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101.対決 3

「剣を捨てろ」

 善次郎は再び言う。

「その場に捨てろ」

 晋輔は捨てない。それはそうだろう。この鬼を相手に丸腰になることは、そのまま死を意味する。

 太刀の切っ先は下げてはいるが、それでも握った柄から手を離すことはない。切っ先は下げているが、視線はまっすぐに善次郎を睨んでいる。

「お前が恋歌を傷つけたら、わしは絶対にお前を殺す」

 晋輔は宣言し、善次郎は嘲笑う。恋歌の肩の上で。

「こいつを殺そうがどうしようが、お前は俺を執拗に追うだろう」

「お前が恋歌を諦めるなら、わしもお前を追わない」

「いいや、追うとも。そして、お前はどうやってでも俺を殺すのだろうな。だったら、その差は何だ。生き残るのがお前かこの娘か、だけだ」

「わしが死んだら、次は恋歌の番に決まっている」

「そこは俺を信用してもらうしかないな」

「信用できない、と言っただろう」

「だが、すぐに殺すつもりがないことは信じているはずだ。だったら、お前のやることはひとつだ。当面生き残ったこいつが、俺の機嫌を損ねないように、生きているうちにお前が説得するんだ」

「……わしの説得なんか、恋歌が聞くはずがないだろう」

 強い口調で言い、晋輔は胸を張る。

 だが、その言葉の中身はかなり情けない。

 善次郎も恋歌の顔に視線を向け、それから苦笑いを浮かべて晋輔に目を戻した。

「確かにそのとおりだ。だが、それならこの女は死ぬだろう。それはお前のせいじゃない。お前が助けた命を粗末にするのはこいつの自由だ」

「恋歌が死んでは意味がない。彼女を生かすための交渉だ。そのための条件を、信用できる条件を言え」

「お前が死ね」

 善次郎の言葉には躊躇がない。

 晋輔はその言葉に頷きこそしないが、一瞬の躊躇いを見せる。

「……信用できる条件を、と言ったはずだ」

「信用しろ、と答えたはずだ」


 これでは堂々巡りだ。

 彼は首を左右に振り、再び善次郎を脅迫する。

「わしがこの手を押せば、雨戸は外れる」

 晋輔は再び雨戸に触れる寸前まで手を上げる。同じ堂々巡りでも、自分が主導権を握る話題の方がいいと考えたのだろう。

「そうだな」

「一昨日の夜のように、雨戸は次々と落ちるだろう。朝日が差し込む範囲はどんどん広がる。そして、お前は太陽に焼かれて死ぬ」

「……そうか?」

「……試してみるか?」

「そんなに自信があるなら、さっさと押せばいい」

「……」


 晋輔は口を噤む。

 無表情。

 けれど、その目にははっきりと動揺が現れる。


「お前は嘘がつけない」

 と、善次郎が先ほどとは口調を変えて繰り返した。


 馬鹿。

 恋歌は心の中で悪態を吐く。

 この程度で動揺してどうする。

 このくらい、何とでも理由づけしてみせなくては。


 晋輔はもちろん知っている。

 恋歌が知っているように。

 あるいは、恋歌以上に理解している。


 雨戸は倒れない。


 なんといっても、晋輔にしてみれば、自分でやったことなのだ。

 昨日倒れた雨戸も、今日倒れるとは限らない。

 高村晋輔自身が、楼主に指示されて修理してしまったからだ。

 晋輔の位置から恋歌たちの場所まで七間(約13メートル)はある。そこまでに10数枚の雨戸があり、晋輔はその鴨居を薄いが長い板をたくさんの釘で止めた、と言っていた。

 不器用だが、真面目な晋輔のことだ。さぞ一生懸命直したのだろう。

 雨戸は倒れない。

 

 だから、晋輔には善次郎を殺す方法がない。本当は晋輔には手札がないのだ。

 晋輔が善次郎に言っているのは、ハッタリにすぎない。

 だが、それにしたって。


「確かに、わしがその気になればお前は死ぬ」

 恋歌が心の中で悪態を吐き終わるのと同時に、晋輔が表情を殺したまま口を開いた。

「だが、それは一瞬ではない。雨戸が次々と倒れる間に、お前はそのまま恋歌の首をへし折ることができる。恋歌を殺すことができる。わしはそれを避けたいのだ」


 そう。よくできました。

 そういう理由を、もっと早く口にできれば、説得力がますのよ。

 恋歌は表情を動かさぬように、心の中だけで彼に頷く。



「お前が恋歌を諦める。わしはお前を殺すことを諦める。それが双方にとって唯一の選択肢のはずだ」


 高村晋輔が善次郎を殺すことを諦める。


 実のところ、死体の残らない吸血鬼を滅ぼしたところで、晋輔が江戸に帰参できる可能性は限りなく小さい。だから、損得勘定という観点から見る限り、その損失はそれほど大きくはないとも言える。

