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105/121

105.対決 6

2014/06/28 文字訂正。

同時に「首を切り落とされた」はずの善次郎の表情が歪む部分を訂正。(我ながらこういうミス多いです)

「高村善次郎」?

 と、高村晋輔が善次郎を呼びかけたのを、恋歌は聞いた。

 考えてみれば、恋歌は善次郎の姓を聞いていなかった。

 この男を初めての客として迎えたとき、この男は商人として名乗っており、姓がないのが当たり前だった。もちろん、屋号はあったのだが、それは姓とは違う。


 晋輔と同姓?

 と思いかけたとき、高村晋輔は今度は善次郎を兄と呼んだ。

「死ぬのだ、兄上」


 ありえない。


 恋歌は武家のあり方に詳しいわけではない。

 まして、善次郎や晋輔の事情を詳しく聞いているわけではない。

 だが、この時代に生きるものとして、それが通すべき筋から外れていることは理解できる。


 呼びかけられた善次郎は笑っている。

 腹部に強烈な一撃でもくらったみたいに体を二つに折り、苦しそうにしながら、それでも耐えきれない笑いに体を震わせていた。

 

 その苦しそうな笑い声に、思わず恋歌は動きを止める。

 善次郎が手を離したのに、逃げることも忘れて善次郎を見つめてしまう。


 この男が晋輔の兄?

 その意味を考える。

 同じ姓を持つ関係を想像し、この状況に当てはまるものを推測する。


 そして思う。

 ありえない。


 例えば兄弟であることがありえないのではない。

 似ていなくても、年が離れていても、兄弟ではあり得る。

 母親が違うかもしれない。両親ともに違うのかもしれない。養子だなんて、武家の世界ではそうめずらしいことでもない。

 恋歌は瞬間的に、事実にかなり近い状況を想像した。


 だが。

 それなら、弟にとって兄は敵討ちの対象となるだろうか。

 ありえない。


 仇討ちは、武士道の発露である。

親への孝心や主君への忠誠心に基づく仇討ちは、体制にとってはある意味好都合だ。この世の中は上に立つ権力者への忠誠心によって成立している。実際がどうであれ、建前というのは必要だし、この建前によって世の中は回転していることを恋歌だって理解している。

 だからこそ、殺された者の遺族は何の制約もなく復讐を許されるわけではないのだ。

 まず第一に、殺された側の死が上意であった場合は復讐は許されない。つまり主君に死を命じられたり、主君によって討たれた場合にはそもそも反発することが許されない。もちろん、その死が犯罪に対する罰であった場合には、復讐など問題外だ。

 また、復讐を為すために、一時的であっても相手の庇護下に入ることはできない。例えば身元を偽り、相手の家に一日でも召抱えられればそこで主従関係が成立する。相手が自分の主となってしまった以上、その命を狙うことは許されなくなる。

 そんな規範に縛られている武士が、例えば養子という関係で、数年とはいえ兄となったものを敵と追うことが許されるだろうか。


 諾、とは恋歌には思えない。無理だ。だからありえないのだ。


 だが、もし、それを可能にできるとするなら、その「無理を通す力」とはどれほどのことなのか。

「金を使って無理を通した」と晋輔は言った。その弟とやらは、さぞ有能な人物なのだろう。

 もちろん、その力の源は金だ。

 だが、金は金でしかない。金がいくらあっても、ただ「ある」だけでは人は動かない。

 人を動かそうとするなら、その金の「使い方」を知らなければならない。高村晋輔の弟とやらは、よほど金の使い方に精通した人間であるはずだった。


 おそらく高村晋輔を時間をさかのぼって廃嫡させる。あるいはそもそも父親の生存中に勘当されていたことにしてしまったのかもしれない。


 そのためにはその弟の力だけでなく、周囲の人間の協力も必要になるはずだ。金の力。そしてその金を集める人脈。求める人脈。金を回し続ける人々の流れ。

 

