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8月17日 文字訂正しました。

「晋輔」が「真輔」になっていたものなど。(主人公なのに!)

「あんた、馬鹿じゃないの?」

 呆れたような声を浴びせられ、恋歌はうなだれた。


 桜泉楼に戻った恋歌は、楓の部屋に入り込んだ。

 やはり、ここは落ち着く。

 数日前まで、ここは恋歌たちの部屋だったのだ。

 カムロは自分の部屋を持たないから、姉女郎の部屋で暮すことになる。

 もちろん、姉女郎が客と過ごしている間は、廓の他の場所へ「気を利かせて」離れている。だが、客が帰った日中は廓は閑散としたものになるし、遊女やカムロもそれぞれの場所で食事をとり、眠れない夜の代わりに休みを取る。遊女は、この暇な時間帯に馴染みの客に手紙を書き、無沙汰を嘆き、想いを綴る。少なくとも想いがこもってるように思える手紙を書く。それらは普通、若衆に届けさせることになる。

 恋歌もここで、楓の手紙の代筆を何度もしたことがある。

 人気のある遊女とはいえ、そういう手練手管の手を抜くわけにはいかないのだ。

 楓の部屋にはちょうど美雪も来ていた。やはり恋歌と同様、楓の部屋は寛げるらしい。

「体は大丈夫、波路?」

「うん。大丈夫だよ。助けてくれて、ありがと……千鳥」

 美雪はカムロ時代の名前を呼んだ恋歌に答えて、カムロ時代の名前で呼び返した。

 自分で始めたそれが面映ゆくなって、恋歌は首を振った。

 美雪から視線を外すと、楓の視線につかまった。

 情けない、と妹女郎を呆れている視線に。

 だから、恋歌も姉女郎の叱責を反芻することにした。

「馬鹿……だった?そうなのかな。無理だった?」

「あったり前じゃないの」

 怒りより嘆くような顔で、楓は天井を見上げる。言いたいことが山ほどあったのだろう。そこに愚痴やら文句やらが書いてあるみたいに楓はしばらく天井を睨み付けていた。だが、その量があまりに多すぎたのかもしれない。結局、楓は何も言えずに首を振った。

 しばらくそうして首を振っていたが、それでも言わなければならないと考えたのか、眉根に皺を思い切り刻みながら、楓は恋歌を睨みつけた。

「妻子ある男の家に廓の女がいきなり押しかけてきたら、どんな愁嘆場が待ってると思うのよ」

「だって挨拶だけだよ」

「だけ、じゃない。世間一般の女は、旦那の服に紅がついているだけで目を吊り上げます。女の匂いがするだけで、旦那を叱ります。女の影があるだけで金切り声で罵ります」

「逆効果だった?」

「逆っていうか、もう全部終わり」

「そんなあ」

「何のために手紙を書くのよ。何のために私たちが、若衆に手紙を届けさせると思ってたの」

「直接会いに行ったほうが喜ぶと思ったのよ」

「喜んだ?」

「顔色、真っ青だった」

 そのときの籐衛門を想像したのだろう。楓は笑い出した。

「だろうねぇ」

「根性ないよね」

「ああ、もう」

 頭を抱えて、楓は嘆いた。

「少しくらいきれいだって、これじゃ意味ないわ。少しは常識ってもんを身につけなさい」

「私の美貌は、少し、じゃないと思うけど」

「その辺の口応えが『先輩に対する礼儀』という常識の欠如を示しています」

「……どうすれば常識を習得できますか」

 恋歌の問いに、楓は笑った。

 満面の笑みだった。

 恋歌がげんなりするような笑みだった。

「まずは肩のもみ方でも練習してみようか」

「でた」

「口答えは礼儀違反です。これ常識」

 そう言って、楓はカラカラと笑った。

 恋歌はため息をつき、首を回す楓の後ろに座った。

 自分は物事を学ぶ力がないなあ、と思いながら。


   *


 人の肩を揉むというのは、その人の肩の痛みを自分が背負うということに違いない。

 楓が背負っていた肩の痛みを自分の肩に移した恋歌は、楓の部屋から出ながら、背負ってしまった重みを振り払うように肩をぐるぐると回した。

 こんなことはしょっちゅうなのに、それでもつい楓に貼り付いてしまう。

 学習しないなあ、と改めて自分を思い、ため息をひとつこぼす。

 それから顔を上げて周囲を見渡すのと同時に、恋歌は大声で笑い出した。

 恋歌の前では、高村晋輔が脚立に乗り雨戸の桟を直しているところだった。

「あんた、何やってるのよ」

「雨戸を直している」

「何で」

「ここに置いてもらうために、仕事を貰った」

 へぇ。

 聞けば、晋輔は恋歌が外を歩いている間に楼主に頼み込んだのだという。

 若衆では雨戸を直せず、人手が足りなかったから、楼主も適当に仕事与えたのだろう。どうせ、報酬はここに置くことだけなのに違いない。

 意外にどちらにとっても、悪い取引ではないのかもしれない。

 高村晋輔にしてみれば、運が良ければ、食事にもありつける。

 もちろん、その「食事」というのは客の残飯にすぎない。

 こんなところにいるために仕事をね。真面目なこと。

 あれ?

