05.
「とても綺麗だね。髪と瞳の色にドレスが合っていて、貴方の魅力がよく引き立っている」
ふわりと微笑んだアルバートにそう言われて、エリーゼは思わず感心していた。流石伝説の色男、褒める時もそつがない。
メイシーと別れて会場を彷徨っていたところに再び話しかけられて、わずか十分ほどでこの距離の詰め方と惜しみないエリーゼへの賞賛。
気がつけは口調は先刻よりくだけたものになり、エリーゼとの物理的距離も常識的な範囲内で縮まっていた。
場合によってはやたらと馴れ馴れしい勘違い野郎などの罵りを受けそうな振る舞いだが、アルバートの場合はちっとも不快なところがないのだから不思議なものである。
後輩の卒業祝賀の場でプロポーズをかました非常識さを微塵も感じさせない美男子ぶりだ。
知り合ったばかりで共通の話題も特別なく、二人が通っていた学園のことを語り合った後は、自然とお互いの話になった。
聞くところによると、アルバートは学園卒業後から今まで、騎士団の一人として国境の護りの任に就いていたらしい。
エリーゼとて曲がりなりにも子爵の娘であり、社交界にもそれなりに顔を出していた。にも関わらずアルバートのことを見たことがなかったのは、単純に彼が王都にいなかったからのようだ。
「こう言ってはなんですけれど、貴方の様な立場の方でも遠方の任務に就くことがあるのですね」
言った後に少し不躾な発言だったかと思ったが、アルバートは気を悪くする様子もなく和やかに頷いた。
「この国や王族の方々をお守りするのに立場や身分は関係ないからね。私は騎士としてはまだまだ未熟者だし、国境の砦での経験は王都ではなかなか得ることが出来ない、貴重なものだったと思うよ。」
そう語る彼の顔つきは、この国を守る事への誇りに満ちているように、エリーゼの目には映った。
国境の砦での功績を評価されて騎士団内での階級が上がり、アルバートは今度から王都での任務にあたるそうだ。
会話がひと段落したあと、エリーゼは意を決して、求婚されてからずっと気がかりだったことを尋ねた。
「あの、アルバート様は、どうして私に、その、求婚して下さったのですか?私たち、今まで会話どころか、顔を合わせた事もなかったはずでしょう?」
「ああ、それは……」
アルバートはしばし逡巡した後、口を開いた。
「……ごめん、今は言えないんだ」
予想外の返答を受けて、エリーゼは目を瞬いた。
仮にも求婚してきたのだから、一目見た瞬間運命を感じたとか、実は昔二人は会ったことがありその時将来を誓い合ったとか、そこまでロマンチックなものではなくとも、祝いの席で婚約破棄を告げられた女を憐れんでとか。とにかく何かしらの答えを期待していた。
答えられないなんていかにも怪しい。やっぱり、何か裏があるのだろうか。こうなるとアルバートの麗しい顔も、女を騙す悪い男のものに見えてくる。
そういえば以前エドマンドと観に行った劇の一幕で、似たようなシチュエーションがあった。
────超美形の裕福な貴族に突然求婚された没落貴族のヒロインは、それまで口を聞いたこともなかったその男が己の運命の人であると信じ、彼の元へ嫁ぐ。
だがその男の正体は、若い女を殺戮を好む猟奇殺人鬼だったのだ。
純粋かつ可憐なヒロインは、自身も男に命を狙われる。それでも男の心の奥にある良心を信じ、彼に寄り添い、最終的に彼の猟奇趣味のきっかけとなった悲しい過去に立ち向かう。
そうして彼女は、過去を反省した彼と共に、真実の愛を手に入れたのだ────。
「真実の愛ですって……素敵だわ……」
「ひどい内容だった……話が支離滅裂すぎる」
劇場から出るなり、エドマンドがげんなりとした顔で呟いたので、エリーゼは余韻に浸っていたところに水を差された気分になった。
「なんでそんなこと言うの? いいお話だったじゃない」
「そうか? 愛で殺人がやめられるなら最初からそんなことするなよ……。被害者が浮かばれなさすぎる」
なんて無粋な男なのだろうとエリーゼは思った。このロマンが分からないとは。
「現実とこういうお話を一緒にしないでよ」
「いや、創作にしてもあの話は酷い。なんだよ真実の愛って……」
「……そんなに文句があるなら、来なければよかったじゃない」
エリーゼがぼそりと呟いた。エドマンドが尚もぶつくさと劇への不満を言い続けるので、思わず棘のある話し方になってしまう。
エドマンドが悪びれもせず「なんだよ、観たいって言うから付いて来てやったんだろ」と言うので、エリーゼの神経はますます逆撫でられた。
「嫌々来るくらいなら初めから断ってくれて良かったって言ってるの! もともとお芝居なんて好きじゃないくせに」
エリーゼがそう言うと、エドマンドはみるみる不貞腐れた顔になった。
「分かった。じゃあもう文句も言わないし、付いて行ってもやらないよ。なんだよ、せっかくチケット用意してやったのに」
エリーゼは少し言いすぎたかと申し訳なく思ったが、エドマンドがあまりにむくれたままなので、なんと子供っぽい男なのだと呆れもして、結局、双方謝らないまま家路についた。
学園に入りたての頃、二人がまだ十五歳の時の話だ。
そう言えば、二人で劇を観に行ったのは本当にあれが最後になった。
「ただ」
ぼんやりと昔を思い出していたところに声が聞こえて、エリーゼはハッと顔を上げた。
目に入るのは、精巧な彫刻の様な美しい顔。欠点がない故に現実味のない、ともすると人間味のうすい顔立ちだが、こちらを見つめる深い湖のような青い目は、彼の清廉さを表しているようだ。それこそ、物語に出てくる王子様のような。
「ただ、決してふざけた気持ちで言った訳ではない事を分かって欲しい。もし応えてくれたら、きっと君を幸せにしてみせるよ」
そう話す彼の表情に、裏があるようには思えない。
そもそも、エリーゼを騙したいのならば適当に嘘をつけばいいだけなのだ。愚直に理由を話せないと言うなんて、むしろ誠実なのではないか。
「アルバート様は、劇をご覧になりますか」
ふと頭に浮かんだ言葉が口をついて出た。
唐突な質問に驚いたのか、アルバートは少し怪訝な顔をした。
「劇? そうだな、昔何度か行ったことがあるよ」
「私、観劇が好きなんです。特に恋物語の」
アルバートはにこりと笑って、「そうなんだ。じゃあ、よかったら今度一緒に観に行こうか」とさらりと言ってのけた。エドマンドとは大違いだ。
今、彼に恋をしているのかと問われれば否だ。だが、これから共に時間を重ねてゆけば、いつか好意が芽生えるかもしれない。
それに、誰もが憧れるような人にプロポーズされ、浮かれる気持ちも確かにあった。
この求婚に何か事情──例えばアルバートが猟奇殺人鬼であるとか──があったとして、真実の愛とかいうものを求めて、今一度行動してみるのもいいかもしれない。学園の伝説とやらにやれば、彼は運命の人らしいのだから。
エリーゼは冗談混じりにそう考えた。
どのみち、エドマンドとの婚約は無くなったのだ。
「……やっぱり、すぐにお返事することは出来ません。ただ、真剣に考えてはいます。もう少しお互いを知ってから、改めてお答えしてもよろしいですか?」
「ああ、もちろんだよ」
その後、パーティーの終わりまで、エドマンドと会うことはなかった。