19.「遊女」その3
すみません。
活動報告に書いたとおり遅くなりました。
そして、すみません。
まだ遅くなっています。
本当は恋歌側の視点で進めたかったのですが、まだ仕上がっていません。
ですので、すでに書いていた「遊女」の視点の話を投稿します。
もっとも、順番的にはこれでいいので、結果オーライかな?
次回は恋歌の視点で進めます。
「遊女」は外が騒々しくなったのを、遠く静かに聞いていた。
布団の中。
彼女は一人だった。
人気のない彼女は自分の部屋を持ってはいなかったが、病に伏せるときには一人の部屋に押し込められる。ここはそういう部屋だった。実際のところは、半ば、彼女専用の部屋として使われていたが。
専属のカムロのいない彼女には、看病してくれるような者はいない。
そしてあの男も消えた。
あの騒ぎは、たぶん、あの男が起こしているのだろう。
何が起きたのか、おおよそのことは見当がつく。
善次郎が恋歌の前に現れたのだ。
それはつまり恋歌が殺された、ということだろうか。
それはわからない。
だが、おそらくはそうなのだろう。
まだ殺されていなくても、すぐにそうなる。
あの男を止めるなんて、誰にもできっこないのだから。
だから、恋歌は死ぬのだろう。
可哀想に。
ぼんやりとそう思う。
ぼんやりと。
そう。ぼんやりと、に過ぎない。
胸を引き裂かれるような悲しみ、ではない。
どうせ人は死ぬのだから。
ただ、恋歌の順番が皆が予想したよりも早く回って来たということに過ぎない。
そして、つい先ほどまでいたあの男のことを思い起こす。
彼との会話。
彼との相談ごと。
つまりは交渉を。
「よう」
と、善次郎は笑って見せた。
彼が笑うだけで、彼女の鼓動は乱れ、あるいは止まりそうになる。
立ちすくむ彼女を見て、善次郎は更に笑みを深く刻む。
だからといって大きく口を開けたわけでもないのに、その薄く開いた唇の隙間から異様に長い牙がのぞく。それを見るだけで、自分が命の危機に瀕していることを容赦なく感じさせられる。
肉食の獣。
違う。
吸血の鬼、だ。
その牙を見ただけで、「遊女」は震え上がった。
だが、
「怖いか、俺が」
「……そんなこと」
「怖いよなあ。もちろん」
勿論、善次郎は「遊女」のおびえを知っていた。
それを感じていた。
それを楽しんでいた。
「俺が何をしに来たと思う?」
何をしに?
鬼がすることなんて、彼女にはひとつしか思いつかない。
「私を……殺しに?」
「俺が?お前を?」
だが、善次郎は笑った。思ってもいなかった、とでも言うように。
「なんだよ。本当にそんな風に思ってるのかあ?」
善次郎はからかうように笑う。
「そんなはずないだろ。俺がお前を殺しに来た?そんなはずないじゃないか」
だって。
と、善次郎は「遊女」の顔を覗き込んだ。
「どうせお前死んじまうだろ」
息がとまった。
善次郎のからかうような視線が笑みを含んだまま、「遊女」を串刺しにする。「遊女」の表情が凍るのを捉える。
「放っておいても、お前、死んじまうだろうが」
「な、なんで……」
声が震える。
虚勢を張ることさえできず、「遊女」は震え、怯える。
「お前、病んでいるな」
憐れむような視線と容赦のない指摘。
「お前、病んでいるよな。匂うんだよ。血が匂うんだよ」
血が匂う?
