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57.出島へ 3

 昨年、唐人屋敷から一人の男が抜け出した。


 金有声というその男は、唐人屋敷での生活の中、金に困っていた。

 そこに長崎に住む吉六という男から、抜け荷に誘われた。

 うまくいけば、それなりの分け前を手に入れられる。金有声は、その話に乗った。

 そして、求められていたものを首尾よく渡した。


 だが、金は支払われなかった。吉六が裏切ったのだ。

 金有声は途方に暮れた。もともと、金に困って抜け荷に手を染めたのだ。その金が支払われなければ、どうにもならなかった。

 吉六も相手の困窮は予想していただろう。だが、相手は唐人屋敷からは出られない。抜け荷を役人に知られるわけにはいかない以上、逃げてしまえば吉六に手は出せないはずだと高をくくってていた。ところが、困り切った金有声は、あろうことか唐人屋敷の塀を越え、吉六の家にまで催促に来たのだ。

 もちろん、吉六は困惑した。そもそも彼には相手に金を払う意思がなかったのだ。それでも、街中にはいないはずの唐人と揉めているところを他人に見られるわけにはいかない。彼は支払うことを金有声に約束し、なんとか作った金を手に、金有声を連れ出した。

 そして、吉六はいきなり逃げ出して、金有声を振り切ったのだ。

 金有声は、慌てた。そもそも唐人屋敷のそとにいること自体、ばれるわけにはいかない。いつまでも街中でうろうろしているわけにはいかず、なすことなく、唐人屋敷に戻った。

 一方、吉六もまた、災難に見舞われていた。

 必死に逃げているうちに、大切な金を落としてしまったのだ。

 当然、吉六は目の色を変えて、自分が走ってきた道を探したが、こちらも目当てのものは見つからなかった。

 金有声は困窮していた。必死の思いで犯罪に手を染めたのに、相手に裏切られて金を手に入れることが出来なかった。いくら吉六の家を知っているとはいえ、二度目の塀越えをする気にはならなかった。彼はどうにもならなくなり、その素行の不審さから、ついにその行為が役人に知れることになった。


 結果、関係者は捕えられた。金有声は国外追放にされ、吉六は島流しにされた。


 こうして抜け荷に関わった者たちは捕えられたわけだが、問題が一つ残った。

 つまり失われた金は出てこなかったのだ。吉六が落とした金はついに出てこなかった。

 その金はどこに行ったのか。


「私、聞いたことあるんだ」

 恋歌はゆっくりと話す。

 途中から、小百合の顔色が変わり始めた。

「楓って、何でも知ってるよね。人の話を聞くのうまいし。私もいろんなこと喋っちゃって、他の姉さんやお客さんに怒られたことが何度もある」

 恋歌は思い出して苦笑いできるが、小百合の顔に笑みは浮かんでいない。

 恋歌は、小百合の父親の顔を見る。

 彼は……驚いた顔をしていた。

 だが、だからといって、そのことに特に衝撃を受けているようにも見えなかった。

 恐らくは、おぼろげに察していた、というところだろうか。

「私の言うことをきいてくれたら、私も何も言わないわ。お互いに秘密がひとつづつ。それでいいでしょ?」

 小百合は青ざめている。

 震えている。

 小百合の沈黙は短くはなかった。

 やがて、彼女が唇を開いたとき、その視線から、恋歌は小百合の答えを察した。

「それでも」

 と、小百合は言ったのだ。

「それでも」

 彼女は小さな体を震わせながら、恋歌を睨み付ける。

 その目が、恋歌に小百合の答えを教えた。

 恋歌の敗北を教えた。

「それでも、キリシタンに関わるよりはマシよ」

 視界の隅で、美雪が苦しみを感じたように目を閉じる。

 だが、ここで引くわけにはいかない。

 恋歌は、更に声をかける。

「あんたには、迷惑はかけないよ」

 恋歌は約束する。

 さきほど、「今かけられている」と指摘されて言葉を失ったことは棚に上げて。

 小百合も、ここでもう一度突っ込んでも無駄だと思ったのだろう。敢えて、沈黙を守っていた。

 それでも恋歌の話を遮ったりはしない。恋歌は簡単な説明を始めた。

「あたしは出島に行く。もちろん、あんたも来るのよ。その間の御両親の面倒は、晋輔と美雪に見てもらう。

 出島の中であたしとあんたは、ずっと一緒にいる。片時も離れない。あたしが喋ることをあんたが彼らに通訳して伝える。彼らの話すことはあんたがあたしに教える。話が終わったら、二人そろって島を出て、ここへ戻り、あたしたち強盗一味はそのまま立ち去る。あんたたちが黙ってれば、それでおしまい。小百合もご両親もいつも通りの生活に戻る」

「……その後、あたしが奉行所に駆け込んだら?」

 小百合の質問を恋歌はある程度予期していた。恋歌たちが長崎を出て逃亡生活を送るつもりならともかく、廓に留まるのなら、当然考えておかなければならない問題だ。

 だから、恋歌は言った。


「その場合には、あたしたちは捕まる」

何でもないことのように頷いてから、恋歌は嘘をついた。

「でもね、あたしたちが捕らえられている間に、控えの一味があんたたちを殺す」

「……恋歌?」

眉をひそめる美雪を無視して、恋歌は小百合を見据えて続けた。この嘘は美雪の怒りを素晴らしく買うだろう、と確信しながら。

「切支丹の力をなめてはいけないわ。社会からも幕府からも百年間も隠れてきた組織よ。その秘密を守るため、邪魔者はみんな始末してきたわ。あんたたちを殺すくらい、造作もないんだから」

 美雪の方を見ないようにしながら、恋歌は小百合たちを脅かした。

 もっとも、見なくても、信仰を殺人鬼の掟にされた美雪の怒りの視線が背中にぐさぐさと突き刺さるのを感じた。仲間を暗殺者集団だと言われたのだから、怒って当然だった。美雪が信仰する神様なら、そんなに暴力的なものであるはずもない。

 

 相手が十分に怯えたのを確認してから、恋歌は笑顔を浮かべた。

「大丈夫。大した仕事じゃないわ。さっさと片づけましょう。そうすればみんな幸せになれる」

 大した仕事じゃない?

 みんな、幸せになれる?

 そうであってほしい、と恋歌は心から願い、実は全く信じていなかった。

 いや、後者の方は本当に願っていた。心から。


 小百合を伴って、家を出る直前、高村晋輔がそっと耳打ちしてきた。

「控えがいたとは気づかなかった。流石に顔が広いんだな」

「……まさか信じたとは思わなかった」

 恋歌は言い、躊躇する小百合の手を引き、戸の外へと押し出した。


 外へ出てから、恋歌はすぐに美雪に声をかけられた。硬い声と硬い表情だった。

 恋歌はそのまま人気のないところに連れて行かれた。小百合を晋輔に預けたまま。

 用件はわかっていた。

 本当は美雪だってわかってくれている、と思う。

 今は仕方がない、と。

 それでも、言わずにはいられなかったらしい。

 信仰を「暗殺者の掟」呼ばわりされた美雪が恋歌に怒りをぶつけ、謝罪し続けた恋歌に不承不承矛を収めるのに、一時近くかかった。


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