夜の闇
宗教法人『幸せの会』。
そこはこの宗教団体の部屋だった。
そこには黒い女性用スーツを着た女がいた。
彼女はこの宗教団体の代表で、幸子といった。
年齢は二十代に見える。
「イル・チエーロの動向はどうですか?」
イスに座る彼女の前に一人の男がいた。
どこか軽薄そうな男だ。
彼はメガネをかけていた。
「イル・チエーロは着々と戦力を整えているよ。そういえば最近若い子が入ったらしい」
「若い子?」
「ああ、まだ少年だが、実力があるらしく注目されているよ。そのうちぼくらの脅威になるかもね。ふふふ」
男は笑った。
それはむしろ脅威というより、おもしろいおもちゃが手に入ったかのようだ。
幸子は目を細める。
「笑いごとですか、ルチフェール?」
「ぼくにとってはそうさ。ぼくはこの団体幸せの会がどうなろうが知ったことじゃない。ぼくにとって楽しみは戦うことだけさ。その期待の新人はジャン・カルヴィヌスの薫陶をうけているらしいね」
「……」
幸子はルチフェールをうさん臭そうに見る。
この幸せの会は表向きは宗教法人だったが、その真実は妖魔の団体だった。
幸子という名も表向きの、人間社会で自分たちの存在を隠すためのものである。
妖魔の中にはこのように人間社会に適応して、姿を隠している者もいる。
また人型の妖魔はその傾向が強い。
「ルチフェール……私たちの目的を忘れてはいないでしょうね?」
「もちろん、覚えているさ。魔神の復活だろ? ぼくはこの世界が戦いの世界になってくれればそれでいいんだよ。魔神がよみがえろうが、死のうが知ったことじゃない。そもそも、ぼくは協力者であって、この組織の一員じゃないんだからね」
それは事実であった。
ルチフェールは利害が一致してこの組織に協力しているだけだ。
そのメリットがなければ、この男はあっさりとこの組織を斬り捨てるだろう。
「それで、君は何をしたいんだい?」
「こちらから、イル・チエーロに仕掛けてみようと思っています」
「へえ……それはおもしろそうだね」
ルチフェールが興味を抱く。
この男はどこか退廃的で、日常をつまらないものだと思っているようだ。
そもそもこの男にとって楽しみは戦うことなのである。
「セクストゥス、マルクス、ルキウス……」
幸子が配下の名を呼ぶ。
すると、部屋に三人の黒いローブを着た男たちが現れた。
「お呼びですか?」
「我が主様」
「何なりとご命令を」
「あなたがたに命令します。イル・チエーロを襲撃しなさい。できれば、ジャン・カルヴィヌスの抹殺に成功しますように。あの男は私たちの脅威です。彼は私たちの組織の存在に関ずくかもしれませんからね」
「ははっ、それではすみやかに」
「わかりました」
「必ずやカルヴィヌスの首を」
「期待していますよ。暗い夜の祝福があなたがたにありますように」
三人は影の中に消えた。
「へえ……有能そうじゃないか。これは期待できるかな?」
「そうでなければ困ります。私たちは遊びで活動しているわけではないのですから」
「さて、あの三人どう出るかな? フッフッフ、結果が楽しみだ」
暗い陰謀が動きつつあった。
ジャンはカズマと天音を走らせた。
カズマと天音はジャージであった。
三人は町の周囲を十キロほど走った。
このくらいはイル・チエーロの基準からすればできて当然である。
カズマは最初はついていけなかったが、今はついて行けるようになっている。
郊外には湖があって、三人はそこでいったん休憩した。
「それにしてもカズマ君はすごいわね」
「そうですか?」
「だって、最初はついてくるのがきつそうだったもの」
「それは運動不足だったからですよ」
「でも、素養が無かったらこうはいかないわ。やっぱり、カズマ君はすごいわよ」
「は、はあ……」
カズマはあまり両親からほめられたことがない。
両親はカズマを批判こそすれ、ほめることはしなかった。
いつも、まだ足りない、まだ足りないとばかりだった。
そのせいで、カズマはほめられることが苦手になっている。
「カズマ君って褒められるの苦手?」
目ざとく天音が尋ねる。
「は、はあ……まあ……」
「カズマ君は自分自身にならなきゃね」
「自分自身になる?」
「そう、個性って言うのはみんな必ず持っているものなの。その人が自分自身を見失うと、それを忘れてしまうのよ。本当の自分になれば、きっとカズマ君にも自信ができてくるわ」
「そう、でしょうか……」
カズマの自信のなさはこれも両親の教育の賜物である。
カズマの両親は従順なロボットのような人間を作る教育をした。
それがカズマの褒められべたの原因である。
「カズマ、本来人間はほめられて育つんだ。それがおまえは両親から否定的な言葉で育てられた。だから、おまえは否定的な言葉の方に親和性を持ってしまった。おまえはすごい。努力しているし、向上心もある。おまえは間違いなく一流の退魔師になるだろう」
「そ、そうかな」
ジャンの言葉がこそばゆい。
やはり、ほめられるのは苦手だ。
「と、ところで、ジャンはここに来る前は何をしていたんだ?」
カズマは話題を変えた。
二人もこの話題を無理にカズマには振らなかった。
「私はスイスで軍人をしていた」
「スイス? ジャンはスイスの出身なのか?」
「ああ、そうだ。私はヒエロソフィアを知って、来日した。私の師はスズキという人物だ。彼からヒエロソフィアの霊性を学んだ。そして今は後進を育てている最中だ」
「後進?」
「そうだ。おまえや天音のような次世代の退魔師を育てること、それが私の人生の意味だ」
「いや、ジャンだってまだまだ現役だろ?」
「いつまでも老兵が前面に立てば、若い世代の活躍は押さえられる。私がずっと前面に出るわけにはいかんよ」
「ジャン、そろそろ休憩もいいんじゃない?」
「ああ、そうしよう。それでは残り十キロ戻るぞ!」
三人はそうして走り出すのだった。




