青春よりも、日常だった
結局、青春なんて、どこにあったんだろう。
三年間の思い出の中に、それらしき記憶を探してみても、見つけられずに途方に暮れる。
人生に一度きりしかない、貴重なこの三年間――俺は一体、何をやってきたんだ?
もう終わりだなんて実感の無いまま、半ば呆然と卒業式に臨む。
小学生の頃なら、歌の練習や予行演習で、嫌でも卒業までのカウントダウンを意識させられた。
だけど、準備も何もおざなりな今じゃ、巣立ちの覚悟も何も湧かない。
本当にこれでもう、俺の高校生活が終わってしまうのだろうか。
何だか、変な夢でも見ている気分だ。
思えば入学したての頃は、中学より断然長く遠くなった通学路に辟易して「こんな生活、早く終われ」なんて思っていた気がする。
そんな登下校にもいつの間にか慣れて、しんどく感じていたことさえ忘れていた。
もう、あの道を通ることもなくなるんだ。
入ったばかりの頃は新鮮で物珍しかった校舎も、気づけば見飽きて何の感慨も湧かない。
いつの間にか、ここで毎日過ごすのが“当たり前”になっていた。
思い返して浮かんで来るのは、特別でも、美しくもない、ごくありふれた日々ばかり。
部活で名を残したわけでもなければ、成績で一目置かれたわけでもない。
普通にテストに苦労して、普通に授業を退屈がって、普通に友達と阿呆なことばかり言っていた、そんな平凡な日々たちの記憶。
青春って、もっとこう、キラキラして鮮烈で、思い返すとハッと胸を衝かれる記憶じゃなかったのか?
校長や来賓の長話に飽きて、何となく二階の窓を見上げる。
空はそこまで青くもないが、よく晴れていて「いい天気だなー」と思う。
特別綺麗でも、印象的でもない、いつも通りの青空。
普段とまるで違う体育館の内側とは裏腹に。
思えば“卒業式”って、何だか“やらされてる感”が強い。
めでたくて有難い“人生の節目”ってヤツなんだろうけど、正直、何のためにやっているのか今イチよく分からない。
体育祭や文化祭のように“楽しむ”って感じのイベントでもないし、ひんやりしたパイプ椅子に畏まって座らされているのなんて、むしろ苦行でしかない。
しんみり感傷に浸ろうにも、何だか現実感が無さ過ぎて、そういう気持ちも湧いて来ない。
俺がドライ過ぎるだけなんだろうか?
もう、今日が最後だから、目に灼きつけておいた方が良いんだろうな。
体育館と校舎を繋ぐ通路の、ナナメに走ったヒビ割れも。
校長室の横の、俺とは無関係なトロフィーの数々も。
黒板の上の、何の特徴も無い無機質な掛け時計も。
手持無沙汰になるたびに眺めていた、机の木目のぐねっとした模様も。
ちゃんと覚えておかないと、きっと在ったことすら忘れてしまう。
何の面白味も無い校内風景でも、明日からは目にすることもできなくなるんだ。
学校にいる三年間は、何となくこの平凡な日々が、ずっと続いていくような気がしていた。
そんなことあるはずもないと、頭では分かっていても――あまりにもこの毎日に馴染み過ぎて、そこから離れた自分を思い描けなかった。
だけど、もう終わりなんだ。
何だか嘘みたいな気分だが、俺は明日から、全く違う毎日を生きることになる。
この、人生が一度リセットされる感覚、何度味わっても慣れる気がしない。
振り返ってみても「もう一度繰り返したい」と思えるほど、特別な日々でもなかった。
毎朝あの時間に起きなければいけないのは眠くて嫌だったし、授業の予習やテスト勉強なんて、もう二度とやりたくない。
勉強に部活にイベントにと盛り沢山な学校生活は、全てを全力でやり切るには時間も気力も足りな過ぎて、いつしか俺はラクで無難な道に逃げていた。
限界まで力を尽くしたことなんて無い、出し惜しみの適当な学園生活。
そんなので大した結果なんて出るはずもないのに。
キラキラした青春とはほど遠い、どこかグダグダな日々。
楽しくなかったわけではないが「もっと青春できたんじゃないか」という後悔が無いわけでもない。
三年間なんて、長いようであっと言う間なんだな。
いつか訪れると、心のどこかで期待していた“青春らしい青春”は、結局俺には訪れないままだった。
現実感なんて無いままに、校門前でダラダラと、学校を出るまでの時間を引き延ばす。
校舎の脇の花の木は、うっすらと色づいてはいるが、まだ咲きそうで咲かない。
花びらでも散っていれば、もっと画になるのだろうが、そう上手くはいかないものだ。
