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亡国の姫と哀しき悪臣

作者: 調彩雨
掲載日:2025/04/19

 揺蕩たゆたう、ように、生きて来た。

 ゆらゆら、ゆらゆら、流されるまま。波間に浮かぶ、海月くらげのように。

 苦しみや悲しみはなく、けれど、喜びや楽しみもなかった。

 まるで、物語を読むように、あるいは客席から、舞台の上を眺めるように。自分の生だと言うのに、どこか幕一枚挟んで、他人の生のように傍観していた。

 それは、周りから、悲劇と憐れまれる運命を辿っても。

 苦しみも、痛みも、悔しさも、悲しみも、怒りも。なにひとつ、鮮明に感じることはなかった。

 自分はなにか、ひととして、大切なものが、欠落しているのでは?

 そう、考えて、けれど、それに嘆く気持ちすら、持つことはなかった。

 そんなわたしが、不意に、覚醒するのは、ふたりめの我が子を抱いたとき。

 懸命に、産声を上げる、その子を見て、ふと、ああ、と、理解した。

 自分は、この子を産み、育てるために、この世に生を受けたのだと。

 守らなければ。誰からであろうと、この子を。

 産後の朦朧とした意識のなか、けれど、いつになくはっきりと鮮明な心地で、わたしはそう、心に刻んだ。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


 とは言え、皇帝唯一の妃が産んだ、初の男子である。確かに命を狙われやすい立場ではあるが、それ以上に守りも堅い。

 事実、その子は、何不自由なく、五歳まで育った。

 けれど平穏はそこまでだった。

 隣国から輿入れした姫君が正妃となり、側妃の産んだ第一皇子を、いずれ生まれる我が子の邪魔と考えたのだ。

 偶然か策略か、起きた叛乱の動乱に紛れて、正妃はわたしの子を殺そうとした。

 供を揃える余裕もなく、ただ幼い我が子ひとりを抱いて、わたしは王宮から落ち延びた。娘もふたりいたが、女であれば帝位を脅かすこともなく、政略の駒に使える。ひどい扱いを受けることもないだろうと、連れ出すことはしなかった。

 それで、死んだ、と、思って貰えていればと考えたが、甘かったようだ。

 正妃は己の謀略などお首にも出さず、狂った側妃が皇子を攫って逃亡したと喧伝した。

 あまりの言い分にぽかんとしたあとで、思わず笑って、これが怒りと言う感情かと、状況も忘れて感動してしまった。


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「良いですか。しばらくは、女の子として生きるのです。あなたは女の子。女の子です。わかりましたね」

 我が子にドレスを着せ、言い聞かせる。

 幸いにも、男女の差が出る前の歳で、我が子ながら色白で、美しい顔立ちをしている。女児の服を着せてしまえば、男と思うものはいない。

「母上、」

「わたしは母ではありません。リオと、呼び捨てなさい。あなたの侍女です」

 目立つ銀髪を茶に染めて、地味な服に身をやつす。

「どうして」

「見付かれば、無事では済まないからです」

 幼いながらも、聡明な子だ。誤魔化さず、きっぱりと告げる。

「皇子と気付かれれば、追っ手をかけられます。捕まるのが、陛下の手の者であればまだしも、正妃殿下の手の者であれば、あなたはその場で殺され、わたしはその罪を着せられて処刑されるでしょう」

 青褪めた息子の頬をなでる。

「そのような未来には、絶対にさせません。なんとしても、わたしがあなたを守りましょう。だから、どうか、言うことを聞いて下さい」

「わかり、ました、リオ」

 微笑んで頷き、続ける。

「あなたはライラ。商家の娘です。王都の動乱を避けるため、侍女と共に、遠縁を頼ろうとしています」

「私はライラ」

「そう、あなたはライラ。これから、ヨハン小父さまの家に向かいます」

「私はライラ。これから、ヨハン小父さまのところへ行く」

 聡い子だ。すべてを飲み込んで、従ってくれる。

「行きましょう、ライラお嬢さま」

「ええ。リオ」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「あなたも豪胆なことだ」

 かつてわたしを陥れた男は嗤う。

「よりにもよって、政敵の家に転がり込もうとは」

「いまは政敵ではないでしょう。国が消えたのだから」

「まあ、そうですけどね。でも、普通は頼ろうと思わないかと。いつまた寝首を掻かれるともわからない。だからこそ、敵の意表を突けるとは言え、狂ってますよ、恐怖はないんですか」

