72 貞操の危機
お母様と一緒に玄関に到着すると、程なくして玄関の扉が開いた。
「ようこそいらっしゃいました、セドリック様」
執事のセバスが真っ先にセドリック王太子を出迎える。
玄関から入って来たセドリック王太子はセバスを一瞥すると、正面に立っている私とお母様に向かって笑顔を見せる。
「レイノルズ公爵夫人、お邪魔しますよ。キャロリン、体調を崩したと聞いたが、もう大丈夫なのか? 無理して出迎えてくれなくてもいいんだよ」
セドリック王太子の心配そうな顔に私はただ困惑していた。
セドリック王太子と婚約していた頃は、こんなふうな笑顔を向けられた記憶はなかった。
ただお互いに政略結婚の相手として表面上、仲が良いように取り繕っていただけだ。
そんなセドリック王太子がキャロリンに向かってこんな笑顔を見せるなんて、二人はそれだけお互いを想い合っているという事だろう。
(キャロリンも私を呪うほどセドリック王太子を好きだったのなら、もっと早く私に言えば良かったのに…)
そう考えた所で、ふと疑問に思った。
果たして私は実際にキャロリンにセドリック王太子を譲ってくれと言われて、素直に応じただろうか?
きっと『両親が決めた事だから』と言って、キャロリンの願いを突っぱねたに違いない。
「キャロリン、どうかしたのか?」
考え込んでいた私の顔を覗き込むようにセドリック王太子が、顔を近付けてくる。
「何でもありませんわ。それよりも私のお部屋に行きませんか? セドリック様ぁ」
何処からそんな声が出るのか、甘えたような声を出した私は胸を押し付けるようにセドリック王太子の腕を取る。
ちなみに、今私が着ているドレスは、胸が半分も見えるような襟ぐりの大きく開いたドレスだ。
セドリック王太子は好色な目を隠そうともせずに、開いた胸元に視線を落としている。
「そうだな、キャロリン。案内してくれるか?」
侍従が先導して歩く後を、私とセドリック王太子は腕を組んだまま歩き出す。
キャロリンの部屋に入ると、私とセドリック王太子はソファーに隣り合って座った。
セドリック王太子とは向かい合って座った事しかない私にとっては初めての事だ。
扉は開いたままで、部屋の隅には侍女達が控えているにも関わらず、セドリック王太子は私の肩に左腕を回してくる。
「キャロリン、会いたかったよ。これ以上キャロリンと離れているのは耐えられない。一日も早く結婚式を挙げたいな」
そう言いながらセドリック王太子の右手が私の顎を取って自分の方に向かせる。
(ちょっと待って! これってキスをしてくるパターン?)
思いもよらない展開に私の胸の鼓動は早鐘を打つように鳴り響く。
今までこんな空気になった事がないのでどうして良いのかまったくわからない。
て言うか、このままだと私のファーストキスの相手がセドリック王太子になってしまう!
私はまだ、あの婚約解消を告げられた時のセドリック王太子の顔を忘れてはいない。
セドリック王太子にエスコートしてもらえず、私は一人で夜会に向かった。
そんな私の前に立ちはだかったセドリック王太子は、キャロリンを抱き寄せたまま私に鋭い視線を向けてきた。
『親の仇を見るような目』とはあんな視線を言うのだろう。
そんな人と私がキスなんてあり得ない。
それなのに私の身体は、私の心とは裏腹にセドリック王太子に顔を向ける。
目を閉じたセドリック王太子の顔が、私の顔に近付いてくる。
(誰か助けて!)
声にならない叫びを上げた次の瞬間、部屋の中に眩い光が差したかと思うと、私とセドリック王太子の顔の間に誰かの手が割り込んできた。