 すごい、と思う。

 思わないではない。

 そんな男が贔屓にしてくれたなら遊女としての地位は安泰だろう、などと打算的な考えまで脳裏をよぎる。


 だが、それほどの「力」か作用したのなら。

 それほど強引に高村晋輔を「排除」したのなら。


 彼は本当に二度と自分の家に帰参はできない。

 きっと敵討ちの成就が証明されても、江戸に戻ることが許されても、高村家に晋輔の居場所はないのだ。


 それらの理解が、めまぐるしい速さで恋歌の意識に組み上げられてゆく。


 同時に恋歌の視界を占めていた暗闇が、高村晋輔の一撃によって切り裂かれていた。

 晋輔が殴打を加えた雨戸が、ゆっくりと外側へ倒れだしたのだ。


 それを見て善次郎が笑うのをやめる。


 不死者善次郎は、自らの危機を認識したのだろう。ゆっくりと身を起こした。

 その視線は恋歌と平行に倒れゆく雨戸に向かっていた。


   *


 最初の雨戸がゆっくりと倒れだしたとき、善次郎の顔には恐怖があったのを恋歌も見ていた。


 太陽の光を弱点とする吸血鬼にとって、恐怖は当然だ。

 だが、同時にある程度のゆとりもあった。

 彼は知っている。雨戸は倒れないだろう。

 そのゆとりを感じただけで、晋輔が表情を絶望に曇らせるのも恋歌は見た。


 もちろん、晋輔はわかっているのだろう。雨戸は倒れないだろう、と。

 自分で直した雨戸にどの程度の頑丈さがあるか。

 一枚の長い板を使い、雨戸全体が倒れぬように補強してある。この真面目な若侍は、手抜きすることもなく、細かい間隔で板を打ち込んだという。

 恋歌もそれを聞いていた。だから、晋輔の失意が、彼女には伝わった。

 所詮、ただのはったりだった。

 負ければすべてを失う博打でしかなかった。この怪物を相手にするには、他に方法がなかった。彼には正面から吸血鬼を倒す手段がないのだ。


 それでも、晋輔が雨戸に加えた打撃によって、雨戸は外側へと傾斜した。

 長年の風雨に曝されながら、楼主の吝嗇によって本格的な修繕を加えられなかった雨戸だ。磨り減った雨戸は、その高さを僅かに短くし、辛うじて掛かっていた鴨居を、軽い打撃で外れてしまった。僅かな力を加えられただけで、それは簡単に倒れ始める。


 まして、晋輔は渾身の力で横撃を加えたのだ。


 微かに掛かっていた鴨居を折られ、雨戸は外れた。それを支えたはずの板は、短い釘でしか止められていなかったため、雨戸の重量を支えきれずに外れた。

 一本の釘が引き抜け、雨戸が倒れだす。


 次の釘も雨戸を支えようとして、しかし堪えきれずに引きぬけてゆく。


 長い板は、剥がれることによって次の雨戸の支えをはずしてゆく。一枚の雨戸を支えきれなかった板が、二枚の雨戸を支えきれるはずがない。

 二枚目の雨戸が外れ、更に三枚目の雨戸が外れたとき、最初の雨戸は濡れ縁の手摺に触れる。


 そしてそこを越えようとして……止まった。

 

 濡れ縁の手摺だけなら止まらなかった。補強した板だけなら支えられなかった。

 けれど、がたん、と音を立てて、雨戸は止まる。手摺と補強板。その両方の支えで雨戸は止まった。真面目な高村晋輔は、不完全ではあったがあくまで真面目に修理を終えたのだ。二階から雨戸が次々と落下するような無様な事態だけは、彼は止めることに成功したのだ。


