役割を終えた聖女を救うもの
聖女というのは教会における「救い」の象徴のようなものだ。
時代が変われば求められる力も変わる。そのため、すげ替えという事もままあることなのだろう。
早朝の上役からの呼び出し。その人専用の執務室は肌寒く、指先が冷えていく。
うっすらと薄日が差す窓を背中に背負い、上役は口を開く。
「本日より、あなたの聖女としての任を解き、先日召喚された乙女へとその任を引き継ぐこととなりました。長い間の献身、全ての国民を代表し御礼申し上げます」
そう告げられても「あぁ、そうか」ぐらいの感想しかなかった。ようやく、この役割が終わるのか、と。
……聖女という役割を終えた私に、この世界での価値はない。
私には前世がある。
前世の私がどうなったかは分からないが、気が付いたときには好きだったゲームの元・聖女として転生していた。
元というのはゲーム開始時点の話で、ヒロインが召喚され、聖女として任命されるモノローグで一文出てくるようなモブである。
物語開始前の聖女として、傷を癒し、悩みや迷いを聞き、神に祈りを捧げる。
主人公が聖女となるのはその役職が尊いものであり、救いの象徴だからだ。
だから私はその象徴を壊さぬように演じてきた。
ただ、右から左へ。聖女として求められることをこなすだけ。
運命に抗おうとかそういう気持ちはなかった。好きだったゲームに、私が手を加えるという行為に耐えられなかったから。
だから無理に続けることも、教会にいることもない。
なにより役割が終わった歯車は早々に退場するのが物語としての筋であると、見切りをつけるのは早かった。
そうして私は何の未練もなく自分の荷物をまとめ、礼拝堂で聖女として最後の祈りを神様に捧げていた。
祈りを捧げるための礼拝堂は、拒絶ではなく全てを受け入れるような静かさがある。
そんな場所にコツコツと硬い足音が響く。
聞き慣れたそれに意識が引き戻され閉じていた目を開ける。
「聖女様」
その声に顔を上げ、振り返ると、朝日の差す美しいステンドグラスのきらめきを一身に背負った、見慣れた彼が立っていた。
「おはようございます、ジークヴァルト様。私はもう、聖女ではありませんので、セレスティアとお呼びください」
私の身辺警護を担当してくれていた騎士、ジークヴァルト様は難しい顔をして私を見ていた。
それを微笑みで受け取って、近寄り「ご挨拶に行こうと思っていたのですよ」と言葉を続ける。
「私にとって聖女様はあなただけです」
「聖女などただの記号に過ぎません。そのうち新しい聖女様にも慣れますよ」
「……何度でも言います、私の聖女様はあなただけです」
「それもまた信仰の一つだとは思いますけれど……」
そうは言われても私はこの物語の歯車の一つである。
ここで静かに去るのが役割だ。
「今までありがとうございました。あなたのおかげで私はこうして生きていられる。何かお礼ができればよかったのですが、急な話でしたので、後日お渡しに参りますね」
「なぜ、笑っていられるのですか?今までのあなたの献身に対して、この処遇はあまりにも不当な扱いではありませんか!」
ぐっと拳を握り、何かに耐えるような彼を安心させるように微笑む。
……あぁ、ダメだな。どんな時でも微笑みを見せてしまう。
それが聖女として、物語の歯車として生きてきた私が、無意識にできてしまう”反応”である。
「不当だとは思いません。私がいる事で望む望まぬに関わらず派閥争いが起こる。それは人々の安寧を脅かす争いです」
「もっと悲しんでください、もっと怒ってください、その権利はあなたにあるのですから!!」
私よりも先に泣き始めてしまった彼は、本当に私を聖女として、大切に思ってくれていたのだろう。
でも、私は聖女という役割を全うしたに過ぎない。逃れられない役割に自分の内面にくすぶる感情を殺す術を覚えてしまった。
だから、何も感じない。
「私のために泣かないでください、ジークヴァルト様」
「嫌です。あなたが泣かないから俺が泣きます」
「それは、困りましたね」
涙がつたう頬に触れて、「ごめんなさい」と謝る。
彼を泣かせてしまった事ではない、彼が大事にしている聖女、という私を己が大事にできないことに対する謝罪だ。
「俺はずっとあなたを見てきたんです。子供の頃からバカみたいに追いかけて追いかけて、ようやくあなたを守れる男になりました」
「そうでしたね」
「あなたが諦める何もかもを俺が拾って差し上げたいと」
「はい」
「殺した心をいつか甦らせたいと」
「はい」
「ずっとそう思ってきました。今も思っています」
「……ごめんなさい」
「ダメです、許しません」
「それは、困りましたね……」
私の手に手を重ねたジークヴァルト様は、すりすりとその頬を私の手にこすりつける。
そうして心を落ち着けたのかその瞳から零れる涙は止まった。
もう大丈夫だろうと手を離そうとしたのに、先ほどより強い力で握りこまれ、意を決した強い視線に射貫かれる。
