2 蛇
森の闇は静寂に包まれ、セシリアの鼓動だけが耳に響いていた。目の前には、黒刀を手に大蛇の死体を見下ろす少年。癖毛の黒髪が風に揺れ、鋭い切れ目が冷たく光る。セシリアはまだ震える手で指揮棒を握りしめ、少年の言葉を反芻していた。
「弱い奏者が一人で、こんなとこをうろつくな」
その言葉は突き刺さるようだったが、セシリアの胸に宿る憎しみとプライドが反発した。
「あなたに助けを求めた覚えはありません!」
セシリアは声を張り上げ、碧眼を少年に向ける。しかし、すぐに締め付けるような肺の痛みが彼女を襲い、膝をつく。眼前にせまっていた死と向き合うことで呼吸をすることすら忘れていたためだ。
少年は一瞥をくれると、黒刀を鞘に納め、静かに言った。
「死にたくなければ、学園に戻れ。こんな森であの力を持つ蛇を相手にするのは、独奏の腕じゃ無理だ」
セシリアは肺に目一杯の酸素を送り込んだ後、唇を噛みしめ、立ち上がる。
「あなたは…誰? なぜここに?」
少年は答えず、背を向けて歩き始めた。だが、その瞬間、森の奥から異様な気配が這い寄る。セシリアの魔奏器官が震え、危険を告げていた。空気が重くなり、湿った冷気が彼女の首筋を撫でた。少年も足を止め、刀の柄に手を置く。
「まだ終わってねえな…」少年が呟く。
地面が不気味に蠢き、木々の間から細い少女のような幻影が滑り出た。霧のように霞んでいるため、少女のようなものの全貌は見えない。ただ、彼女の黒目はセシリアを捉え、底知れぬ嫉妬が赤く輝く。言葉はない。ただ、喉から漏れる低いうめき声が、蛇の鱗が擦れるような音と共鳴する。
「くっ…!」
セシリアは指揮棒を振り、独奏「光槍」を放つ。白銀の槍が幻影の少女に向かって突き進むが、闇から無数の小蛇が湧き上がり、光を呑み込む。蛇の目は血のように赤く、セシリアの指揮棒に絡みつく。絡みついた小蛇からは腐卵臭が発されており、セシリアの鼻腔を激しく刺激する。腐敗した臭いに慣れていないセシリアの表情に苦悶様がうかんだ。
その姿を見た少女は、口元が不気味に歪み、かすかな笑みが浮かぶ。声はない。
少年が動いた。黒刀を一閃し、蛇の幻影を切り裂く。同時に、彼の喉から低く、暴力的な重低音の旋律が響く。
「喰らえ、ダーインスレイブ」
少女の魔奏が乱れ、小蛇が霧散する。
少女の目が一瞬揺らぎ、闇に溶けるように後ずさる。彼女のうめき声だけが残響し、森に不気味な静寂が戻った。
「あなたは一体何者なの?」
セシリアは自分の中で無数に湧き起こる疑問の中から絞り出すように一つだけ彼に問いを投げかけた。
「お前はセラフィム魔奏学園の生徒だろ。俺が何者かはすぐ分かることだ」
「あら、もう終わったのかしら?」
闇の中から、気配を感じさせず、現れたのはこの世に存在しないような、危険な美しさを漂わせる妙齢の黒髪の女性であった。
「今までどこに隠れていた。アスモデウス」
呆れ声で少年が返す。
「私は戦闘用じゃないでしょ?それにドレスが汚れたら嫌じゃない」
そう言いながら、ボディラインを強調する黒色のスリット入りドレスを身に纏ったアスモデウスが、豊満な胸元を揺らす。彼女の肢体は、黄金比を体現した彫刻のように優美であった。さらに、紫眸は見るものすべてを飲み込むように魅了してしまう輝きをしている。
その美貌にも目もくれず、少年は嘆息し、言葉を繋いだ。
「お前に期待した俺が馬鹿だった。さっさと今日のとこは引き上げるぞ」
「きゃ!この後は燃えるような暑い夜を過ごしましょうね!」
熱の入った声でアスモデウスが声をあげる。
世の男性が彼女に誘いをかけられて、自身の理性を保てるものなど存在しないであろう。そう思わせるほど、彼女の顔、体、声の音色すべてが男の性を強烈に刺激する何かを持っている。
「魔力はダーインスレイブでこん限り吸い上げている。貴様とそのようなことをする必要は皆無だ。無駄口を叩く暇があったら、そこらに散ってる蛇の残りカスでもすすってろ」
冷たく少年は言い放つ。彼は一切の不純な気持ちを持っていないようであった。
その時、熱い夜のくだりを聞いたあたりから、顔面を紅潮させたセシリアがようやく言葉を発した。
「な、な、なんなんですかあなたたちは!?熱い夜って、、、そもそもあなたのその服はハレンチすぎます!」
「あら、あなたも綺麗な顔といい体をしてるけど、中身はまだお子ちゃまなのね」
そういうと、アスモデウスは音もなくセシリアの背後に回り込み彼女の体を弄り堪能し始めた。
「キャアァァ!なにするんですか!この公然猥褻女!!」
セシリアがアスモデウスを振り解き、自身の体を守るように抱きしめる。
「どんなときでも艶やかにあるべきよ。血を被ってる姿も興奮するけど、美麗な姿の方があなたにはお似合いね。エロさはないけど」
余計な一言に今度は怒りで顔を紅潮させたセシリアであったが、自身の蛇の血で血塗られていた黄金の髪とローブが綺麗になってるいことに気づき、怒りが驚きに変わった。
セシリアの美しさは、まさしく純潔を象徴するようなものである。黄金の長髪は、絹のように柔らかく日の光があたるとこでは輝いて見えるであろう。精巧な顔立ちではあるが、碧眼は強い意志を持った瞳をしている。白ローブの中には隠された肢体は、まだ発展途上ではあるが、将来を期待できる膨らみとヒップラインが存在している。
彼女たちのやり取りを取り合わずに少年は歩みを進めようとしたところで、直立不動のまま前方に倒れた。鈍い音共に。
「どうしましたか!?」
セシリアが忙しなく駆け寄る。
彼女の素の性格の良さが滲み出ている。
「腹が減って動けない…食事をくれ…」
少年は仏頂面のまま、セシリアに呟いた。
「力の使いすぎね。食べずに行くからこうなるのよ」
今度は、アスモデウスが呆れ顔で言う。
セシリアは今夜の錯綜した出来事と少年の言葉に力が抜けその場に、崩れ落ちるように座り込んだ。