そんなことがあるのだろうか。
わからない。
相手は鬼だ。
そのくらいのことはできるのかもしれない。
だが、相手は鬼だ。できなくても、そのくらいの虚言は弄するだろう。彼女の不安に付け込み、彼女を更に怯えさせて楽しむことくらいはするのかもしれない。そうして彼女を思うがままに操るくらいのことはするのかもしれない。
わからない。
困惑する彼女に、善次郎は問いかける。
「お前、どうしたい?どういうふうになりたいんだ」
「私は……」
難しい質問ではなかった。簡単なことだった。ここ数日、いや数年、「遊女」はそのことしか考えていなかったのだから。
それなのに、その言葉は彼女の唇から簡単に出てこなかった。
あまりに単純なその願いは、あまりに強く大きくなりすぎていた。
薄く開いた唇からでは出てこなくなるくらい。
それを口にするためには口が裂けるほど開かなければならない。
咽喉が裂けるほど膨らませなければならない。
胸が裂けるほど息を吸い込み、腹が裂けるほど力をためて。
彼女は叫ぶ。
「死にたくない」
叫んだはずの声は、しかし、小さく、震え、途切れて消える。
あまりに当然なその願いは、願うこと自体が彼女の苦境を認めることになる。
死の顎が背後に迫っていることを認めることになる。
それでも彼女は言った。
自分の恐怖を認め、願いを口にした。
「……死にたくないのよ」
「じゃあ、死ぬなよ」
それが善次郎の返答だった。
「嫌なら、死ななければいい」
「……あたしを馬鹿にしてるのね」
わかっている。
こんな男が彼女の恐怖をわかってくれるわけがない。
こいつは恋歌の頬を張ったという。女の顔を殴るような男が、病を患った遊女の苦悩を理解してくれるわけがない。ましてこの男は……
「見ろよ、おれを」
善次郎は自分を親指で指した。
「俺は死ななかった。俺は死なないことにしたんだ。俺がその気になれば、俺の死なない力をお前にもわけてやれる」
「死なない力……」
「遊女」は繰り返した。
目の前の男にはそれがあった。
死んだはずなのに、消えて。
消えたはずなのに、今、「遊女」の目の前で嗤っている。
「あんたは死なないの?」
「遊女」の言葉に善次郎は事もなげに頷いた。懐に手を突っ込み、それから、取り出した何かを無造作に放り投げる。
「遊女」の足元に転がったそれは短刀だった。しっかりとした柄拵えの。彼女は屈み、それを手に取った。
柄を握り、鞘から抜く。短いが良く光る刃が光った。
「嘘だと思うのなら、俺を刺してみな」
そう言われて、彼女は善次郎の顔を見上げた。
自分でもわかる暗い目だった。
おそらく、善次郎にも負けないくらい暗い目をしている。
自分でもわかる。
だから、彼女は躊躇なく、善次郎に短刀を突き刺した。
女の力とはいえ、渾身の力を込めれば人くらい刺せる。そのための道具だ。
「驚いたな」
楽しそうに善次郎は嗤った。幼い娘が初めて一人で立ちあがったように、うれしい驚きで、彼は「遊女」に破顔した。腹に刃を埋め込みながら、まったく痛痒を感じていないみたいに。
「こんなに簡単に刺すとは思わなかった。俺が普通の人間なら死んじまうぞ」
「それなら、あんたには用がない」
「遊女」は無表情に答えた。
気取る気も媚を売る気もなかった。
それが更に善次郎の気に入った。
「なんて暗い目で人を見やがる」
なるほど、と彼は頷いた。
「お前には鬼になる資格がある」
鬼。
もちろん、そういうことなのだろう。
あるいは化け物。物の怪。亡霊。とにかくそういう類のもの。
つまり。
死なない存在。
「本当……なのね」
「その気になれば、こんな刃物くらい弾いてやることもできるんだけどな。でも、この方がわかりやすいだろう」
善次郎は笑顔で訊き、「遊女」は頷く。
「あんたは鬼になったのね」
「そうだ。俺が血を吸えば、お前も鬼になれる。もちろん、人間のままではいられない。お前も化け物の仲間入りだ。飯も、水も、酒も要らない。ただ、咽喉は渇くぞ。死ぬほど咽喉が渇く」
「その渇きは、人の血を吸うことで癒すことが出来る」
「この渇きは人の血を吸うことでしか癒されない」
「だったら、人の血を吸うわ」
彼女は答えた。
自分の目が更に暗さを増したのを感じていた。
「だったら、私は人の血を吸う。人を殺す。大丈夫。私は躊躇わない。私にはできるわ」
「とはいえ。渇きは、本当に辛いぞ」
善次郎は念を押す。
やはり、「遊女」の顔を覗き込むように。
「遊女」の心の底を見透かすような笑み。「遊女」が怖気づくような嘲笑。
けれど。
彼女が弱音を吐くよりも早く、善次郎は身を引いた。
彼女の本音を聞くよりも早く。「遊女」の本心に責任も興味も感じていない素早さで。
それから、再び明るい顔になった。無邪気とさえ言いたくなる笑み。そして無責任な明るさ。
「でも、まあ……」
善次郎が言いかけた言葉に、「遊女」は気分を軽くして問いかける。
「なに?」
「まあ……楽しめよ」
そう言って善次郎は笑った。
その愉快そうな笑い声が、まだ耳の中に残っている。
善次郎はいない。
彼はどこかへ消えてしまった。
今はおそらく、あの騒ぎの渦中にいるのだろう。
だから、今。
彼女はひとりで考えている。
一人の部屋で。天井を見上げて。
善次郎の言葉。
善次郎の望み。
それは大したものではなかった。正直に言えば、彼女には意味がわからない。それは児戯に等しいことだった。
それでも、善次郎は望んでいる。彼女に「力」を与える代償として。
自分に齎される力と失われるもの。
彼女は、考えている。
いや、違う。
彼女は、考えているフリをしている。
彼女は。
彼女は、どうせ躊躇わないのだから。