 だが、このくそ真面目な侍にとって、妹の仇を討たないという選択肢は、本来ありえない。

 彼はそのために、嫡子としての立場を捨てた。

 どうすればそんなことがでるのか、恋歌にはわからない。だが、おぼろげにでも容易に考えつくのは、高村晋輔を家を継ぐには不適格な人格の持ち主であるとして廃嫡することだ。

 本来それは当主が存命中に行われるべき決断だ。だが、晋輔が言うように「筋を曲げる」ことができるほど金の使い方がうまい一族なら、そういうこともできるかもしれない。できないかもしれない。恋歌にはそれはわからない。

 いずれにせよ、おそらくは廃嫡の不名誉を負い、彼は江戸からはるばる長崎まで来た。相手が不死の怪物になっても彼は諦めなかった。更には、その怪物を滅ぼす手段を知っている可能性を知ると、禁制を破って出島に侵入した。


 彼は一生懸命だった。

 彼は必死だった。


 その高村晋輔が、仇である善次郎を追うのをやめる。

 彼が言う以上、それは絶対だ。その言葉の重みは善次郎のそれとはまったく違う。高村晋輔が「諦める」というのなら、それは絶対なのだ。


 むしろ、恋歌などは、仮に善次郎が恋歌に手を出さないことを約束しても、そちらの方をこそ危惧する。善次郎の方こそこの場は退いておいて、夜になってから改めて襲いに来ればいいのだ。


 だが、善次郎は頷かない。

「いいから、刀を捨てて、俺に殺されるんだ」

 彼にとっては、これからは無防備な時間だ。

 高村晋輔を自由にしたまま眠るのが怖い、と彼は言った。

 晋輔もまた、善次郎を追い詰めすぎたのだ。


 お互いに引けない拮抗した状況。引くわけにはいかない手詰まりな状況。


 その間にいる恋歌はもちろん怯えている。

 だが、恋歌はその手詰まりを動かすべく口を開く。


 口を開きながら、それでも恋歌は考えている。


 どちらに転がせばいい?


 もちろん、恋歌だって死にたくはない。

 そのためにすべきことは、自分の安全を確保すること。

 だが、それにはどうすればいいのだろう。

 善次郎の言葉に従い、晋輔を死なせれば恋歌は助かるか。いや、恋歌は善次郎を信用できない。まったくできない。高村晋輔がいなくなれば、それこそ善次郎は恋歌をおもちゃとして弄んだ上で、飽きたら何の躊躇もなく殺すだろう。

 高村晋輔を死なせたくないのは勿論だが、相手が信用できないという点で、善次郎の提示する選択肢はハナから考慮に値しないのだ。

 では、高村晋輔に賭けて善次郎を滅ぼさせるか。

 自分が人質になり、善次郎の気まぐれで首をへし折られるこの状況で?