 そうして雨戸の転落は止まった。


 善次郎の安堵は見ていてはっきりとわかるほどだった。

 晋輔のハッタリを看破していた善次郎だったが、それでも陽光が差し込む恐怖は耐え難いものだったのだろう。

 だが、雨戸の傾斜が止まると、善次郎の体から力が抜ける。

 同時に余裕を取り戻した善次郎は、失敗した晋輔を嘲笑う。

「残念」


 雨戸は倒れない。


 陽光は雨戸の閉まった郭の中には差し込まない。


 高村晋輔と恋歌の……負けだ。

 善次郎は嗤う。


 だからこそ、恋歌は叫ぶ。

 もう一度、恋歌は叫ぶ。


「止まるなっ。来いっ」


 短い逡巡。だが、もはや彼に選択肢はない。

「おおっ」

 晋輔ももう一度応え、そうして、高村晋輔は強く踏み出した。


 ドン。


 その踏みこみの一歩は、居合のそれのように深かった。

 その一歩の振動が郭全体を揺らしたようにさえ、恋歌には思えた。


 その踏み込んだ足の強い揺れか。


 それとも廊下を駆け抜けようと走る高村晋輔の足が起こす細かい振動か。


 あるいは風か。はたまた単なる偶然なのか。


 ぎいっと軋む音がした。


 雨戸の重みを辛うじて支えていた釘が、その僅かに加わった小さな力に耐えきれず、引き抜けた音だ。


 自分を支えていた板を縁から引き剥がしながら、雨戸が倒れてゆく音だ。

 雨戸を辛うじて支えていた濡れ縁の手摺。その上での拮抗が崩れた音だ。

 薄く長い板は雨戸の重みを支え切れず、雨戸の重心はゆっくりと手すりの縁を越えてゆく。

 もちろん、細かく打たれた釘は倒れゆく雨戸を支え続ける。だが、倒れ始めた雨戸は一枚二枚と薄い板に重量を重ねてゆく。短い釘が支えていた補助の板も、その力に負けてゆく。一旦抜け始まった釘は、一本一本が浅く短いものであったために次々と引き抜けた。もはや鴨居を補助する薄い板は、細かい釘を一気に引き抜く釘抜きの役割しか果たさなかった。


 そうして手すりの上でくるりと回り、雨戸は落ちた。一枚の雨戸が外れると、次々と隣の雨戸がそれに続いた。


 ぱたん。

 ぱたん。ぱたん。


 次々と雨戸は倒れ、その度に光の領域は広がってゆく。

 拡大する光の領域に、善次郎が後ずさりした。

 突き立てられた高村晋輔の太刀まであと数歩まで近づきながら、この鬼は後退した。


 高村晋輔は確かに補強したはずなのに。


 高村晋輔はとても真面目で。

 彼は釘を何本も打ち込んだ。

 ただ、その釘が短すぎたのだ。


 彼は戦うことに関しては天才的なまでに器用で。


 だけど、とても不器用だった。


「こ…の、下手くそ……」

 思わずつぶやいた恋歌に走りながら、晋輔がすまん、と謝る。謝りながら、晋輔は自分が突き立てた太刀を引き抜いた。



 迫る光の領域から、善次郎が恋歌を抱いたまま後退する。しかし、雨戸の倒れる速さはそれ以上に早かった。低く嘲笑を聞かせていた善次郎の口から、今は微かな悲鳴が聞こえる。悪態が聞こえる。

「くそっ」

 津波のように、雪崩のように迫りくる光の壁を前に、鬼が息を吸い込むのが聞こえた。


 暗闇に慣れていた目には光はまさに壁だった。

 その壁に遮られ、隠され、突進してくる晋輔の姿は恋歌には見えなかった。

 その小刻みで不規則だが力強い足音だけが、晋輔の急速な接近を伝えた。

 傷ついた足を強引に動かしている彼の乱れた足音が。

 恋歌は再び叫ぶ。

「走れ、晋輔っ」

「おおっ」

 光の中から彼が応じる。


 瞬間、光の壁が善次郎を包んだ。


 恋歌の周囲が靄に包まれたように白く霞む。

 もや。

 違う。これは煙だ。

 善次郎の体が太陽に焼かれているのだ。

「おあああああああああああああ……」

 しゃがれた悲鳴が耳元で溢れだす。焼かれた腕の力が緩み、恋歌の体が床に落ちた。尻もちをついた恋歌は、尻を床に擦り付けつつも慌てて善次郎から離れながら、眼前の男を見上げた。

