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第四話:黒いガントレットと裏路地の鑑定士

 ジャージのポケットから現れた、黒光りする金属の手袋。

 二条健志郎は、リビングの照明にかざしながら、その異様な物体をまじまじと見つめていた。


 ずしりとした重みが、ただの落とし物ではないことを物語っている。表面は冷たく滑らかで、指の関節部分は驚くほど精巧に作られていた。手の甲に刻まれた、渦を巻くような複雑な紋様は、明らかに現代日本の工業製品のデザインとは一線を画している。


「あなた、何それ?また新しいサンプル?」

 妻の友里が、潤った自分の手をうっとりと眺めながら尋ねてくる。

 

「あ、ああ、いや……これは、ちょっと違うんだ。何かの部品、かな……」

 

 健志郎は咄嗟に嘘をつき、慌ててガントレットを背後に隠した。これは、家族に見せていいものではない。スライムコアやルミナスモスのような、微笑ましいDIYの材料とは訳が違う。厄介事の匂いが、ぷんぷんした。


 その夜、健志郎は自室のクローゼットの奥、古いビジネス書の間にガントレットを隠した。しかし、その存在が気になって、なかなか寝付けなかった。

 

(一体、誰が落としたんだ?あのゴブリンか?いや、あんな粗末な棍棒を持ったやつが、こんな精巧なものを……?それとも、俺が気づかなかっただけで、他の探索者がいたのか?)

 

 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。


 

 週が明け、月曜日。

 健志郎の頭の中は、黒いガントレットのことで埋め尽くされていた。仕事中も、上の空でパソコン画面を眺め、心ここにあらずといった様子だ。

 

 昼休みになると、彼はいつものように社員食堂の隅でスマホを開いた。目的は一つ。情報収集だ。


『ダンジョン 黒い手袋 落とし物』

『ガントレット 紋様入り』


 しかし、検索結果は芳しくなかった。出てくるのは、ゲームの攻略情報や、コスプレ用の小道具の販売サイトばかり。健志郎が探している情報とは、全くかすりもしない。

 

(ダメだ。普通の探し方じゃ見つからない……)

 

 健志郎は思考を切り替えた。これは「落とし物」ではない。「アイテム」として調べるべきだ。彼は、より専門的な探索者向けのアンダーグラウンドな掲示板や、コレクターが集うフォーラムにまで検索の範囲を広げた。


 そして、数十分後。とある古びたデザインの個人ブログで、彼はついに手がかりを見つけた。

 ブログの主は、引退した高ランク探索者を名乗る人物。その記事の一つに、こう書かれていた。


『ダンジョンには稀に、公式データベースに載らない「ユニークアイテム」や「呪われた装備」が出現することがある。これらは通常の鑑定では詳細が分からず、所有者に思わぬ幸運、あるいは破滅をもたらす。もし君がそういった"ワケあり品"を手にしてしまったなら、決してギルドに持ち込んではいけない。連中にいいように利用されるだけだ。街の裏通りを探せ。そこには、真贋を見抜く目を持つ、本物の"職人"がいるはずだ……』


「裏通りの……職人……」

 

 健志郎の心臓が、ドクンと鳴った。この記事には、具体的な店名や場所は書かれていない。しかし、この記事を読んだ人間だけが辿り着けるように、いくつかの暗号めいたヒントが散りばめられていた。

 

「『カラスの止まり木』の向かい、『錆びた天秤』の看板……」

 

 健志郎は、サラリーマン人生で培った読解力と推理力を総動員し、ヒントを解読していく。そして、ついに一つの場所を特定した。それは、健志郎の住む街から電車で二駅離れた、古びた商店街の裏路地にある、小さなアンティークショップだった。


 しかし、健志郎はすぐに行動を起こせなかった。

 

(本当に、行くべきなのか……?)


 相手は、正体も分からない裏稼業の人間かもしれない。そんな場所に、この得体の知れないガントレットを持ち込んで、一体どうなる? 法外な鑑定料を請求されるかもしれない。最悪の場合、ガントレットを奪われ、口封じに何をされるか……。

 

 だが、このまま放置しておくのも、時限爆弾を抱えているようで落ち着かない。


 一週間、健志郎は悩み続けた。仕事中も、家族と食卓を囲んでいる時も、頭の片隅には常に黒いガントレットのことがあった。


 

 そして、また週末がやってきた。

 健志郎は、いつも通りジャージに着替えた。だが、その手には園芸用のスコップではなく、古いタオルで厳重にくるんだガントレットが握られていた。

 

「じゃあ、ウォーキングに……」

「待って」


 家を出ようとした健志郎を、娘の凛が呼び止めた。

 

「パパ、これ」


 凛が差し出したのは、小さな水筒だった。

 

「最近、汗いっぱいかいてるでしょ。脱水症状になったら、もっとダサいから」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、その言葉には、紛れもない優しさが滲んでいた。

 

「……お、おう。ありがとう、凛」

 健志郎は、胸が熱くなるのを感じながら、水筒を受け取った。


 家族の優しさが、彼の背中を押した。

 

(そうだ。俺は、この家族を守らなきゃいけないんだ。そのためにも、この厄介な代物は早く正体を知って、手放すなりなんなり、決着をつけなければ)


 健志郎は、ダンジョンには向かわなかった。電車に乗り、例の裏路地へと向かった。

 古びた商店街は、シャッターが閉まった店も多く、活気がない。その一本裏に入ると、空気はさらに淀み、まるで時間が止まったかのようだった。


 あった。

 

 健志郎は、目的の店の前で足を止めた。

 色褪せた緑色のテント屋根。その下には、錆びついた天秤の形をした看板が、かろうじてぶら下がっている。店の向かいの電線には、まるで待ち構えていたかのように、一羽のカラスが止まっていた。

 

 店の名前は、どこにも書かれていない。ショーウィンドウには、ガラクタにしか見えない古道具が、埃をかぶって並べられているだけだ。


 ここだ。間違いない。

 健志郎は、ゴクリと唾を飲み込んだ。バッグの中の、タオルに包まれたガントレットの重みが、やけに現実味を帯びて感じられる。

 

 本当に、この扉を開けていいのだろうか。

 開けてしまえば、もう、ただの「健康づくりのウォーキング」には戻れないかもしれない。


 健志郎は、数秒間、その場で立ち尽くした。

 しかし、やがて意を決すると、震える手を伸ばし、軋む音を立てそうな、その古い木製のドアノブに、そっと手をかけた。


 

 ギィ――

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