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55.出島へ 1

13/05/13投稿直後ですが、誤字など修正。

あとがきも追加。(たいした内容ではありません)

「春風を殺したのか」

 恋歌は、地上階に出るなり、楼主にそう訊かれた。

 それでなくても、抱えた遊女に笑顔を見せることのない顔。

 ひたすら不愉快そうな仏頂面。

 その顔に、恋歌は精一杯抗弁する。

「私たちは殺されそうになったの」

「だから、殺したんだな?」

「殺したっていうのとは違うと思う」

 恋歌は答えた。

「では、春風はどこだ」

「消えたわ」

 恋歌はそう答えた。

 どういう言葉を使おうと、結局のところ、それが事実だった。

「火をつけて燃やしたのか」

「……燃えたわ。でも、あれは……普通じゃなかった」

「ああ。火をつけて殺すなど、とても普通とは言えん」

 苦々しげに言う楼主に反駁しようとして、恋歌はしかし、言葉にはしなかった。

 恋歌達がしたことは、確かにそういうことだった。

 鬼を滅ぼしただけだ。

 そうは思う。

 それでも、炎の中で悲鳴をあげていた春風を思ったとき、抗弁の力はどうしても弱まってしまう。

 結局、それ以上、楼主は恋歌に強くは言わなかった。

 ただ、その話はひたすら長かった。

 自分がどれほど恋歌のために散財したのかを主張し、そのおかげで恋歌は名の知れた太夫になることが出来たのだと恩に着せ、それなのに、彼に多大な損害を与えている恩知らずを嘆いた。

 結局のところ、楼主にはそのことが重要なのだ。

「ごめんなさい」

 納得できる部分ばかりではなかったが、楼主が損をしているのは間違いないので、とりあえず恋歌は謝りつづけた。正直、そうやって損得勘定で責められたほうが気が楽だった。

 そう考えたのは確かだが、恋歌たちが日の差す外へ出られたのは、「気が楽」どころか、うんざりするほどイヤミと説教を聞かされた後だった。



 恋歌は、出島に入る。

 出島には、入れる。


 美雪の言うとおり蘭館(出島にある阿蘭陀商館)のオランダ人がすべて切支丹であり、

 美雪の希望的予想通り彼らが鬼の弱点を知っていて、

 美雪の断言するとおり切支丹同士は助け合うものならば、

……必要な情報は簡単に聞き出せる、のかもしれない。


 ただし、それも、お互いの言葉が通じればの話だ。そして恋歌はオランダ人の言葉を全く知らない。

 やはり通訳は絶対に必要だった。

 そして雇いカムロ小百合は、郭の中で最もオランダ語に通じたカムロだった。

 その少女の協力が得られるなら、問題を乗り越えるのは、比較的簡単になる。


「で、どうするつもりなの?」

 振り返った美雪は、やや硬めでの声で恋歌に問いかけてきた。

「考えがあるって言ってたよね」

「あるよ」

 恋歌は頷いた。

 他人に聞かせられる話でもなかったので、廓は離れていた。昨日、美雪と話した高台の寺社に人気の少ない場所をみつけ、恋歌たちはようやく話しだした。

「まずきちんと理由を話して説得してみよう」

 という晋輔の意見。それを一蹴したのは、相手が雇いカムロだからということも、多少はあったかも知れない。つまり、比較的自由な立場の相手に対するやっかみだ。

 だが、もちろん、それだけが理由ではなかった。

「なるほど。良い考えだわ。じゃあ、早速頼んできてよ。蘭館に入って耶蘇教について聞いてきてくれって。見つかったら獄門一直線だけど、見ず知らずの他人のために一肌脱いでくれないかって」

「わかった」

 真顔で頷き、早速走り出そうとする晋輔。顔も向けずに、美雪がその腕を掴む。うんざりした顔で恋歌を睨んだ。

「駄目よ、恋歌。相手と言葉を選んでちょうだい」

恋歌は晋輔に顔を向けた。口調だけは穏やかに、目には怒りを込めて晋輔を射抜く。

「高村様、今のは冗談です」

「それならそうと言ってくれ」

「馬鹿馬鹿しい。どこの遊女やらカムロが出島に入って耶蘇教の話を聞いてきてくれると思うの」

思わず、苛立ちが口調に現れた。

 出島や唐人屋敷に出入りする遊女の犯す罪で最も多いのは、抜け荷(密輸)の手伝いだ。一般市民から隔絶された状況にある異国人と密室で会える遊女は、抜け荷を狙う者には格好の連絡員候補に見える。それを手伝う遊女の動機は、客への思慕であったり、損得勘定であったりするが、それが切支丹絡みとなれば話は別だ。この国に住む者にとっては切支丹は非日常の恐ろしい存在であり、自ら関わろうとする者はいない。

