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今は安らかに滅びたまえ

作者: 栗山煉瓦

1

「さようなら」

彼女は僕に柔らかなさよならを言った。彼女の肩はいつもより下がり気味で、街灯の白に当たった顔は、幾分青く見えた。

「じゃあねぇ」

僕はおどけた調子で彼女に別れを告げた。ピエロみたいに、手を斜めに震わせて、笑顔で言った。

そして彼女は去って行った。残された僕はひとりで立ち尽くしていた。見上げれば桜がきれいに咲いていた。もう4月だった。どこかの会社の新入社員が僕の横をすりぬけて楽しげに過ぎてゆく。就活お疲れさん、社会人おめでとう。でも空き缶は捨てないでくれたまえ、拾うのは面倒だ。僕は公園を後にして、首のネクタイをはずした。

2

さあ、すべて終わった。僕の人生もこれですべて終わった。あとは、風まかせ。どこへ行こうか。歯車になりたかった。社会の歯車。歯車になれない不良品は、スクラップ工場行きが内定。スクラップに見放された者は、どこに行けばいいのだろ。

とりあえず酒でも飲もうか、お茶でも飲もうか。いきつけのタリーズで。それで、それが終わったら、家族からのメールを見よう。くだらない母からのメールだ。「元気?」とかそんな奴だ。それを見て少し顔がほころんだら、無慈悲に携帯をポケットにしまおう。そして、僕は滅びよう。

3

タリーズは混んでいた。喫煙席しかない。あっぷあぷ煙草のけむりにむせんで、僕は革のかばんを肩から下ろし、足元の籐カゴに入れた。足を伸ばせば隣のおやじ、咳払い。わびしい食事。横を通り過ぎる女の尻が揺れる。触ってみようか。いっそ触れば楽になる。烙印やきごて、犯罪人。僕は胸ポケットから携帯を取出し、メール履歴を繰った。母、母、ところにより一時父、母、母。鼻孔に煙、そして母。

『元気?』

僕はメールをじっと眺めた。死んだら悲しむかな。誰から電話がいくだろう。警察か、それとも病院か。赤いランプはどちらに運ばれる。

「もしもし、佐藤○○さんのお宅ですか」

「はい、そうですが」

予想に反して出るのは父だ。日曜日の寝間着姿は幸せの証拠とばかりに、だらしなく着崩したパジャマは縦縞。

「あのー、実はですね。○○さんがですね、アパートで自殺されましたんですよ、はあ」

けらけらテレビを見ていた母が

「どうしたの、お父さん」

と何気なく声をかける。父は威厳と混乱の狭間で震える受話器を指から離して、

「○○が死んだ」

と母に向かって呟く。

「何、言ってんの。嘘でしょう」

その後のことは容易に想像できる。そしてお葬式、骨になる僕。涙もでない母。

それから両親の悔恨の日々が始まるんだ。どうしてあの子のこともっとわかってあげられなかったのか、って。どんなにおいしい料理を作っても、もう味がしない、それでも食べなければならないつらさ。そんな毎日が死ぬまで続く。はははははは。僕の勝ち。

4

隣の席のおやじが席を立った。僕は我に返り、携帯をしまった。そしてその想像は僕を幸せな気分にさせたのだった。僕は無残な敗残兵となりこの世から消える。その時はじめて僕の価値が世に認められるんだ。でもこんなのってないよね。人生は理不尽。うがいはイソジン。

5

死ぬのは部屋でなければならない。容易に見つけてもらえるように。溺死とか轢死とか、豆腐以下の死体に成り下がりたくないし、第一それには悲劇性がない。やはり完全体で見つけてもらえなくては。僕はタリーズを出て、アパートに向かった。春風駘蕩、世は全てこともなし。

6

家に帰って誰もいない部屋に「ただいま」と声をかけた。靴を脱ぎ6畳の洋室の床に座って、母にメールした。

『もう会社辞めようと思うんだ』

30秒後にすぐ返事が来る。

『何甘えたこと言ってんの。続けなさい。みんな辛くったって我慢してるんだから』

なるほど。そうだよな、と僕は思った。社会はつらいのだ。学校のお勉強よりもはるかに苛酷なレースなのだ。知ってる。僕知ってる。僕は母に『ありがとう』とだけメールを打った。夜中が近い。

7

遺書は書かないことにした。鍵もかけないことにした。さあ、盛大な宝探しだ。お宝は僕、記念品は死体。もしうまく見つけてくれたなら、僕の人生は幸せだ。

さあ、今は安らかに眠りにつこう。

さあ、世界よ、安らかに滅びたまえ。

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