手紙を送った日
「リーシャ! これを瓶に詰めればいいの?」
数ヶ月後、フィオリアはすっかり元気になっていた。初夏の日差しが降り注ぐ中、フィオリアはリーシェナの仕事を手伝ってくれている。それに、フィオリアはリーシェナを愛称で呼んでくれるようにもなっていた。
リーシェナがうなずいて見せると、フィオリアは手に持っていた薬草を大瓶の中に入れた。
最初は警戒して攻撃してきたフィオリアもいまではリーシェナに懐き、一生懸命に日々の生活を手伝ってくれている。決して強制したわけではないのだが、フィオリアは自らリーシェナの役に立とうとせっせと動いてくれるのだ。
そんなフィオリアがかわいくないわけがない。リーシェナは無表情の自分がふと毎日のように緩んでいることに気付いた。ナノもそれに気付いているのかここずっと機嫌が良さそうだった。
「リーシャ、出来たよ!」
「………」
不思議なことにフィオリアはリーシェナが話さないことに対してなにも聞いてこないし、さほど気にしていないように見えた。その代わりたくさん話しかけて来てくれるのでリーシェナは話し方を忘れてしまった自分が歯がゆかった。
何度も言葉を話そうと口を開けるのだが、思うように声が出ないのだ。いくら長い間、人と接してなかったからと言ってもこれはさすがに重症だとリーシェナ自身も分かっているのだが、如何せんどうしても言葉が出ない。
「………っ」
出るとしたらこんな言葉にもならない声だ。それでもフィオリアは満足らしく、いつも天使のような微笑みを向けてくれる。
フィオリアと話がしたかった。シュトガレオンの山脈にいるはずの魔族がなぜあんな真冬の、しかも猛吹雪の日に温室にいたのか。フィオリアの家族はどうしたのか……。
言葉でなくとも魔法文字で聞けばいいと思うが、なんとなくフィオリアにそれを訊ねた瞬間にフィオリアが去ってしまう気がして気兼ねしてしまう。ナノとふたりきりだった時期が長すぎて、久しぶりに他人の温もりに触れたせいだろうか。
気付けば、リーシェナはフィオリアが望めばずっとここに居て欲しいと思うようになっていた。
だが、リーシェナにはそれが叶わないことは分かっていた。フィオリアは魔族なのだ。いつかは家族の待つシュトガレオンの山脈に帰らなくてはいけない。
それに、魔女と魔族が一緒に暮らすなど聞いたこともなかった。フィオリアはもしかすると幼すぎてリーシェナが魔女だということを分かっていないかも知れない。いや、魔女という存在すら知らない可能性がある。
フィオリアの年齢はリーシェナが見た限りだと10歳くらいだが、魔族は年の数え方が独特なため合っているかすら分からなかった。
「………!」
そこでリーシェナはハッとした。子どもといえば勉強だ。なにか教えたほうがいいのだろうか。
リーシェナはうんうん悩む。だが、長年引きこもっていたせいで森の外がどうなっているのか一切知らないリーシェナに果たして教えることがあるのかとも思う。
そんなある日。いつも通りフィオリアと薬草を育てていると、リーシェナはピンと閃いた。
そうだ、薬草のことなら教えられる。
リーシェナは会話ができないため、空中に魔法文字を浮かべて薬草の名前や効能をフィオリアに教えはじめた。フィオリアは非常に呑み込みが早かった。それはリーシェナも驚くほどの吸収率で、まるで綿が水を吸うかのごとくだった。
教えたことはすぐに覚えたので、前々から頭はいい子なのだろうなと思っていたが、複雑な薬草の名前や効能、よく似た薬草の見分け方も難なく覚えてしまったフィオリアにリーシェナは感嘆した。
「キュイキュイ!」
しかもフィオリアはナノの使い方も上手く、使われているナノも満更でもなさそうだった。ナノは土狐という魔物で、土を操ったり肥料を作るのが得意な変わった魔物なのだ。リーシェナはちょっと嫉妬した。
フィオリアが薬草のことを全て学び終えると、次は薬の作り方を教えた。たくさんある薬草の中から組み合わせや配分を変え、様々な薬を生み出すのだ。リーシェナは薬毒の魔女なだけにかなり薬に詳しかった。
「へー、テヘナ草と紺花草を1対2ですり潰すと目薬になるんだ!」
そういって笑いながらゴリゴリと薬草をすり潰すフィオリアは、やはり天才だった。リーシェナが長い時間をかけて研究した膨大な薬の調合を一瞬で暗記し、さらに遊びと称して新薬を調合しはじめたのだ。リーシェナはド肝を抜かれた。
私はとんでもないものを拾ってしまったのかもしれない……。
フィオリアが蝶々草と光苔でシュル病に効く薬の上位互換を作ってしまったときは、リーシェナも驚きすぎて思わずふらついた。
「………」
生き生きと成長しているフィオリアを見ると、リーシェナもこのままではいけないと思う。
