2話
夢の中で、何かが燃えていた。
誰かが叫んでいた。
声は遠く、音は濁っていた。
まるで布団の奥に閉じこもっているみたいな、ぼんやりとした感覚。
カイは、嫌な汗をかきながら目を覚ました。
「……なんだ……?」
寝床の外から、聞きなれないざわめきが聞こえる。
怒号。悲鳴。焦げた匂いが鼻をついた。
胸がざわつく。嫌な予感に背中を押されるように、カイは布団を蹴飛ばして立ち上がった。
扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは——赤。
村の家々が、燃えていた。
黒煙が空に上がり、あちこちで火の粉が舞っている。
「なっ……!」
広場では村人たちが逃げ惑い、誰かが倒れ、誰かが何かに喰われていた。
カイは思わずその場にへたり込みそうになった。
立っていることすら、難しい。
吐き気がするほどの臭い。焦げた肉の匂いと、乾いた血の匂いが入り混じっていた。
(これ……夢じゃ、ない……)
そして、見えた。
人のようで、人でないもの。
ぐにゃりと曲がった手足、裂けた口、光る赤い眼。
それが、村の男の腹を食い破っていた。
「……!」
声も出ない。動けない。
体が勝手に固まってしまった。
——そのとき。
「カイッ!」
後ろから誰かが飛び出し、カイの腕を強引に引っ張った。
「リナ……!」
叫びと同時に視界が動いた。
炎の中を、彼女はカイの体を抱えるようにして走っていた。
ふたりは村の外れ、瓦礫の陰に身を隠していた。
「リナ……これって……一体……」
「見たのよ。あの旅人、ザイン……背中から、黒い影が漏れてた。
そっから“あれ”が出てきたのよ。……間違いない」
「……」
カイは声を失った。
目の前で村が崩れ、リナが血を流している。
そして——それを呼び込んだのは、自分が助けた旅人。
(俺のせい、なのか……?)
胸の奥が冷たくなる。頭が真っ白になる。
“優しさ”が、命を奪った。
その事実が、カイの心を深く、深く突き刺した。
「しっかりして! 今は考えるより、生き延びるのが先!」
リナの怒声が響いた瞬間、煙の奥から異形が現れる。
「カイ!下がって!」
ギラついた赤い眼。ねじれた手足。異様に長い爪。
それが一直線に、ふたりへ向かってきた。
「……来いッ!」
リナが地を蹴る。
その瞬間、空気が揺れた。
まるで火の粉が彼女の拳に吸い寄せられるように集まり、次の瞬間、爆ぜるような音とともに拳が異形の顔面に叩き込まれた。
「らあぁああっ!!」
衝撃で異形の頭が潰れ、地面を転がって動かなくなる。
——その光景に、カイは目を見開いた。
(な、なんだ今の……!?)
ただの拳じゃない。
リナの体から、確かに“何か”が溢れていた。
熱? 闘気? ……いや、もっと根源的な、“力”そのもの。
恐ろしいほどの破壊力。
そして、それを放ったリナは、息を整えながらもまだ戦う姿勢を崩していなかった。
異形は地に伏し、動かなくなった。
カイは呆然とその光景を見つめながら、リナの背中に言葉を失っていた。
信じられないような強さ——それが、幼なじみの中にあったという事実が、
まだ頭で整理できなかった。
けれど——その余韻は、ほんの一瞬で破られる。
「リナ……!」
カイが声をかけようとしたそのとき、
背後から、ずるり、と何かが地面を引きずるような音が響いた。
煙の向こうから、再び現れる異形。
今度のそれは、さきほどの個体よりも一回り大きく、
刃のように伸びた爪が両腕から生えていた。
(また……!?)
「チッ……まだいるのね……!」
リナが構えを取り直す。だが、さっきの一撃で負った疲労は隠せなかった。
異形はゆっくりと、だが確実に、ふたりを殺すためだけに歩み寄ってくる。
「カイ、次は——っ!」
叫びとともにリナが振り返るが、
異形の爪は、彼女の肩から腹へと深く切り裂いた。
リナの体が、地面に叩きつけられた。
「リナ!!」
カイは駆け寄り、彼女の体を抱き起こす。
肩口から腹にかけて、深々と裂けた傷口が開いていた。
血が止まらない。呼吸は浅く、唇も色を失いかけている。
「リナ、しっかり……!」
返事はない。でも、まだかすかに胸が上下している。
死んでない。生きてる——けれど、このままじゃ……!
そのとき、異形が再び姿を現す。
体勢を立て直し、ぐしゃぐしゃに歪んだ顔でこちらを見ていた。
「……来るな」
カイは震えながらリナを抱え、後ずさる。
足がもつれそうになる。頭の中は真っ白だ。
逃げ場なんてない。剣も、力も、何もない。
でも——
(俺が、守る……!)
カイはリナを背負い、そのまま走り出した。
目指すは村の外れ、川沿いの崖道。
後ろで異形の足音が追いかけてくる。
瓦礫に足を取られそうになりながら、ただ前だけを見て進む。
(助けなきゃ……死なせたくない……!)
村の端に近づいた時、土が崩れかけている場所に差し掛かる。
崖沿いの細道。すぐ隣には濁った川が音を立てて流れていた。
そのとき、斜め後方から風を切る音。
——来る。
カイは振り向かず、ただリナを庇うように身を捻った。
「ッ!」
次の瞬間、何かが背中に衝撃を与えた。
体が浮く。
足が地を離れ、視界がぐるりと回る。
(……あ、やばい……)
——そして、カイはリナを抱いたまま、崖の先へと投げ出された。
冷たい水が、全身を叩いた。
激しい濁流が、カイの体を押し流す。
目も開けられない。息もできない。
腕の中には、力なく横たわる彼女の体。
重くて、温かくて、今にも消えてしまいそうで。
「……は……」
口を開こうとした瞬間、水が喉に入り、むせ返る。
腕に力が入らない。視界が暗くなる。
意識が、遠のいていく。
(ごめん……リナ……)
村は、燃えていた。
誰もいない広場に、黒煙が渦巻く。
血のにじんだ大地。砕けた家屋。
吹き込む風が、焼けた木々を揺らしていた。
生き残った者はほとんどいない。
この夜、地図にも載らぬ小さな村は、静かにその命を絶った。
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