 実のところ、手詰まりなのは、恋歌も同じだった。


 だったら。


 そこから先は「思考」とか「判断」とか呼べるような立派なものではなかった。彼女はいつものように口が勝手に言葉を紡ぐのに任せた。

 ああ、私は本当に馬鹿だ、と思いながら。


「あのさ。晋輔がいなくなったら、私はこいつににいいようにされちゃうよ」

 その言葉は善次郎との対決を示唆するものだ。つまり一縷の望みにかけて、危険な勝負に臨め、と唆したわけだ。

 本当に馬鹿だ、と自分で思う。


 一方、善次郎は恋歌の指摘を否定しない。

「そりゃあ、そうだ」

 愉快そうに、恋歌のすぐそばで牙を剥いて笑う。

「いいようにさせてもらうさ。だが、その中に、お前を殺す、という考えはない。せっかくこんな綺麗な女を手に入れるんだ。春風みたいにしちまったら勿体ないだろうが」

 最低。

 恋歌は心の中で悪態を吐き、けれど、同時に善次郎の言葉を考えてしまう。


 恋歌は自分の容姿に自信がある。

 だから、善次郎の噴飯ものの台詞にも、一応の説得力を感じてしまう。

 せっかく丸山一の太夫を手に入れるのだ。怪物みたいな姿にしたら勿体ない、と。男なら誰でもそう感じるのではないだろうか、と。

 実際、高村晋輔もそう納得している様子が伺えた。


「それにしたって、結局は鬼にされるんだわ」

 そう口を挟んだのは、本当に納得しそうになる高村晋輔にくぎを刺すためだった。

 それに対して善次郎は口を挟む。

「それはお前次第だ。お前が俺好みの女になるというなら……」

「無理ね」

「無理だな」

 最初に言ったのは恋歌だった。それに対して思わず肯定の言葉を挟んだのは、晋輔だった。

 歯に衣着せない恋歌に、善次郎の好みに合わせて自分を変えるのは無理な話だ。それはわかる。恋歌は自分でもそう思う。

 だが、自分が最初に断言したとはいえ、間髪入れずに肯定されて、恋歌は晋輔を睨みつける。

「晋輔、あんた、あたしにどうなって欲しいの」

「……あ、すまん」


 晋輔は謝罪し、善次郎が苦笑する。苦笑せざるを得ない、というところだろう。

 恋歌は笑われる屈辱を感じながら、晋輔を説得するために善次郎に語りかける。


「……あんた、私の首に縄を付けて飼うって言ったわ」

「言ったなあ」

「裸に剥くって」

「言ったとも。それはするに決まってるだろう」

 さも当然であるかのように、善次郎は返す。

 

「小……おしっこの場所から躾けるって」

「ああ、躾けてやるとも」

 善次郎は否定しない。


 恋歌は、どうだ、とはがりに晋輔を睨む。

「これがこいつの提示する境遇だけど、あんたは私がこういう目にあってもいいと思ってるわけ?」

「殺されるよりはましさあ」

 楽しそうに返事をしたのは晋輔ではなく善次郎だった。

「そうだろう?目の前で女が殺されるのと殺されずにひどい目に合うの、どちらがいい?」

 それに、と恋歌の方を見て、善次郎は続ける。

「俺がお前を買った夜に言ったこと、覚えているか?俺だって、そういつもひどい男ってわけじゃない」

「予想以上にひっどい男だったわよ」

 恋歌は躊躇わずに吐き捨てる。

 晋輔もそれには同感だったのだろう。

「ひどい男だな」

「だが、恋歌のことは殺していない」

「それはあんたじゃなくて、晋輔のおかげよ」

 恋歌は冷静に指摘する。

 善次郎は鼻白んだ。それから皮肉な笑みを浮かべ、晋輔を見た。

「そうか。それはそうだな。では、俺は諦めよう。こいつのことはお前に委ねることにする。お前が俺の手から、大好きな恋歌を守ってみろ」

 何が大好き、だ。

 好きという言葉を冒涜するような口調だった。

 そして、好きという感情を冒涜するような視線を恋歌に向ける。

「お前のことはあいつが守ってくれるのだろう。春風の馬鹿からも。俺の手からも」

 善次郎がそういうと同時に、恋歌の首に回された冷たい腕に再び力が加えられた。

 それは一瞬で、恋歌には抗う余裕さえ与えられなかった。


 苦痛に目を閉じる寸前、視界が大きく動いた。

 善次郎の足が床を小さく蹴る。

 それで世界が落下した。

 違う。

 善次郎が宙に浮かんだのだ。


 桜泉の地下で初めて見た吸血鬼のように、善次郎は見えない縄で首でも吊られているかのように宙に浮く。

 だが、もちろん、首を吊られいるのは恋歌のほうだった。

 首吊りの縄は善次郎の冷たい腕だった。恋歌は触れるものがなくなった足をバタつかせたが、善次郎の足に触れるばかりで自分を支えてくれるものはなかった。

 意に沿わず首を吊られる者のように、恋歌はその腕にしがみつく。それで少しでも首への圧力が弱めようとして。

 だが、恋歌の非力な腕では、善次郎の腕が首に食い込んでくるのを防ぐことは出来ない。自分の体重を不自然な姿勢のまま、自分の細い腕で支えきれないのだ。恋歌の体重を支えるのは、恋歌の首、そしてそこに食い込んだ善次郎の腕だ。

「やめろっ」

 再び高村晋輔が叫んでいる。


 やめて。


 恋歌も懇願しようとするが、実際には声を出すどころか呼吸さえ出来ない。


 助けて。


 眼下の高村晋輔に頼みたいが、その声を発することは出来ない。

 もちろん、声が出なくても、晋輔には恋歌の窮状が理解できている。恋歌が望むものを理解できている。

「やめてくれっ」


 高村晋輔には手が出せない。

 刀で善次郎を斬ろうにも、この鬼は刃を受け付けないし、恋歌を空中からおろそうと足を引っ張れば、余計に彼女の首を絞めるだけなのだ。唯一善次郎を殺せるかもしれない蝋燭の炎だが、晋輔の手に届く範囲にはなく、そちらに足を剥ければ即座に善次郎は恋歌の首をへし折るだろう。


「剣を捨てろ」

「恋歌を離せっ」

「だったら、お前がするべきことをしろ。お前にとって一番大切なものは何だ」


 再び善次郎が言い、高村晋輔はほんの一瞬、呆然として動きを止める。


 彼の手にあるもの。

 彼が守るべきもの。守りたいもの。

 そのためにできること。


 躊躇は一瞬。


 その一瞬の後、彼は悔しさに叫びながら、持っていた剣を床に突き立てた。


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