59.出島にて2
恋歌は初めて入る出島を見渡した。
表門をくぐった今、左右に伸びた路が見える。ちょうどオランダ人が迎えに来てくれていて、恋歌たちは彼の後についてゆくことにした。
決して広いとは言えない。ここで生活する一年はいいようもなく窮屈なものになるのだろう。男の心理など恋歌にはわからないが、憂さ晴らしくらいしたくもなるのだろう。
妻帯者といえど、妻を同伴することは許されず、男たちが女を買うのも仕方がないのかもしれない。少なくとも、その辺を責める資格は、遊女である恋歌にはない。
広さ約四千坪。曲った四角形のその形は、「柄のない扇」に例えられる。
どうしてこんな形なのかについては、いくつかの説があるらしい。中でも一番面白い説は、出島建設時に「どういう形にするか」と訊かれた将軍が、扇を広げて見せたから、という話だ。恋歌に話を聞かせてくれた「蕎麦屋常連の親爺」改め「恋歌たちが拘束してきた蘭学者」に言わせれば、「公方様(将軍)も案外いい加減な方だよな」ということになるが。
もっとも現実には、曲線を描いた岸に沿って埋め立てたら、自然とそうった、という身も蓋もない説が正しいのだろう、と親爺は結論付けていた。
狭いとはいえ、生きてゆくためのものは一通り揃っているらしい。
炊事場があり、様々な役人たちの番所がある。大きくはないがオランダ人たちが暮らす家や蔵が四十棟前後建っている。簡単な菜園があり、食肉用(彼らは四つ足の獣の肉を食べる。ゲエ、だ)に家畜が飼育されている。
小百合は、それらをひとつひとつ指さして恋歌に教えた。
「あの大きいのがカピタン(甲比丹)の家。あの隣の高い棒は阿蘭陀の国の旗を掲げる竿。今日はないけど、阿蘭陀の祭日には彼らの旗が翻る。あと二か月ほどすると阿蘭陀船がやってくるからね。今は静かだけど、そうなるとここも騒がしくなるよ」
それから、と小百合はニヤッと意地の悪い笑みを浮かべた。
「捕えた抜け荷を処罰するための処刑場もあるんだよ」
「大丈夫。抜け荷なんかしないから」
バレたら抜け荷以上の厳罰ものだけど。
迎えに来たオランダ人に導かれ、小百合に説明を受けながら恋歌が向かったのは、出島の中で一番目を引く建物だった。つい今しがた小百合に説明された建物だ。
四角い二階建ての建物の前面に貼りつけたように三角形の屋根がある。それは直接二階に上がるための階段の屋根だった。
「これがカピタン部屋」
と、小百合は改めて繰り返した。
「部屋?」
だが、それは部屋などではなく、ひとつの建物だった。
「そういう言いかたをするの」
小百合は言い訳するように、説明する。
「ここがカピタンの部屋で、家で、事務所。そして来訪者に対する接待の場所」
「……そんなところに入っていいの?」
「……何かを祝うような場合、たまに使われることもあるの。たまに、ね」
江戸の役人や著名な人物が訪れた際には、このカピタン部屋で接待が行われる。そのときには遊女ももてなし役として同席する。
特にもてなす相手がいない場合の宴会場として用いられることは多くはないが、今回は訪れるのが丸山一番の美貌と名高い恋歌となって、大騒ぎになったらしい。桜泉の恋歌をひと目見たいとカピタン部屋で宴会をすることになったのだという。
「……さすが、桜泉の恋歌、だね」
小百合は揶揄するように言い、一応苦笑いを浮かべて見せた。
*
紅毛人は草履を履かない。
彼らは獣の皮を用いた「靴」なるものを履き物にしている。
それは恋歌も知っていた。
だが。
畳の上で履き物を履く、というのは恋歌の想像外だった。
カピタン部屋の二階は、畳の和室だった。
その畳の上に台が置かれている。
大きい台だ。人が横になれるほどのその台の上部は、木の枠で囲まれていて、その内側には緑のラシャが貼られていた。その囲われたラシャ面の上に、石でできたいくつかの球が転がっている。
近寄って見ると、石の玉にはそれぞれ異なる字が書かれていた。それは西洋の数字なのだと小百合は教えてくれた。
阿蘭陀人は長く細い棒を持っていて、自分に順が回ってくると、棒の先端で白い玉を突く。小気味よい音とともに玉はゴロゴロと転がり、色々な数字の書かれた玉にぶつかる。当てられた玉は更に違う玉に向かって転がってゆく。
ラシャ面には、木枠に沿っていくつかの穴が空いている。
玉はその穴に落ちた。
歓声が上がった。
「へえ」