 その辺の事情は昨日納得してくれたのだと思ったのだが。

 そんな中、いきなり出島内の異国人と耶蘇教の話をさせてくれと頼まれて納得する奴はよほどの馬鹿か、自殺志願者くらいだ。

恋歌が言うと、美雪は嫌そうな顔をしたが、恋歌の意見が間違っているとは言えないでいる。

「では、どうすればいい?」

「多少荒っぽく脅すしかないわ」

「本人に刀を突きつけて?」

「いいえ」

 恋歌は首を振った。

 それでは効果は薄いと彼女は思っていた。

 切支丹に協力させると言うことは、最悪の場合、捕らわれて処刑されることを考慮しなければならない。ただ、刀を突きつけるだけで小百合は屈服するだろうか。

 だから、恋歌は、昨日小百合の家を調べておいたのだ。

 小百合は雇いカムロだ。つまり、「名」のみ郭に置き、給金をもらって遊女として働き、普段は郭の外で生活を送る「外の」カムロだった。

 仕事が終われば帰宅し、両親と暮らす大切な「普通」の生活を持つ遊女やカムロ。恋歌たちにしてみれば羨ましい限りだが、それはつまり、郭の外に「弱み」を持つ遊女だということでもある。

「なるほど」

恋歌の説明に高村晋輔は平然と頷き、美雪はまた少し嫌そうな顔をする。

「あんまり無茶をしちゃ可哀想よ」

「あんまりひどいことはしないわ」

「そのとおりだ」

 と、晋輔も頷く。

「家族を人質にとって家に立て籠もり、協力しないと殺すと言う程度だ」

「……十分ひどい」

 美雪が呟きに、恋歌も頷きかけた。今のは冗談だと晋輔に言ってやろうと思った。

 そう言いかけた恋歌はしかし、先ほどから他の方法を思いつけないことに頭を抱えていた。


  *


 少女の家は突き止めてあった。

 少女が両親と住んでいることも知っていた。

 だから、充分だと思っていた。

 それさえわかれば、後はどうにでもなる、と思っていたのだ。


 その自分のうかつさを、恋歌は後悔していた。

 親と住める幸福を妬み、一番大切なことを調べなかったのだ。

 考えてみれば、それは不思議なことではなかったかもしれない。

 長崎一オランダ語に堪能な少女だ。

 父親が普通の漁師であるはずはない。


 弱った。

 その視線が彼女を射抜いている。

 いつものからかうような視線ではない。

 諭すような視線でもない。


 恋歌はその男を知っていた。

 廓の蕎麦屋で何度も会ったことがある。

 彼女の知らない時代のことを教えてくれた。

 彼女の知らない世界を教えてくれたこともある。


 その博識さも、今となっては納得できる。

「雇いカムロ」小百合の父親は、蘭学者だったのだ。


 新井白石の正徳の治によって蘭学は学問の異端へと追いやられたとはいえ、依然として蘭学を学ぶ者はいた。しかし、異端は所詮異端であり、彼らは金銭的にも研究環境にも恵まれない中での研究を続けた。なにしろ、学問の対象となるべき書物は禁書なのだ。研究が進むはずもなかった。

 それでも、ここは長崎だ。

 立ち位置によっては、蘭書に接する機会を作ることも出来る。

 そのため、彼らはそのわずかな機会を求め続けた。そうして、国内の学問が保証された地位に安穏としている間に、先進する西洋の学問に追随しようと必死で学び続けたのだ。

 そんな彼女の知識も、蕎麦屋で話したこの蘭学者が教えてくれたことだ。

 あの男は。

 郭の蕎麦屋で恋歌に色々な知識を吹き込んでくれたあの男は、今、高村晋輔に縛られて、恋歌を恨めしげに見上げていた。

 参った。

 恋歌は声に出さずに呟いた。

 誰にも聞こえないその呟きに答える者は、もちろん、いなかった。

えーと。

覚えてます?


二日目。

「長崎と丸山」でちらっと(地の文で)出てきた「蕎麦屋の常連のオヤジ」です。


「そんなのおぼえてねーよ」

と、突っ込まれた方。

大丈夫。特に問題はありません。(読み直す必要もないです)

一応、そんなやつがでてきたんだな、と思っていただければ。

「恋歌と知らぬ仲ではなかった」と思っていただければ充分です。

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