
もはや、善次郎は見つかり、恋歌は不要だった。
あとは上手く人質を解放させ、一対一の戦いを受けさせること。そして勿論、その戦いに勝利し、この男を殺す。それが高村真輔の役目だった。
だが、善次郎を殺すのには、高村晋輔さえ不必要だったのだ。
「美雪を放して。その子は関係ないわ」
恋歌は当然のこととして善次郎に言う。もちろん、当然のこととして、善次郎は拒否するだろうと思いながら。
「こいつを助けたいのか」
「あたりまえよ」
「じゃあ、お前が身代わりになれ」
「……」
「こいつは……別にどうでもいい。俺が買ったのはお前だ。お前は俺のものだ」
「それは駄目だ」
善次郎の要求には、晋輔が答えた。
即答だった。
お陰で、恋歌は選択を強いられずに済んだ。この危険な男の人質になるか、友人を見捨てるかの苦渋の選択を。
そしてだからこそ、恋歌は胸を張って答えられた。
高村真輔が、恋歌の心配をしてくれたからこそ、恋歌は彼女の友人の心配をすることができた。
「いいわ。わたしが代わりになる」
晋輔と善次郎。二人の視線が恋歌に向けられる。
いや、三人だ。
善次郎に抱えられた美雪の目が見開かれていた。
「よく言った」
善次郎が手を叩き。
「駄目だ」
晋輔が慌てて首を振る。
「駄目だ駄目だ駄目だ。おぬしはわかってない。こいつは危険な……」
「危険な男?だったら、そんな奴に友達の命を預けるわけにはいかない」
「だが、やつの望みはお前だ」
「それなら、なおのこと、だよね」
恋歌は笑った。
晋輔は言葉を失ったように黙り込む。善次郎は笑い続けていた。
美雪の目が潤んでいる。
恋歌はその目に向かって、笑いかけた。
「大丈夫。助けてあげる」
「いい顔だぁ」
その顔を見て、善次郎は更に満足げに嗤った。
その背後の異常に最初に気づいたのは、恋歌だった。一瞬、彼女は自分の目を疑った。
しかし、次の瞬間には四人全員がそれに気づいていた。
暗闇の中から不意に人影が現れたのだ。
ようやく吸血鬼が登場です。