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56.出島へ 2

2014/11/14 誤字など訂正。

 鬼に狙われていると言えば、わかってくれただろうか。

 恋歌は、その可能性を考えてみた。

 そう。何事も、まずはやってみなければ話にならない。

 意外と物わかりのいい一家かもしれなかった。きちんと説明すれば、すぐに納得して協力を申し出てくれたかも知れない。

 そう。

 困ったときはお互い様だ。

 それが人の道、というものではないだろうか。

 彼らは助けてくれるかもしれない。

 やってみなければわからない。



「何を考えているんだ」

 手際よく人質の腕を後ろ手に縛りながら、高村晋輔が聞いてきた。

「たいしたことじゃないわ」

 逆らわないように、晋輔の短刀を人質の喉に突きつけながら恋歌は答えた。

「消えてしまった可能性について。もっとましなやり方があったかも知れないという未練について」

「あったのか?」

「なかったわ。ただの冗談よ」

「冗談か……あまり面白くないような気がする」

「さすがお侍様。諧謔をわかってらっしゃる」

「いや、わからないんだ」

「そうね。今のも冗談」

 まったく面白くない冗談。

 怯える夫婦の眼差しを受けながら、恋歌はため息を付いた。振り返ると、彼らの娘がもっと強い恐怖に震えながら恋歌を見ている。


「やっぱりあの噂は本当だったのね」

 と、名付け遊女小百合は泣き声になっている。

 どんな噂?

 とは、なんとなく聞きたくなくて問い返さなかった恋歌の意向を無視して、小百合は糾弾するように言った。

「飛び込んできた侍と青餅(恋人)になって、駆け落ちする気になったって噂」

「……そんな噂になってるの?」

 あたし、一体どこへ行こうとしているんだろう、と恋歌は呟いた。疑問を口にするとき、昨夜の気持ちを振り返ることはなかった。

 誰も恋歌の呟きに注意など払ってはいなかった。

 黙殺された問いに自答することもできず、恋歌は小百合に静かに座っているように促した。


 すべてがうまくいった。少なくとも望んだ通りの展開ではあった。戸を叩き、相手が不用心に開けたところを問答無用で押し込み、刀で脅かして黙らせた。それから小百合の両親を座らせて、手を後ろに回して縛る。その間、小百合は怯えながらも、気はしっかり持って立っていた。