「聖女の肩書と共に、何を失ったんですか」
「っ!」
その言葉に思い切り手を振り払ってしまった。
だって私は聖女として完璧だったはずだ。物語の破綻もなくスムーズに開始まで持っていけた。
歯車である”私”に変化などあるはずがない。
「俺にはあなたが何を失ったのかは分かりません。でも、生きる理由がないなら俺を生きる理由にしてくれませんか」
「なにを……」
「俺、あなたがいないと生きていけないんです。だってずっとあなたの為に生きてきたから。聖女で無くなったってそれは変わりません。肩書がなくなってセレスティア様のために俺は生きると決めているから」
「もし、私に恩を感じてくださってそう思っているのであれば、それは聖女として当然の事をしたまでです」
「誰がなんと言おうとあなたは俺を救ってくれた。覚えているでしょう?俺がどんな子供だったか。それをあなたが優しく受け止めてくれたんです」
それはまだ私が”聖女”という役割を完全に被る前の話だ。
聖女として駆け出しだったとき、彼も教会の騎士見習いとして訓練に励んでいた。
そんな彼が礼拝堂の片隅で泣いているのを見つけ、声をかけたのがきっかけだ。
話を聞くと自分に自信が持てず教官である騎士にいつも叱責されるという事だった。
そして、それが直らないとここを追い出され、路頭に迷ってしまうと。
子供が路頭に迷うというのは忍びなくて、なんとか自己肯定感を高められるようにアドバイスしたり、褒めたりしたのがきっかけだ。
その時だけでどうにかなったわけではないが、長い年月、励ましたり褒めたりしていくうちに懐いてくれて、立派な騎士となった後はずっと護衛として私の傍にいてくれた。
「俺はあなたに必要とされている。それだけでどれだけ救われたか。あなたのために生き、あなたの為に死ぬ。これこそが俺の幸せだと確信したんです」
わずかに彼が距離を詰めてきたので、思わず後ずさる。
それに気が付いたのか、彼は私に近づくことを諦め、手を差し出す。
「俺にはあなたが必要なんです。ほかの誰でもないあなたでないと俺は生きていけない。こんな情けなくて哀れな男を、再び救うと思ってこの手を取ってくれませんか?」
彼は本当によく私を見ている。
この世界に私を繋ぎとめる唯一が欲しいと思っていた事を見抜いている。
居場所を渇望している事を分かっている。
それがここにあると差し出し私に選べと言っているのだ。
……こんなのに抗えるはずがない。
私は「……ずるい人」と、自分でも驚くほど小さな声で零してから、震える手で彼の手を取っていた。
「よかった……」
彼は、壊れ物を扱うかのように優しく私を抱きしめてくれた。
その温かな腕の中で思う。
聖女という役目を終えて、同時に物語の歯車としての役割を終えた。
異物である自分は己を殺して生きてきた、この先に与えられた自由に怯え、遠からず命を絶つだろうという予感があった。
でも、私がいなければ生きていけない、と言ってくれる彼に身を預けることで、彼の救いという歯車になってもいいのではないかと思ったのだ。
「セレスティア様、何度でも言います。俺はあなた無しでは生きていけない、どうか俺の為に生きて、俺の幸福であり続けてください」
その言葉のわずかな違和感。
けれど、居場所を失う恐怖よりは些細な事と、私は見ないふりをした。
#ジークヴァルト視点
安堵のため息を漏らすセレスティア様を、沸き上がる歓喜を抑えつけ、そっと抱きしめる。
ようやく「美しい理想」という場所から、俺という「薄汚い人間」の所まで堕ちてきてくれた。
優しさは本物だった、聖女としても完璧だった。
人を恨まず、憎まず、怒りを見せず、ただ微笑む慈愛の人。
だからこそ大勢の国民の尊敬を一身に集め、聖女として崇拝されていた。
あなたは誰にでも等しく優しかった。
けれど、それは、誰のことも特別に見ていないということだ。
それに気がついたとき、俺の愛は届かないと絶望した。
だからこそ、作り物めいたその美しさを汚し、俺の欲望で染め、俺を特別にしてほしいと思った。
聖女として、そこに存在し、『あなた自身』がいない。
そんなあなたの在り方に俺だけが気づいていた。
そして、己の魂を受け止める器がないと生きられない、ということにも俺は気づいていた。
だから用意した。
聖女という器が無くなるその時に、俺という器を用意して自ら入ってくれるように。
タイミングを見計らい、救いの手を求める俺としてあなたの前に躍り出た。
優しい人だから、俺があの頃のように泣けば、あなたは俺を見捨てられない。
俺があなた無しでは生きられないといえば、あなたは喜んで俺の幸福の為に犠牲になってくれる。
誰かに求められないと動けない哀れな人。なんて扱いやすく、愛おしいのだろう。
あぁ、ようやくだ。
ようやく綺麗なあなたを汚す特別になれる。
抑えられなかったその歓喜に歪みそうになる口元を必死に噛み殺す。
だって、こんな醜く歪んだ顔を、まだ綺麗で美しいセレスティア様には見せられないから。




