40.鬼たちの夜2
「よお」
例によって、善次郎は笑顔だった。
人を幸せにしない笑顔。
先ほどまで春風が浮かべていたのと同種の笑み。
つまり嘲笑、だ。
で、春風はと見れば、既に姿がない。
彼女の言う「準備」とやらをしにいったのだろう。何の準備かは、恋歌にはわからない。できれば、このまま知らずに済ませたかった。
だから、春風の不在は予定どおりで、善次郎にしてみれば驚きもなければ、春風がいないという認識さえないらしい。
「役者は全員揃っているんだな」
善次郎は、恋歌たちを見渡しながら聞いてきた。
「うん。敵役のあんたで最後」
恋歌の言葉に、愉快そうに笑う。
「ツレないな。お前は俺の敵娼だぞ。金は払ったのに、まだやらせてもらってない」
「……死人に抱かれるつもりはないよ」
ほんの少し言葉に詰まったのは、恋歌の遊女としての部分が善次郎に同情したのかもしれない。
もちろん、だからといって結論が変わるわけもない。一方、善次郎の方は恋歌の短い沈黙に気づくほどの繊細さを持ち合わせてはいなかった。
「死んでないさ。不死の身体を手に入れたんだ。お前が望むなら、お前にも分けてやれる」
「結構よ」
「そうか。生きるのが嫌かよ。それなら……」
目を細め、恋歌を値踏みするように見つめる。それでも、唇の端はつり上がっている。牙ののぞく唇を歪め、開いた。
「それなら死ぬかあ?」
「殺させないわ」
美雪が割って入る。
その姿を見て、善次郎は軽薄そうな笑いを浮かべて見せた。
軽薄そうな。
だが、勿論、本当に軽薄なわけではない。
本当に軽薄なだけであるわけがない。
「ふむ。今のは冗談さ。
それより、お前、昨日の小娘じゃないか」
恋歌には、その笑みに滲む憎悪と怒りが見えた。
美雪にも同じものが見えたのだろう。彼女の表情もこわばっている。
「会いたかったぞ」
獣の笑み。鬼の笑み。
「昨日のカラクリ、教えてもらわないとな」
カラクリ?
恋歌は表情に出さず、眉をひそめる。
善次郎は恋歌の違和感に気づかず、怒りと苛立ちと笑みの混在した顔で続ける。
「お前のような非力な小娘が、どうやって俺に傷をつけたのか」
わかってないんだ。
そのことに気づき、恋歌は叫び出したくなるような高揚を感じた。
そう。わかっていない。
善次郎はわかっていない。
自分が何故傷ついたのか、美雪の何が自分を傷つけたのか、理解していない。
それは、恋歌たちにとって大きな優位性だった。
美雪の武器がわからない善次郎には、美雪の弱みがわからない。そして、美雪の何を警戒すべきかわからないのだ。
「教えてもらうぞ」
「いいわよ。教えてあげる。今度は怪我じゃ済まさない」
強ばりながらも挑発的な笑みを浮かべて、美雪は善次郎に顔を向ける。
だが、教えては駄目だ。この有利な条件を無為に捨てることはできない。
高村晋輔も、そう考えたのだろう。
切っ先を目の高さに構え、美雪の前に出る。
「順番から言うと、こいつとやるのは、ワシが先だと思うのだが」
美雪はまだ牢に入っていない。
中にいる高村晋輔に格子を背にしながら間に入られると、美雪は善次郎の視線から遮られる。
「お前か。お前じゃ、役者として足りないなあ」
善次郎の苦笑いには、余裕の果ての同情さえ含まれているように見える。もちろん、実際には、こいつが晋輔に同情などするわけもないのだろうが。
「お前のためには別に余興を用意してあるのだが……」
そう言いながら、善次郎が腕を振り上げる。その手には、何も持っていない。
高村晋輔が左に踏み出すと同時にその太刀が動いた。立てていた刀が斜めに旋回する。 狭い牢の中で晋輔が移動した一歩は、その長い刀が旋回する空間を確保した。
善次郎の手には、何も握られていない。
その腕に、高村晋輔の太刀は容赦なく撃ち込まれた。
鬼の腕とはいえ、見たい光景ではない。思わず恋歌は目を逸らした。
生身の人間の腕なら、間違いなく切断されている斬撃だった。
だが、その生身の腕が、晋輔の刀を受け止める。晋輔の斬撃は善次郎の腕に多少食い込みながらも、切断はできずにいた。
そして、切断されるはずの生身の腕が、力で晋輔と拮抗し、全力で叩きつけられた太刀を押し返してゆく。
善次郎の口元には余裕がある。
高村晋輔の表情に余裕はなかった。
それはそうだろう。
斬りつけた太刀が、生身の腕に押されるなど、冗談としか思えない光景だ。
それでも、晋輔は辛うじて笑みを浮かべてみせる。
「昨夜よりは効いているのかな」
「ああ?」
恋歌には、晋輔の感想の意味がわかった。
昨夜、高村晋輔は、善次郎の頭蓋を割るような一撃を加えたにもかかわらず、逆に石でも叩いてしまったような衝撃を受け、太刀を取り落とした。
腕を切断できなくても、刃が肉に食い込んでいるだけ昨夜よりはマシだと言える。
その意味が善次郎にもわかったのだろう。
得心が言った様子で、更に笑みを刻む。
「嬉しいか?腕ぐらいでは即死にはならないからな。受け止めることもできる。頭蓋を割られたのでは死んでしまうだろう。俺が望む望まないにかかわらず、刀は弾かれるのさ」
なんだそれ。
恋歌は、聞いた言葉を反芻し、その出鱈目な話に顔を歪ませる。
即致命傷になるような斬撃は、自動的に弾かれる。そこまででない攻撃は、本人の意思によって受ける、弾くを判断できる。
無茶苦茶だった。
善次郎が左腕で刀を受けながら、右手をのばす。
開いた右手が、高村晋輔の抜き身の刃を掴んだ。
「なによ、それ」
素手で太刀を掴み、それを押し返す。
白羽取りどころでないふざけた技だった。
そして、もっとふざけたことが善次郎の左腕で起きつつあった。
高村晋輔の太刀によって刻まれた深い傷の中で、何かが蠢いている。
波の中で跳ねる魚のように。
肥溜めで動く無数のウジ虫のように。
善次郎の傷口の中で、血管が蠢く。
切断された血管が、筋繊維が元に戻ろうと探り合う。
「なんなのよ、その体」
「いいだろう?」
「……気持ち悪い」
だが、気持ち良かろうと悪かろうと、その力が圧倒的であることに違いはなかった。
太刀での両手の斬撃を、素手の片手で受け止め、押し返す。
その間に、受けた傷がふざけた形で再生してゆく。
不死の体。
その意味が恋歌や晋輔を打ちのめす。
強張りながらも刻んでいた笑みが、余裕を失い、恐怖に変わる。
「どうした?笑えよ。昨日よりマシなんだろう?」
「……」
晋輔は答えない。さすがに答えられない。
だが、そのときだった。
聞き慣れない音が響き始めたのは。
「じゃあ、あなたも笑いなさい」
美雪が低い声で呟くように言った。