クラスの女子の何人かは、涙で目を濡らしている。
だが、俺も、その周りの奴らも、涙どころかしんみりとさえしていない。
コイツらとも、卒業後は滅多に会えなくなる。
毎日毎日、見飽きるほど顔を見てきたのに、明日からは急に顔も見られなくなる。
互いにそれが分かっているのに、今日も特別な会話など無く、いつも通りに駄弁って終わる。
これで地元を出て行く奴もいるのに、“別れを惜しむ”という概念さえ無いくらいだ。
泣いている人間を見ると、俺は薄情なのだろうか、と少し悩む。
だが、きっとそういうことじゃない。
俺にとって学校での日々は、特別でも青春でもない、当たり前の日常だった。
だから、大切なものを失う喪失感なんて湧いて来ない。
じわじわと胸に滲んで来るのは、当たり前に在ったはずのものを失う、途方に暮れる現実感の無さ。
居場所をふいに失った、迷子のような気持ち。
進路という意味でなら、行くべき先は分かっている。
だけど、それがあまりに真っ白な未知の道過ぎて、呆然と立ち尽くしてしまう――そんな気持ちだ。
本当にこれで終わってしまうんだろうか、と、くだらない話をしながら思う。
もう、この門の中に足を踏み入れることも、なくなるんだろうか。
こんなに毎日、厭になるほど通って来たのに。
見慣れて見飽きた日常が、日常じゃなくなる。
それまで俺の世界だった場所が、俺の世界じゃなくなる。
俺とは遠く離れた、俺じゃない別の誰かの日常、他の誰かの世界になる。
そんなの、今は想像もつかない。
最初はそこら中に屯していた卒業生たちも、一人、また一人と、家族に呼ばれて人の輪から離れて行く。
今日はこのまま家族と帰る奴が多いから、いつまでもここに留まってはいられないのだ。
互いに引き留めたりはせず、未練な素振りも見せずに「じゃあ」なんて片手を挙げて、あっさり校門の外へ去って行く。
そんな淡白な別れで良いのか、なんて思いつつ、俺もまた特別な別れの言葉なんて言わずに出て行く。
……だって、急にそんな感情的な挨拶なんてしだしたら、ガラでもなくて恥ずかしいだろう。
いつものように笑って別れて、いつもと同じように躊躇も無く、学校を後にする。
久しぶりに回転寿司でも行くか、なんて言う親に、卒業記念だから高い皿取ってもいいか、なんて訊く。
後ろを振り返ることもない。
こんな、ありふれた日常でも、いつか遠く振り返った時、青春と呼べるようになるのだろうか。
思い出は美化される。
退屈なアレコレや、取るに足りない記憶たちが削ぎ落された三年間は、キラキラした青春の結晶になれるだろうか。
記憶に刻むに値しない、ありきたりな日常の、瑣末な出来事。
だけど何となく、それを削ぎ落してしまうのが惜しい気もする。
青春らしさの欠片も無い日常でも、俺はここに、確かに存在していた。
誰に誇れるわけでもない平凡な日々でも――毎朝、決まった時間に起きて、長い通学路を通って、退屈な授業や面倒な予習・課題を乗り越えて……一日一日を積み重ねてきた。
俺までが否定してしまったら、きっと本当に無価値で意味の無い日々になってしまう。
きっと、誰に訊いたところで“並”だとか“普通”だとかいう感想しかもらえない三年間――そこに価値を置いて愛でてやれるのなんて、きっと俺くらいしかいないから。
今日で最後の通学路を親の車で辿りながら、三年間の記憶の断片を、とりとめもなく回想する。
それはやっぱり、ごく一般的などこにでもある日常で、青春なんて探しても見つからない。
愛おしいと呼べるほど、感動的でもない。
だが、何となく、微笑ましくはある。
きっと、いつか思い出した時、懐かしくて微笑ってしまうくらいのことはあるだろう。
いつもは曲がらない交差点を右折して、通学路のルートからも外れていく。
見慣れた風景が遠ざかっていくのを感じながら、心の中で折り合いをつける。
――これで、もう本当に終わりなんだ。
未だあやふやな現実感ごと、今までの三年間を記憶の収納袋にしまい込む。
明日からは、今日までと違う、新しい日常だ。
決意と言うほどではなく、覚悟と言うほどでもなく、ただ、あるべきものをやっと認めた感覚で――俺は、もう戻ろうとしても戻れない日常に、別れを告げた。
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