 すべてうまくいったのだ。喜べなくても、満足すべき状況だった。そして、高村晋輔はとても満足しているように見えた。

「よし。これでいい」

 小百合の両親を縛り終えて晋輔が頷く。まるで怪しげな趣味を持つ親爺が手込めにした女を苛む特殊な縛りをうまくやり終えたように、自分の縛り方に満足そうに頷いた。

「素晴らしい。何事にも一生懸命な姿勢には好感が持てるわね」

 恋歌は、うんざりしながら、そう呟いた。

 ただ、見知った顔が自分を睨みつける視線はひどく応えた。


「ごめん」

 と、小さく呟く。

 聞こえたはずだが、その男からの返事はなかった。

 当たり前だ。布を強く咬まされ、口を塞がれている。何も言えるはずはなかった。

 言葉にならなくても、彼がこの場で考えることなんて、好意的なものであるはずもないだろう。 

「本当にごめん」

 恋歌はもう一度謝った。

 言葉であれ態度であれ、相手が許してくれるそぶりは最初から期待せずに。



「じゃあ、聞いて」

 恋歌は、小百合とその人質に話し出した。

「まず第一に、あたしたちは人質を傷つけるつもりはありません」

「そうだ。まったくない」

「あんたは黙ってて」

 口を挟む晋輔を叱咤しながら、恋歌はふと考える。

 恋歌たちが捕らえられ、役人に聞かれたら、この人たちは恋歌が主犯だと言うに違いない。

 一瞬、本気で彼らの口を塞ぎたくなって、慌てて首を振る。

「小百合が、あたしの言うとおりのことをしてくれれば、今夜にはお二人とも解放します」

「……何をしろって言うの」

 口を塞がれた両親に代わって、小百合が詰問する。

 その視線を正面から受け止めながら、恋歌は答える。

「通訳してくれればいいの。出島に入ったら、あたしの言うことを、オランダ人に伝え、オランダ人の返事をあたしに通訳すること」

「……抜け荷をするつもりね」

「そのようなものよ」

 見つかった場合の罰は、そんなもんじゃすまないけど。

「抜け荷なら、いくらだって手伝う遊女がいるんじゃないの?」

「特殊な単語の知識が必要なの」

「蘭学?」

「……近いわ」

「でも、違うのね。一体、何?」

 恋歌は言うつもりはなかった。

 これ以上喋らなければわかるはずがない、とタカをくくっていた。甘かったようだ。「まさか……」

 小百合の顔色が変わった。幼いとはいえ追いつめられた女のカンを甘く見るべきではなかったかな、と恋歌は思った。しかし、どうせ小百合にはわかることだ。

「深く考えない方がいいわ」

「冗談じゃないわよ……切支丹の手伝いなんてしたら……」

「小さな声で喋った方がいいと思うけど」

「いやよ。絶対に手伝わない」

「ご両親が死んでも?」

 小百合は口をつぐみ、恋歌を睨んだ。その目の光が、恋歌の中の何かを逆撫でした。小百合は恋歌を卑劣漢だと思い、実際その通りだった。親を人質にとって、子供に罪を犯させようとしているのだから。

 だが、だからこそ、恋歌の中のもっとも醜い部分が、言うべきでない言葉を紡いだ。

「親が人質にとられるほど近くにいるっていいわね」


 登録料を取っているのだから、遊女屋には名付け遊女に対して隔意はない。

 しかし、同じことをしながら遙かに気楽な立場にいられるということで、「本当の遊女」たちにしてみれば、やはり名付け遊女は羨望と嫉妬の的になる。同じ立場の雇いカムロに対しても。

 普通の遊女からすれば別格扱いされてきた恋歌でさえ、遊女屋に束縛されない名付け遊女や雇いカムロを羨ましいと思う。なんといっても、彼女たちはいつでもやめることができるのだ。


 小百合は少し鼻白んだだけで、それについては何も言わなかった。そのかわり別のことを口にした。

「丸山一番の日本行太夫が切支丹だったなんて…………どおりで恐ろしいことが幾つも起きるはずだわ」

「あたしのせいじゃない。それは切支丹とは関係ないわ」

「切支丹が生きていたなんて。まだ、こんな風に活動しているだなんて。……おぞましいわ」

「切支丹のどこが悪いって言うの?」

 視界の隅で眉を曇らせた美雪の姿が、恋歌に口を開かせた。実のところ、切支丹という言葉は恋歌にとっても恐ろしくはあった。だが、美雪のことを恐ろしい存在だとは思えなかった。

 何かが間違っているのかも知れない。

 思わず小百合に反駁した瞬間、恋歌は初めてそう思った。自分たちが正しいと信じてきたことは、どこかおかしいのかもしれない。どこかの誰か、偉い連中が、醜悪で残酷な嘘をついている。


 恋歌は小百合に声高に問うた。

「あたしたちが、あんたに迷惑いつかけた?」

「いま」


 両親を縛られた小百合から間髪入れずに返答があり、恋歌は話題を変えた。

「まあ、それはともかく……」

「なにがともかくよ」

「死にたくなければ、強盗に逆らうもんじゃないわ」

 苛立ちのあまり自ら強盗と名乗ったことに気づいたが、訂正しようという気も起きなかった。なんだか、ひどく疲れたような気がする。

 少なくとも、今は悪いことをしているのだから、名乗った切支丹の潔白を証明するのには適した時とは言えないだろう。ここは口を噤むべきかもしれない。

「助かりたいのなら、余計なことは考えないで、あたしたちの……あたしの指示に従いなさい。いい?」

 小百合はもちろん納得したようでもなかったが、怯えた母が首を振って小百合の反駁を諫めるのを見て口をつぐむことに決めたようだった。

 父親の方はというと、そこまで怯えているようでもなかったが、やはり小百合に落ち着くように求めていた。

 その姿にもう一度心の中で謝って、恋歌は「切り札」を切った。


「逆らわないで。言うことを聞いて、小百合。私は知っているんだよ」

「……何を?」

 不意に声を落とした恋歌に、小百合は訝しげに聞いてきた。

「お金、拾ったよね?」

「……っ!」

 効果はてきめんだった。


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