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15.宴の後

8月18日、訂正。

主人公の名前が間違えていたことなど。

また、当初は籐衛門を26人目の架空の出島町人としていましたが、25人の出島町人に憧れる「普通に裕福な商人」に変更しました。

 恋歌は思い出す。

 高村晋輔が真面目な顔で雨戸の桟を直していた姿。

 あるいは直そうとしていた姿を。

 性格がそうであるように、彼は手先も不器用だったらしい。

 幾度も金槌で自分の指を叩き、悲鳴をあげていた。

 その後ろ姿に恋歌は呼びかけてみた。

「ねえ、お武家様」


 恋歌だって、その気になれば、きちんとした言葉遣いくらいはこなせるのだ。

 なんといっても、相手を「気持ちよく」するのが恋歌たちの仕事だ。それは布団の中だけとは限らない。美貌と機転を見込まれ、太夫にと望まれたときから、お茶の入れ方から、花の生け方まで、一通り仕込まれてはきたのだ。言葉遣いくらい、その気になれば、だ。

 問題は、なかなかその気になれないことなのだが。

 だから、しょっちゅう、遣り手や楼主に叱られている。

 だが、本当のことをいえば、布団の中での「技術」についてこそ、恋歌は何も教わっていなかった。

 言葉では遣り手から説明を受けたし、姉女郎の楓から「色々」聞いてはきた。楓の「色々」というのは、それこそ本当に色々なのだ。恋歌も郭の少女たちの例に漏れず、十分に耳年増だと言えた。

 だが、それはあくまで言葉でのこと。

 楼主の考えによれば「売れる女は客に磨かせる」のがいいのだそうだ。

 美しく、芸もこなす格の高い女が、男との事だけは初で、男にひとつひとつ仕込まれてゆく。

 そういうのに男は燃えるのだそうだ。

 つまり、そういうのが楼主の趣味なのだろう。

 尊敬できるような趣味ではないが、桜泉が丸山で一二を争う遊女屋としての地位を維持していることから考えると、楼主の趣味が強ち特殊だとは言い切れない。

 もちろん、そんな女が受け入れられるためには、客の側に女の拙さを楽しむ余裕がなければならない。つまり金持ちだ。

 決められた短い時間の中で手っ取り早く快楽を求めるような客、つまり貧乏人を相手にそんな遊女をあてがうことはできない。

 彼らを相手にする並の女郎には手練手管より性的な技術が要求される。

 そして、もちろん、恋歌は格の高い前者だし、目の前の若い侍は、客として後者であるに違いなかった。

 高村晋輔の生い立ちを恋歌は知らないが、仇を追って江戸から長崎まで来た侍が、大金をいつまでも抱えていられる筈もない。

 だからこそ、彼は客としてではなく、素人職人として郭に置いてもらっているのだろうし。

 まあ、彼が客になることはないだろうから、恋歌には関係のない話だが。

 逆に言えば、彼が恋歌の客になることがあり得ないからこそ、恋歌はこの若侍にズケズケと聞けるのだ。

 考えてみれば、かなり切り込んだ質問だった。

「あの善治郎という男、なんで高村様のお父様に手をかけたの?」

「奴は心が歪んでいるのだ」高村晋輔はそう答える。

 そして、そう答えられると、さすがに恋歌には反駁できない。

「そうなんだ……。そうだよね」

 実際、恋歌が接した短い間だけでも、善治郎の異常さは理解できた。

 確かに、彼なら大した理由もなく人を殺すこともあるのかもしれない。

 大した理由もなく人を殺した、と言われても恋歌は納得する。

 とはいえ、彼が本当に「まったく」理由がなく人を殺すかどうかは、わからないが。

 普通の人間には納得できなくても、彼にとっては正当な理由があるのだろう。

 高村晋輔の父は、どうしてあの男の怒りを買ったのだろう。その死が、善治郎にとっては、どんな喜びをもたらしたのだろう。

 さすがにそんなことは訊けずに、恋歌は質問を穏やかなものに変えた。

「お父上はどんな方だったの?」 それは実質的にこの話題の打ち切りと同じだった。

 高村晋輔が例えば「優れた武士であった」とでも答えたら、恋歌が相づちを打って、会話は終息するだろうから。

 だから、高村晋輔の答えは予想外のものになった。

「ろくでもない男だった」

 高村晋輔はそう答え、恋歌は言葉を失い、結局、会話は終息した。

 それが、今夜、恋歌が覚えている高村晋輔との最後の会話だった。

 別に彼が死んだわけでもないのだから、明日も機会があれば、話せるだろう。

 話そうと思えば。

 あれが「最後の会話」になるわけもない。

 けれど。

 明日、自分はどんな顔で高村晋輔に会うのだろう。

 恋歌はその答えを自分で用意できていない。

 そして、結局、不器用な高村晋輔は雨戸の桟を直せなかった。

 

 *


 ろくでもない父親が殺されて、心の歪んだ仇を追って終わりの見えない旅をする。

 恋歌には、それはひどく救いのない日々に思える。

 しかも、それはあらかじめ見えていた日々だ。

 敵討ちはほとんどが失敗に終わるか、終われない旅になるのだ。

 仇を追わない、という選択肢はなかったのだろうか。「ろくでもない父親」というのがどんなものなのか、恋歌には想像できない。赤の他人が「ろくでもない」と酷評するのならともかく、評するのは実の息子なのだ。それも、武士の。