狙ったのだとしたら、うまい。というか、もちろん、狙ったのだろう。
棒で白の玉を撞き、その玉を他のたまに当てることで他の球を思い通りの穴に入れる。
一種の曲芸のようなものかもしれない。最初、恋歌はそう思ったが、撞球というそれは、西洋の遊戯らしい。つまり彼らの遊びだ。
カピタン部屋の二階には数人の紅毛人と遊女たちが遊んでいた。
で。
彼らは畳の上で靴を履いていた。
恋歌は眉を顰めたくなるのを我慢して、一応笑顔を維持する。
恋歌は仕事で来ている。本当の目的が他にあるとしても。
履き物よりも重要なことはある。太夫でなくても、宴席を仕事の場とする以上確認しなければならないことがあるのだ。まず第一に恋歌は、そのことを小百合に確認することにした。
「で、偉いのはどの人なの?」
「あの人」
小百合は躊躇わずに視線を向けることで、指さし代わりにその人物を示した。
「トーマス・ファン・ラヘー。カピタンよ」
カピタン。
オランダ商館長。つまりこの出島で、オランダ側の一番の責任者だ。
この建物「カピタン部屋」に上がったときに、一度挨拶はされている。名前も聞いたかもしれない。
だが、挨拶してきたのは一人ではなかった。どの名前も覚えにくい名前だったし、それ以上に、恋歌には顔の区別がつかなかった。
恋歌を呼んだのは、カピタンではなかった。まだ若い(らしい)青年だったが、すでに恋歌はその名前を発音できない。というよりよく覚えていない。
ただ、向こうは一目見るなり恋歌を気に入ってくれたようだ。
カピタン部屋にあがるなり、待ち受けたオランダ人たちからどよめきがあがり、口笛が吹かれた。
恋歌の相手になるという青年は顔を輝かせ、真っ赤になりながら笑顔を浮かべた。周囲の連中は笑いながら、青年の肩を叩く。彼らの笑顔は祝福しているようでもあり、怒っているようでもあった。
つまり、とりあえず遊女を一人頼んでみたら、予想外の上玉がきた、と囃したてられているのだろう。
そりゃあ、丸山一番とさえ讃えられてきたのだ。そのくらいのことでは、恋歌は驚かない。それでも恐ろしげな異国の男たちが笑顔を浮かべてくれているのには、少なからず安堵した。
安堵しても、望みの用件に入るわけにはいかない。
ここには日本人もいる。
美雪が言うとおり、キリシタンは助け合うものなのだとしても、だからこそ逆に、ここにいる日本人は信用できない。彼らはキリシタンではなく、それを狩る側なのだ。
恋歌は男たちに愛想を振りまきながら、彼らに問われたことを、小百合の通訳で答えた。
名前。
年齢。
そして、彼女ほどの美貌の太夫が、何故オランダ行になったのか。
とはいえ、これから大切なことを聞く相手に警戒されたのでは元も子もない。恋歌は最期の部分には答える気にはならなかった。
恋歌が答えを躊躇っていると、相手は何か適当な物語を自分の中で組み上げてくれたらしい。恋歌に同情を含んだ視線を向けながら、わかるわかると共感の笑みを浮かべてくれた。
恋歌にガラスの器を与え、それに酒を注ぐ。
赤い。日本の酒とは色合いが全く違う。
恋歌は少し甘く感じるそれを舐めながら、撞球という遊戯を眺めた。
小百合は何度かやったこともあるらしい。
カムロはあくまで遊女の付き人であるべきだが、ここでは彼女もオランダ人の話し相手になっている。
会話が出来ると紅毛人との仲もよくなるのだろう。おそらく下手な遊女より彼らの間に溶け込んでいるのではないか、と恋歌は思った。
下手な遊女。つまり恋歌のことだが。
実際、小百合が棒を構える様は、堂に入ったものだった。
とはいえ、見かけほど簡単な遊戯ではないのだろう。狙いはことごとく外れた。
それは他の遊女も同じだった。
もっとも、外れれば外れたで、阿蘭陀人の間から歓声が上がり、遊女は笑いながらオランダ人に寄りかかった。
その顔を男の手が自分のほうへと向けた。そして顔を近づける。
二人は目を閉じ唇を合わせた。
きょとんとしてみている恋歌が面白かったのだろう。
男から口を離した遊女は、悪戯っぽい目で恋歌を見た。
「うまくちって聞いたことあるでしょ?」
「ない」
ないはずは、ない。
こんなに大っぴらにやることに驚いただけだ。
だが、恋歌の答えをその遊女はそのまま信じた。信じて笑った。
「おやおや、丸山の娘のくせに何も知らないのね。えーと。これはオランダ人の…愛情表現みたいなもんね」
「ふうん」
