14.宴席
「わしは気にしておらんぞ」
籐衛門はそう言って、鷹揚に頷いて見せた。
それは勿論、籐衛門が非常に気にしていたことを示していた。
無理もない、ということになるのだろう。
以前から目をつけていたカムロの最初の客の座を、江戸から来た得体の知れないよそ者に奪われ、彼は立腹していた。長崎有数の商家であり、その位置付けを誇っていた男が、望む女を余所者にとられた。彼にとっては、自分の財力を蔑ろにされたようなものだったらしい。けれど、その男が不名誉な殺人者であることがわかり、彼が目をつけていた遊女に手をつけるよりも先に消えたことで、彼の溜飲は多いに下がっていた。
「わしは気にしておらん」
何度目になるか、籐衛門は再び繰り返した。
それから、ただな、と本音の開陳を始めた。
「ただ、わしにはお前という男がわからなかった」
「申し訳ありません」
深く頭を下げながらも、楼主は籐衛門が上機嫌であることに安堵し、酒と肴を手早く並べさせている。
籐衛門が上機嫌であれば楼主の機嫌も悪くなく、そうなれば、恋歌も安心して座っていられる。もちろん、この後起きることを考えないようにするために、自分に平静を要求し続けているのだ。
「桜泉はこの丸山でも一二を争う遊女屋だ。いや、わしは一番だと思っておる」
「ありがとうございます」
礼を言いながら、楼主は籐衛門へと酒を注ぐ。
それを黙って受けながら、籐衛門は不愉快そうに楼主の顔を見据えた。
「その丸山一の遊女屋が、何故丸山の矜持を捨てるのだ」
「矜持、でございますか?」
「わしはよそ者は好かん。なぜ、丸山一の美貌の太夫の突き出しを得体の知れん男にくれてやるんだ」
「おっしゃるとおりです。私の不明でございました」
「ほんとうにわかってるのか?長崎の男の沽券にかかわることだぞ」
沽券?
遊女の初夜の相手が?
長崎男の沽券とやらも軽くなったものだ。
恋歌は笑顔を維持したまま、心の中でそう呟いた。
だが、籐衛門は大真面目な顔で自説に頷いてみせる。
「ここは丸山一の遊女屋だろう。長崎の男が桜泉をそこまでにしたんだ。言うなれば、ここの遊女は長崎の男皆が育てたようなものだ。そこで一番の太夫を江戸の男に摘まれるというのは、長崎の男が笑いものにされるということだ」
「おおっ。よくぞおっしゃってくださいました」
大声を張り上げ、楼主が膝を打つ。
「廓の者の考えに、長崎の矜持まで考えてくださってのは籐衛門様が初めてです」
とりようによっては馬鹿にしているみたいだ、と恋歌は思ったが、上機嫌の籐衛門は悪い意味など想像さえする様子がない。
「郭に住むものにとって、最高のお言葉だ。郭の女の突き出しに、そこまで思ってくださる方がいるというのは本当に心強い。そういう風に考えてくださる方が一人でもいると思えると、自分のなすことに多少なりとも重みを感じられます」
楼主が感涙にむせぶように声を詰まらせ、籐衛門は鷹揚にうなずく。茶番と感じている恋歌には馬鹿馬鹿しいだけだったが、それを口にするほど愚かではなかった。
「ああ、籐衛門様。最初からあなた様のお考えを伺っておけば、私もあのような不明をなさずに済んだでしょう」
「そうか。なら、もっと話を聞かせてやりに通う必要があるな」
「是非、お願いいたしたい。恋歌などより、私の方が頻繁にお話を伺いたいものです」
真剣な顔をして。
真剣な顔を装って、楼主が頷く。
満更でもないのだろう。籐衛門はにやりと頷いた。
「そうか。嬉しい物言いだな。だが、生憎、お主の面を見ても、わしは心が寛がぬ」
「これは冷たいおっしゃりようだ」
楼主が言い、籐衛門も予め約束していたように、声を合わせて笑った。
そろそろ頃合だと思ったのだろう。楼主は最後にもう一度籐衛門に酒を注ぐと籐衛門の膳の前から下がった。
「では、やむをえません。お出でくださったお客様を寛がせられなかったとあっては、桜泉楼の名が廃ります。そろそろ私は引っ込みましょう。恋歌も先ほどからヤキモキして私を睨んでおりましてな。ここから先は長崎最高の 傾城(遊女)がお相手をさせていただきます。どうぞごゆっくりお寛ぎください」
「うむ」
籐衛門が満足げに頷くのを確認して楼主は振り返り、恋歌に顎をしゃくった。
ようやく二日目の夜が始まりました。
でも、吸血鬼が出てくるのは次回投稿分くらい、かな。