 視界は白い光に染められ、輪郭さえはっきりとしない。

 それでも、目の前の光景の意味するものを、恋歌は理解していた。

 善次郎は既に全身から煙をあげていた。

「ああああああああああああああ……」

 炎で焼かれてでもいるかのように、その皮膚が焼け爛れ、泡立っている。

 それでも彼は自分を包む光の壁を睨みつけていた。

 もし、彼にとっての陽光が普通の人間にとっての炎なのだとしたら、その中で立ち、敵を睨みつけるのにどれほどの胆力が必要なのか、恋歌には想像できなかった。 

「……この馬鹿が」

 善次郎が、光の壁に向かい、叫ぶ。

「俺を殺しても、仇を討ったことにはならねえぞっ」

「わかってる」

 その声が聞こえるのが先だったのかもしれない。

 あるいは晋輔が光の壁から飛び出してきたのが先だったのかもしれない。

 いずれにせよ、善次郎を見上げていた恋歌にとって、それは一瞬のことでしかなかった。

 光に塗りつぶされた彼女の視界を、一瞬だけ黒い影がよぎった。それがあの小柄な侍であると認識するよりも早く、晋輔は彼女の眼前を走りぬけながら、太刀を振りぬいた。



 善次郎の頸部に、高村晋輔の太刀は正面から打ち込まれた。

 闇の中では鋼の強さを誇った善次郎の肉体は、陽光の中で不死性を失い、その刃をほとんど抵抗もなく受け入れた。

 度重なる剣戟で高村晋輔の太刀は既に刃毀れを起こし、鋭利な切れ味を失っていたが、焼かれた善次郎の皮膚は、ふやけたうどんのように弱くなっていたのだ。


 高村晋輔の太刀は、容易に皮膚を断ち、広頚筋、頸動脈を引きちぎり、僧帽筋に到達する。途中、脛骨を第四と第五の間で断ち切り、太刀は後頭部から引きぬけた。


 太陽に焼かれて吸血鬼は死ぬ。首を切り落とされれれば吸血鬼は死ぬ。


 善次郎の二度目の死は、高村晋輔の太刀により決定した。

 その瞬間、善次郎が苦悶の表情を浮かべたように恋歌は思う。あまりに鋭く滑らかな斬撃に肩口から落ちることさえなかった善次郎の頭が、これまでになく歪んだように思う。

 その瞬間。恐怖、苦痛。今までばらまいてきた負の情動を、この男は表情に現わしたように恋歌には見えたのだ。

 顔が歪み、見開いた目が生前の悪事のすべてを見つめたかのように恐怖に揺れる。わずか四日間死を拒絶した代償に堕ちる最悪の地獄への恐怖。

 そして、次の瞬間。

 あり得ない形で死と腐敗と消滅を拒絶してきた肉体に、すべてが一瞬で押し寄せた。凝固していた摂理は、炎となって噴出し、善次郎の肉体を侵した。


 善次郎の全身が発火した。


 燃えたのではない。

 皮膚、筋肉、脂肪、骨のすべてが炎へと変異したのだ。

 男の肉体のすべてが炎に変わった。


 だから、炎を「維持する」ものはなくなった。炎だけが存在し、「燃える」ものはないのだ。

 だから、炎上は一瞬だった。

 恋歌の目に、善次郎は人の形をした炎の輪郭となり、次の瞬間にかき消えた。あるいはその瞬間、善次郎の形をした炎は彼の生涯で一番の恐怖と苦痛を浮かべていたかもしれない。その瞬間には高村晋輔の太刀は、まだ旋回を完了しておらず、彼は善次郎に背を向けたままだった。

 そして更に次の瞬間。

 彼が自分の敵に背を向けていた瞬間、太刀を振りぬき、力を抜きつつあったその瞬間、高村晋輔の仇打ちは完了した。

 そして同時に、高村晋輔が武士の勤めを成就したのだという証拠も完全に消失した。

 


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