第二十三話:サラリーマンの資源調達
廃工場の地下での死闘から、二週間が過ぎた。
健志郎の日常は、静かだった。あまりにも静かすぎて、あの夜の戦いが、遠い昔の悪夢だったかのように感じられるほどだった。
彼の体は、ガントレットによる驚異的な回復力で癒えつつあったが、半壊状態の『影の仕事着』をクラフトし直すには『影』が足りないほど枯渇していた。左手のガントレットも「影を喰わせろ」と言わんばかりに、健志郎の生命力を奪い始めている。
次なる戦いに備え、より多くの『影』と、素材が必要だ。健志郎は渇きにも似た感情を抱えながら、次の一手を模索していた。
転機は、何気ない平日の夜に、突然訪れた。
リビングで、家族と共に夕食後の時間を過ごしていた時のことだ。テレビの画面に、見慣れた光景が映し出された。
『――さて、次のニュースです。先日、謎の高エネルギー反応により閉鎖されていた桜ヶ丘ダンジョンですが、ギルドによる調査の結果、原因は特定されなかったものの、内部の安全が確認されたとして、今週末より、再び一般開放されることが決定しました』
そのニュースを聞いた瞬間、健志郎は、手に持っていた湯呑を落としそうになった。
「あら、よかったじゃない。凛、友達と行ってみたら?」
妻の友里が、隣に座る娘に微笑みかける。
「うーん、まあ、気が向いたらね」
凛は、興味なさそうに答えている。
(よかった。あのダンジョンは普通じゃないし、俺がダンジョンに潜ってる事がバレたら気まずい)
健志郎は、二人の会話を聞きながら、平静を装うのに必死だった。
だが、心臓が、期待と興奮で激しく高鳴っている。
それにしてもいいタイミングだ。
兵器工場での戦いで、エネルギーもスーツも失った今、新たな『影』の供給源が、喉から手が出るほど必要だった。
モンスターが豊富で、かつ、一般人に紛れて行動できる桜ヶ丘ダンジョン。今の健志郎にとって、最も安全で、最も効率的な「狩り場」へ行く準備を整えた。
そして、週末。
健志郎は、クローゼットから、ごく普通のスポーツウェアとスニーカーを取り出した。
「お父さん、出かけるの?」
リビングで雑誌を読んでいた凛が、顔を上げた。
「ああ。脱メタボのために運動してくるよ」
「ふーん。パパも、意外と続くね」
その言葉には、以前のような刺々しさはなかった。
「じゃあ、行ってくる」
家族にそう告げ、玄関のドアを開けた。
再開された桜ヶ丘ダンジョンは、以前よりも多くの人々で賑わっていた。
閉鎖されていたことへの反動か、家族連れや若いカップル、そして健志郎と同じような、健康目的の中年男性の姿も多く見られる。
健志郎は、その人混みに、ごく自然に溶け込んでいった。
彼は、入り口付近の混雑を抜け、ダンジョンの少し奥まった、人の少ない通路へと足を進めた。
そして、最初の「資源」と遭遇する。
ぷるぷると震える、青いスライム。
かつて、彼が恐怖に足がすくんだ、最初の敵。
しかし、今の健志郎の目には、それはもはや脅威ではなく、ただの「素材」にしか映っていなかった。
健志郎は、周囲に人がいないことを確認すると、擬態した左腕を解除し、無造作に振り抜いた。
ブヂュッ――という音と共に、スライムは一撃で消滅する。
(喰らえ)
心の中で命じると、立ち上った『影』が、ガントレットへと吸い込まれていく。ごくわずかだが、枯渇していたエネルギーが満たされ、スーツのヒビが、ほんの少しだけ塞がったような気がした。
そこから先は、もはや戦いではなかった。
目的のための「資源調達」という名の、システマチックな「仕事」だった。
健志郎は通路を歩きながら、冷静にターゲットを選別していく。
(スライムの『影』は、スーツの関節部分の柔軟性回復に必要だ。あと、二十体は欲しい)
シャドウ・ソナーを使い、効率的にモンスターの位置を特定する。そして、他の冒険者と遭遇しないよう、常にルートを計算しながら、冷静に、淡々と、狩りを続けた。
まるで、スーパーで買い物リストを見ながら、必要な商品をカートに入れていくような作業。
一体、また一体と、モンスターを狩っていく。
ガントレットに『影』が蓄積されるたびに、半壊していた『影の仕事着』が、自己修復していくのが分かった。表面のヒビが塞がり、失われた機能が、少しずつ回復していく。そして、彼の体にも、活力が戻ってくる。
一時間後。
健志郎は、ダンジョンの岩陰に座り、息を整えていた。
ガントレットは、十分な『影』を吸収し、満足そうに沈黙している。スーツの損傷も、七割方は回復しただろう。
ホブゴブリンたちが計画に移す前に、戦いの準備を完了させることができそうだ。
健志郎は静かに立ち上がると、何食わぬ顔で、再び賑わうダンジョンの入り口へと、歩き始めた。
ゲートをくぐり、地上へと戻る。外の生暖かい空気が、火照った体を撫でた。
(さて、帰ってシャワーでも浴びるか…)
健志郎が、そんなことを考えながら、賑わう人々の中を通り抜けようとした、その時だった。
「え? パパ……? なんで桜ヶ丘ダンジョンにいるの?」