 恋歌はそこで真っ先に疑問に感じるべきことをようやく感じた。

「あれ?でも、なんでここにいたいの?」

 恋歌がそれを訊くと、晋輔は少し困ったように目を逸らした。その整った横顔に、正直に言えば無駄に整った横顔に、恋歌は声をかける。

「あいつ、死んじゃったんでしょ?」

「それはわからん」

「いや、死んでたでしょ……」

 軽い口調で言いかけたが、さすがに明るく話せる話題ではなかった。

 言いよどむ恋歌に、高村晋輔は困ったように頷いた。

「そう思っている」

「思ってる?」

 いや、彼は死んだ。

 それで決定だ。「思ってる」なんて曖昧なものではないはずだ。

 だが、晋輔は恋歌から視線を外したままぽつりと呟いた。

「あいつはまた戻ってくるかもしれない」

「戻ってくる?」

 意味がわからなかった。

 殺された男がどうやって戻ってくるというのだろう。

「そりゃ、死体は見つかってないよ。でも……」

「納得できないんだ」

 高村晋輔は、母親に見つかった悪戯の言い訳でもするみたいにはっきりしない口調で言った。

「あいつが死んだなんて思えない」

「……うん」

 つまりはそういうことだ。

 恋歌は納得した。

 高村晋輔が納得できないということが、恋歌を納得させた。

 彼は現実を認められないのだ。

 仇を他の人間に殺された、ということ。その死体が見つからない、ということ。

 つまり、高村晋輔は江戸に帰参できない、ということが。

「うん……」

 だから、恋歌は頷く。

 頷いてやる。

 失意の若侍を追い詰めないために。これ以上、彼を苛まないでやるために。

 美雪を助けてくれた若侍に同情して。

「探してみようか」

「……何を」

「何って……」

 善次郎の死体を、とは恋歌は言えなかった。

 現実的に可能かどうかもわからなかった。

 突き出しに、失敗したとはいえ、恋歌は太夫だ。若い男と昼間から出歩いていれば、変な噂を立てられるかもしれない。それは新しい客を必要とする恋歌にとって、邪魔なものになるだろう。

 そもそも、どこを探せばいいというのか。本来ならここの地下で消えたのだから、地下を探すべきなのだろう。だが、ここはすでに探されている。それこそすべての扉を開き、箱の中を調べて、隅から隅まで調べられている。現実的には、もはや探しようがないのだ。

 だが、恋歌は彼に借りがある、と思っている。

 高村晋輔は、他の侍なら切り捨てたであろう恋歌の友人を助けてくれた。

 少なくとも、人質もろとも仇を殺そうとはしないでくれたのだ。

 おそらく、それは稀有なことなのだと思う。

 仇を討てるかどうか、というのは、武士にとって、それほど重要なことなのだ。

 彼はこれからどうなるのだろう。

 せめて死体があれば、「不首尾」という形で仇討ちの旅を終りにすることができるかもしれない。

 他の者に仇を殺されたのは残念だが、殺されてしまったものは仕方がない。どうせ人を殺し、仇として追われるような男だ。他で恨みを買うこともあるだろう。自分で手を下せなかったことは残念だが、それにしたって因果応報、殺されるべきものが殺されたのはめでたい事でもある。手放しで喜べずとも、日常に復帰することは許されるはずだ。

 だが、仇が消えたままでは、敵討ちを終わりにすることさえできない。

 高村晋輔の旅は終われないのだ。

 結局、何も言わずに恋歌は目を逸らした。

 しかし、そのとき、高村晋輔の言葉に容認できない要素があることに気づいた。

 戻ってくる?

 何故?

 彼が仮に生きている、として。あの鬼から逃げ、どこかでうまく身を潜めているのだとしても。

 仇である自分が討手に見つかったのだ。返り討ちにする自信でもなければ、逃げるのが唯一の選択肢だろう。戻ってくるなど、理由がない……はずだ。

「戻ってくるって……何故?」

 嫌な答えを想像しながら、恋歌は訊いた。

 嫌な答えは返ってこなかった。

 ただ、嫌な視線が恋歌を捉えただけだ。

 それだけで、恋歌は高村晋輔の導き出した答えを想像できた。

「……つまり、私が目的ってこと?」

「ヤツが戻ってくるようなら、そういうことになるだろう」

「そりゃ、あたしは美人だけどさ……」

 恋歌が言い、カムロは堪えようもなく眉をひそめた。

「あいつは、子供だ」

「子供?」

「欲しがった玩具は手に入れるまで諦めない」

「……えーと、その玩具ってのは、もちろん……」

「おぬしだ」

 高村晋輔は恋歌に一瞥を与えながら答えた。

「最低」

 と、恋歌は呟いた。

 けれど、心の中での呟きは更にひとつ追加されていた。それが恋歌にとっては救いだった。

 でも、それってあいつが死んでなかったら、の話でしょ?

 忘れたくても忘れられないあの情景を思い起こせば、その可能性は殆どないと思えた。

 だから、恋歌は本気で心配しないですんだ。

 だから、恋歌は本気で心配してはいなかった。

 心配する必要を考えていなかった。

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