自分の国の愛情表現もわかんないんだから仕方がないか。
と、遊女が笑い、それを小百合が通訳したのだろう。
カピタンやらオランダ人の男や遊女、更には小百合までが声を合わせて笑った。
面白くない。
オランダ人に笑われるのならまだしも、男を知らないであろうカムロにまで、何故笑われねばならないのか。
恋歌は笑い続ける小百合を睨みつけてから、顔を背け、笑いかける甲比丹や抱きついてくる商館員を無視することにした。
やがて、自分もいくつかの玉を穴に沈めた後、小百合は恋歌にその棒を渡した。
「あんたもやってみる?」
「うん」
本当は玉つきになど興味はなかったが、自分を抱く阿蘭陀人の腕の中から逃げ出す口実が欲しかった。
よほど恋歌が気に入ったのか、この若い(らしい)オランダ人は一目見た時から恋歌の手を握り、肩を抱き、離れようとしなかった。
恋歌は棒を握り、今見たばかりの小百合や阿蘭陀人たちの格好を真似てみた。途端にあの阿蘭陀人が近寄ってきて、彼女の構えを直す。直してそのまま離れればいいものを、恋歌の腰と腕にてを添えたまま離れようとしない。結局、彼女に触っていたいだけらしい。
「あんた、どの玉を狙えばいいかわかるの?」
小百合が驚いたように声を上げた。
「この白い球であれを狙えばいいんでしょう?」
「そうだけど……でも……」
「ずっと見てたからね」
「ふーん。頭、空っぽじゃないんだね」
棘のある声で、小百合は笑った。
甲比丹のほうは、小百合が恋歌との会話を通訳すると素直に感嘆の声を上げ、恋歌に微笑みかけた。ついでに恋歌を抱いていた阿蘭陀人も自分が褒められたように誇らしげに笑い声をあげた。
恋歌は白い玉の手前で手を突くと、絡めた人差し指の隙間かに棒の先端を通した。棒を握った右手の曲げた肘を固定したまま後ろへ引く。右腕がずきりと痛んだ。昼間番人に殴られた場所だ。また腹が立ってきたが、痛みそのものは大したことがなかった。だから無視して下げた腕をそのまま前へ突き出そうとしたとき、例の手が尻から前に回ってきた。裾を割り、直接足に触れる。そして、その感触を楽しみながら素早く上へと上ってくる。
思わず体が硬くなり、動きが乱れた。
棒の先端は、玉に触れることなく台の上を滑って行った。
哄笑が起こった。
思わず怒鳴りつけそうになる。小百合のからかうような視線が辛うじて怒りを抑えた。
それでもまた阿蘭陀人はべったりと恋歌に張り付いている。
こいつ、本気で嫌がってやらなくちゃわからないのか。
棒を撞くのは一人一人順番で、一回につき一度づつだとわかっていたが、恋歌は再び棒を握り、構えた。
たぶん、順番が違うということを言ったのだろう。
阿蘭陀人が笑いながら声をかけ、さらにぴったりと密着してくる。
恋歌は、知らぬふりをしてもう一回撞き、わざと失敗した。
嬌声を上げ、頭を上げる。そうして思い切り阿蘭陀人の顎へぶつけてやった。
「!!!!」
得体のしれない言葉で悲鳴を上げ、彼は顎を押さえた。舌をかんだらしい。かなり痛そうだ。わるいことをしたかな、とちらりと思った。頭突きを食らった男はそのまま後ろにふらついて下がる。カピタンにぶつかり、彼の持っていたグラスが落ちる。割れて溢れた水の酒の上に、恋歌の敵娼の足が乗り、滑る。
「あー」
一同が口を開けて見ている前で、彼は倒れた。
床を叩く音は、コンと軽かった。
木魚の音みたい、と恋歌は思った。
一瞬、彼は宙に浮いた。
そして後頭部を強打。
かなり危ない倒れ方だった。
上体は起こすが、すぐには立ち上がれずにいる。
医師らしき男が近寄り、彼の様子を見て、何らかの指示を出している。
それを聞いていた小百合が、恋歌に近寄って、話の内容を聞かせてくれた。
「今日は動かず、じっとしていた方がいいだろうって」
「どういうこと?」
「女なんか抱くなってことよ。つまんない」
甲比丹が何事かを彼の耳元で繰り返している。
言われても、恋歌を気に入った彼は何回も首を左右に振っていたが、立ち上がろうとしてふらつき、ついに諦めたらしい。悔しそうに頭を縦に振った。
同僚は、といえば、彼の転倒に大笑いし、美貌の遊女に手を出せなくなりそうな状況に更に笑い声を大きくした。
それでも、彼らも半分は、自分たちの同僚を真面目に心配していたのだろう。
同僚の勧めに従い、彼は自分の寝台に引き上げることにした。もちろん、恋歌が付き添うと告げると彼は笑顔で歩き出した。