 父親に対する孝心は、幼い頃から刻みつけられているはずだ。

 あるいは武士なら自尊心もあるだろう。

 自分の父親に対して「ろくでもない」とは、身内の恥を晒すようなものだ。

 それでも酷評したくなるような、そんなひどい父親なら、「仇を討たない」という選択肢はなかったのだろうか。

 その辺の武士階級の事情を恋歌は詳しくは知らない。

 別に知りたいとも思わない。

 だから、考える必要なんてない。

 わかっている。

 恋歌が高村晋輔のことを考えてやる必要なんてない。

 今、恋歌が考えることは。

 わかっているとも。

 恋歌が考えるべきことは。

 笑顔の作り方だ。


 もう楼主はいない。

 籐衛門と面白くもない会話をして、籐衛門の注意を引き続けてくれる者はいない。彼は恋歌を籐衛門に押し付けると、いや、籐衛門を恋歌に押し付けると、自分はさっさと部屋を出て行ってしまった。

 ここは。

 恋歌の部屋だ。

 高村晋輔はここにはいない。

 恋歌と恋歌のカムロの部屋だ。 少なくとも楓のときはそうだった。

 楓といたとき、恋歌は何も心配しないですんだ。

 恋歌の美貌は既に丸山全体に広まっていたし、将来を嘱望された美貌のカムロということで、彼女はたぶん恵まれた環境にいたのだと思う。そして、そんなカムロを付けられるくらいだから、楓も桜泉楼では最も人気のある遊女だった。

 楓が客と食べた食事の残りを、いつも恋歌や美雪は美味しくいただいたし、客の帰った部屋では楓といつも笑っていたような気がする。

 楓は恋歌をからかい、美雪をからかい、恋歌たちもそれを楽しんでいた。

 この部屋も、恋歌とカムロにとってそういう部屋にしたいと思っていた。

 だけど、今、この部屋の主人は恋歌ではない。

 初めてこの部屋に来た男。

 目の前の男がこの部屋の主だ。

 恋歌が望んだはずの男だ。

 羽村籐衛門。

 自らを26番目の出島町人と呼んでいる男だ。

 出島町人というのは、出島を建設する際にその費用を出した25人の商人たちだ。

 長崎を長崎たらしめている異国との貿易。

 そのオランダ人が駐留する出島は、実際にはオランダ人のものではない。

 それを作らせたのはもちろん幕府であったし、その資金は当時の長崎の有力者たち26人の出資によった。いわば、オランダ人はそこを借りているようなもので、毎年55貫を彼らに支払っている。この莫大な金額を、25の商家は分配していた。彼ら出島町人と呼ばれる商人たちは、元をとったと言っていいだろう。

 とはいえ、その中に羽村家は名を連ねていない。

 彼が言うのは単に、自分が出島町人並みに裕福な商人であると誇っているだけだ。実際には出島町人以外にも富裕な商家はあるのだから、彼の言う「26番目」には何の意味もない。

 それでも、羽村藤次郎は、丸山で一番金を使う男として知られていた。どの揚屋も彼を客として望み、多くの遊女たちが彼に贔屓にしてもらえることを心から望んでいた。とはいえ、行き過ぎた豪遊は実際の出島町人たちからも顰蹙を買っていたが、本人がそれを気にする様子はなかった。

 出島建造の費用を出した商人たちの末裔。

 自らを彼らに準えるほどの商人。

 彼に贔屓にしてもらえれば、郭での生活は安泰だ。

 彼に身請けしてもらえれば、何も心配は要らなくなる。それが恋歌の望みだった。

 そのはずだ。

 籐衛門なら、善次郎よりはマシだろう。

 今のところ、女を怯えさせて喜ぶような面は見せてこない。

 きっと、あんなのは例外中の例外の悪い男なのだ。そうであって欲しいと思う。

 だから。

 恋歌は喜ぶべきだ。

 楼主が喜べと言ったとおり、喜ぶべきなのだ。

 なのに。

 何故喜べないのだろう。

 善次郎を相手にしてさえ、恋歌は身請けされる野心を抱いていた。

 あの男に比べれば、籐衛門は何倍もマシな男のはずだ。

 籐衛門は優しい。

 いきなり太夫の胸元に手を入れてくるようなマネはしない。

 郭の礼儀に則り、太夫との会話を楽しんでいる。

「こっちへ来い」

 だから、恋歌も逆らわずに籐衛門の隣に座ることができた。

 彼に肩を抱かれながら、彼の杯に酒を注ぐ。

 彼は杯を呷り、恋歌に返杯する。

 恋歌も酒を飲んだことはある。楓につきあわされたのだ。だから、飲めないわけではない。本当は、いまだに好きになれずにいるのだが。

 籐衛門に注がれた酒は飲むようにしているが、口に入れた後はどうしても顔をしかめてしまう。もっとも、籐衛門はそんな恋歌の仕草が楽しいようで、優しい目で恋歌を見ている。

「無理はしないでいいぞ」

 と籐衛門は微笑む。

 それくらいなら注がないでほしいとも思うが、これでも藤次郎は控えめにしているつもりらしい。

「酔っ払って吐かれでもしたら大変だからな。お楽しみはこれからなんだ」

 籐衛門は笑う。

 お楽しみ。

 その意味するところを思い起こし、恋歌の鼓動が拍子を狂わせる。

 駄目だ。笑顔を消すな。

 そう自分に命じ、笑顔を凍らせて維持する。

 怖がっている。

 そう。恋歌は怖がっている。それは当然だ。初めてなのだから。

 でも。

 怖いだけじゃない。

 恋歌は気づいた。

 本当は。

 本当は、恋歌は嫌がっている。

 そうだ。恋歌は嫌がっていた。

 こんな男に抱かれることなど、恋歌は望んでいなかった。


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