フィオリアよりも遥かに長い時を生きているのに、会話ひとつ出来ない自分が情けない。前を向いて変わりたい。
決心をしたリーシェナはある日、久しぶりに仲間の魔女へ手紙を書いた。話し方を忘れてしまったという悩みを書き助けを求めたのだ。自分だけではどうすることも出来ないと判断したからだった。魔法で手紙を鳥に変身させると大空へ放つ。
魔女が迫害を受けるようになり、それまで連絡を取り合っていた魔女たちの足取りも掴めなくなった。
一体どこにいるのか、果たして生きているのかすら分からない。返信がいつ返ってくるのかも分からなかった。それでも自分と同じようにひっそり身を隠しながら生きているのだとリーシェナは信じたかった。
「リーシャ? どうしたの?」
「………!」
フィオリアと夕食を食べている時、ついリーシェナは交流していた魔女たちのことを考えていた。
なんでもない、と首を横に振ると、フィオリアは心配そうな顔をした。
「僕、リーシャが好きだよ。だから、リーシャが悲しい顔をしてると僕も悲しい」
「………っ」
フィオリアの優しい言葉にリーシェナは温かい気持ちが込み上げてきた。リーシェナはフィオリアに微笑みかけると、声は出ないがありがとうと口をパクパクさせる。フィオリアも微笑み返してくれた。
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温室でフィオリアを見つけてから、1年が経とうとしていた。厳しい冬の季節がまたやってくる。最近、悪夢を見なくなっていたフィオリアだったが、寒くなるにつれてまた悪夢にうなされるようになった。苦しそうなフィオリアを夜中に見る度にリーシェナは胸が苦しくなる。
どうしてそんなに悪夢を見るのだろう。温室で倒れていたあの日、一体フィオリアになにが起こったのか。
リーシェナはいままで訊けなかったことを思い返す。リーシェナとフィオリアの関係は、お互いが暗黙の了解のように立てたルールの中で成り立っている。それは、お互いのことを知ろうとしないことだ。
なぜリーシェナが言葉を話せないのか。あの日、フィオリアはどうして温室にいたのか……。
リーシェナはフィオリアが訊いてきても別にいいと思っていたが、その説明をするためには魔女の迫害の歴史を話さないといけないのが辛かった。なぜこんな森の中でひとり暮らしているのか、という質問も同じだ。
リーシェナの話したくない思いをフィオリアはなんとなく感じ取っているのかも知れない。
つまり、その暗黙の了解にリーシェナは甘えていたのだ。踏み込めばフィオリアが居なくなる気がして、向き合うことを避けて……。
「………」
このままではいけない。けれど、どうしてもフィオリアを失うと思うと訊ねることが出来なかった。そして、手紙の返信はいつまで経っても来なかった。
向き合う勇気が持てなかったそんなある日。リーシェナとフィオリアはいつも通り温室で薬草の世話をしていた。そんな時ふと、リーシェナはなにかがこちらへ向かっていることに気が付いた。
その瞬間、リーシェナは何重もの結界を小屋と温室にかける。それは隠密の効果のある魔法で、リーシェナが誰にも気付かれず何百年も森の中で暮らせた理由だった。
しかし、その結界は意味をなさなかった。一瞬で強力な攻撃を当てられリーシェナの魔法は粉々に破壊された。
「……!?」
「リーシェナ!」
あまりに大きな衝撃に温室が耐えられなかったのか半球状の屋根が落ちてくる。リーシェナはフィオリアに覆いかぶさって精一杯の防御魔法を展開した。
「フィオリア様! お探ししました。大変遅くなり申し訳ございません」
「ああ、ご無事で良かった。お迎えに参りました、さあ」
激痛に顔を歪ませながらリーシェナが顔を上げると、3人の魔族が立っているのが分かった。そして、魔族たちに囲まれているのがフィオリアだということも。
「………っ!」
リーシェナはフィオリアを呼ぼうとしたが上手くいかなかった。それでも声が届いたのか、フィオリアが振り返る。リーシェナは生涯この瞬間を忘れないだろう。フィオリアのあの苦しそうな表情を。それはまるで、悪夢にうなされているような――。
リーシェナは手を伸ばした。フィオリアも手を伸ばす。だがその手が触れ合うことはなかった。フィオリアの手は魔族に阻まれ、そのまま連れていかれてしまう。
「リーシャ……ごめん」
いやだ。連れていかれてしまう。いやだ。
いやだ。いやだ。
魔法が展開され、黒いオーラが魔族たちを包み込んだ。フィオリアの顔が黒いオーラで見えなくなる。
「……っ、フィ……オ」
その声はもうフィオリアには届かなかった。転移魔法を使ったのか魔族たちはフィオリアを連れて一瞬で姿を消してしまったのだ。リーシェナの頬に冷たいものが伝っていくのが分かった。