 いま、逃げ込むならば、この男の下が最良だった。それだけの話だ。

「協力は出来ないと言うなら、いますぐ出て行きますが」

「まさか」

 男は首を振る。

「あなたに助けを求められるのは、悪い気分じゃない。まあ、瘤なしであれば、なお歓迎でしたがね」

「思ってもいない冗談を」

 我が子こそ、この男にとっては価値があるだろうに。

「おや手厳しい。そうですね。我が家としても、あなた方を匿うことには利があります。このお話、お受けしましょう」

 大仰な仕草で一礼し、男は悪辣な笑みを顔に載せた。こんな顔で、笑う男だったのかと、いまさらながらまじまじと見る。かつてのわたしは、誰の顔もまともに見てはいなかった。

「枯らしたつもりの竹林が虎視眈々と根を巡らし、寝所を突き破ることもあるのだと、思い知らせて……あの、」

 悪辣な笑みのまま、つらつらと語っていた男が、ふと言葉を止めわたしを見返す。

「そう、じっと見られると、据わりが悪いのですが、僕の顔になにか汚れでも付いていますか?」

「いえ」

「では、なぜそうもまじまじと?」

「悪いお顔をしているなあと」

「……そう、ですか」

 男が片手で自分の顔の下半分を掴み、目を伏せる。

「悪い顔の男はお嫌いでしょうか」

「いえ、特には」

 首を振り、答える。

「他人に対して、好き嫌いを考えたことはありませんから」

「あなたはそう言う人間でしたね。ええ。だから僕としても驚きですよ」

 男が、わたしの息子に目を向ける。

「いくら自分の子とは言え、あなたがなにかを救うために、ここまでするとはね」

「我が子を愛し、守るのは、母親として当然でしょう」

「そうですね。ご立派なことだ」

 男は肩をすくめると、良いでしょう、と頷いた。

「あなたをお抱えの針子として雇いましょう。ライラは侍女見習いです。良いですね?」

「はい。寛大な配慮に感謝します」

「自分の食い扶持くらいは、稼いで貰いますよ」


   ё  ё  ё  ё  ё  ё


「あの」

「どうかしましたか、ライラ」

 振り向いた男は、にこやかな笑みだった。

 初めて会う男だ。母の、政敵だと、言っていた。

 けれど。

「私は、邪魔ですか?」

 瘤なしであれば歓迎すると、言った言葉に本気を感じた。

 おそらく、この男は、本気で、母を。

「あの方にも、あなたの半分でも、その察しの良さがあれば良かったのですがね」

 男が私の頭をなでる。

「邪魔ではありませんよ。あなたには、感謝しています」

「感謝?」

 私のせいで、母は王宮から逃げることになり、いまなお、命を狙われているのに?

「彼女は自分に、執着がありませんから」

 口調こそ淡々と。けれど、その目には悲痛さが見えた。

「地位も、名誉も、境遇も、待遇も、命さえも、彼女は頓着しません。誰も彼女を、活かせなかった。あなた以外は」

「私、以外は」

「あなたを守ると言う意志を持ったからこそ、彼女は正妃の魔の手に対抗し、ここまで落ち延びてくれた。あなたのおかげです。だから、僕はあなたに感謝こそすれ、邪魔と思うなどありえませんよ。どうか、彼女の錨を続けて下さい。ほかの誰にも、出来ないことですから」

つたないお話をお読み頂きありがとうございました!

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