03.
少し外の風にあたって落ち着こうと人気の少ないバルコニーに出たところで、待ち構えていたように声をかけられた。
「ねえエリーゼ、さっきのは何? いつの間にあのウィンダレイク様と知り合ってたわけ? レノックスのことも捕まえておいて、あんた結構ガッツあるのね」
捲し立てるような話し方には非常に聞き覚えがあった。
見ると、案の定クラスメイトのメイシーが目を爛々と輝かせている。彼女が獲物を見つけた時の目だ。
この目つきにはあまり良い思い出がなく、エリーゼは面倒くさいことになったと思った。
メイシーは学園に入学した当初から今日まで、大のゴシップ好きとして名を轟かせていた。
その好奇心の強さはおしゃべり好きの女子生徒などと言う可愛らしい次元のものではなく、どこから湧いてくるのか分からない無限の活力と常人離れしたフットワークの軽さであらゆる騒動に首を突っ込み、時に事態を悪化させていた。
西の棟で恋の鞘当てがあると聞けば、当の本人たちに根掘り葉掘り質問するというデリカシーのかけらも無い行いでさらなる混乱を招き、東の棟で男子生徒の乱闘騒ぎがあると聞けば、身一つで渦中に割って入り、なんだコイツはと周囲を困惑させていた。
その姿はもはや一介の野次馬の域を超えており、噂を聞きつけ学園中を奔走するその姿は、神秘を求め地の果てまでも追いかける探検家のようでもあった。
その勇気と傍迷惑さに、他生徒は畏怖と感嘆、敬意、なるべく大人しくしていてほしいという切実な願いを込めて、彼女を歩くジャーナリズムと呼んだ。
そのメイシーがエリーゼの腕をがっちりと掴んでいる。
その力強さからは彼女が納得するまで離さないという強い意志を感じ、学園のゴシップ女王の名に恥じない遠慮のなさをいかんなく発揮していた。
これは正直に話すまで開放されないだろう。
エリーゼはため息まじりに答えた。
「知り合ったのは今さっきだし、あなたが見てた以上のことなんて何もないわよ」
メイシーが不満げに口を尖らせる。
「ちょっと、そんなので誤魔化されると思ってるわけ? いいから正直に吐いちゃいなさいよ」
「誤魔化してなんかない。ほんとにさっきのが初対面だったんだもの。あの方が名乗るところ見たでしょ? 名前もあの時初めて知ったくらいなんだから」
メイシーが納得しかねると言うように首を傾げた。
「じゃあなに? 初対面でプロポーズなんかされたの? どうして?」
「そんなのこっちが聞きたいわよ」
尚も詳しい話を聞こうと食い下がるメイシーに根負けし、エリーゼはパーティーでの一連の出来事を話した。
エドマンドと口論になり、婚約破棄したこと。そこに突然声をかけられて求婚されたこと。エドマンドに腹が立ち、勢いで肯定的な返事をしてしまったこと。
言葉にしてみても突拍子がなくてわけが分からない。だが説明していくうちにエリーゼの頭も多少は整理されて、いくらか落ち着いてきた。
「ふーん……よく分からない話。ウィンダレイク様、やっぱり謎が多いわ……」
いつの間に取り出したのか、メイシーが手にした手帳に万年筆で何やら書き込んでいる。
チラリと見えたページは、細かな文字でびっしりと埋め尽くされていた。中身は学園のゴシップで一杯なのだろう。
「レノックスと喧嘩してたのは見かけたけど、まさか婚約破棄までいくなんてねえ」
こともなげに言うメイシーに、エリーゼは顔をしかめた。
「見てたなら止めなさいよ。いつもだったらこういう時、呼んでなくてもすぐ来るくせに」
「あのねえ、卒業パーティーなんて新しい話の種の宝庫よ。いっつも同じようなことで揉めてるあんた達の相手してる暇なんか無いに決まってるでしょ。……知ってる? ついにゲイリーがあの後輩女子に告白したわ」
「え! とうとう? …………じゃなくて。……さすがにあんなに大勢の前で喧嘩することなんて、今までなかったわよ!」
気になる話題につられそうになるが、慌てて首を振る。
メイシーは完全に自分の世界に入っているようだ。エリーゼの抗議に構わず、何やらぶつぶつと呟きながら手帳をパラパラとめくっている。
「レノックスと婚約破棄してすぐにプロポーズねえ……。どっかで聞いたことあるような話……」
「こんなおかしな話、他にあってたまるもんですか」
「まあまあそう言わないで……あ、ほら、あった。公爵令嬢の呪い!」
「こ、公爵令嬢の呪い?」
珍妙な言葉の響きに思わずオウム返ししてしまう。
「そう。なんでも昔ここの卒業パーティーで理不尽に婚約破棄された公爵令嬢がいて、同じ目に遭った生徒が運命の人と結ばれるように呪いをかけたとかなんとかかんとか…… 。つまり、卒業パーティーで婚約破棄したら運命の人に求婚されるって言う伝説みたい」
「は、はあ……?」
メイシーが手帳の文字をつらつらと読みあげる。その内容のあまりの信憑性の無さに、エリーゼは空いた口が塞がらなかった。
「よかったじゃない。あの伝説のアルバート・ウィンダレイクがあんたの運命の人ですって」
いかにもどうでも良さげな言い方からして、メイシーもこの話を本気で信じているわけではないようだ。
「運命ね……」
一瞬、さっきまで婚約者だった男の顔がよぎった。
幼い頃、彼と初めて会ったときに、そんなことを言っていた記憶がある。あの頃はエドマンドのことを、自分の運命の王子様なのだと言ってよく両親に笑われていた。
なぜそんな風に思っていたのか、当時の自分の気持ちはさっぱり思い出せないが。
「……それにしても、あなたがそんな話まで知ってるなんて少し意外だわ。呪いとか運命とか、信じるタイプだった?」
メイシーは無類の噂好きだが、学園の七不思議やら恋のおまじないやらに食いついている印象はあまりない。興味の対象は、もっぱら現実の人間関係の方だと思っていた。
「ま、べつに信じてはいないけどね。こういう話も知ってて損はないわよ。突飛な噂の裏に、思いがけない真実が潜んでたりするんだから」
メイシーはかじり付くようにして読んでいた手帳から目を離し、ちらりとエリーゼを見やった。
「で、エリーゼ、あんたはこれからどうするつもり?」
「どうするって、なにが?」
「決まってるでしょ、ウィンダレイク様とこれからどうするつもりなのかってことよ」
「ああ、そのこと……」
夜風に当たって頭が冷えていくごとに、勢いで返事をしてしまったことへの後悔は深まっている。
「さっきは勢いであんな返事しちゃったけど……やっぱりお断りしようと思うわ。よく知りもしないのに結婚なんて、考えられないもの」
「そんなのダメよ!」
メイシーが勢い込んで言う。予想外の反応にエリーゼは思わずのけぞってしまった。
「だ、だめ?」
「ダメよ! だってほら……一度承諾したのにすぐ断っちゃうなんて失礼じゃない!」
「そうかしら……」
まさか、普段失礼の権化のような活動をしているメイシーからそんな言葉を聞くことになるとは思わなかった。
「そうよ。それに……ほら、運命の人かもしれないのよ? あんたそういうの好きでしょ?」
「……まあね」
とってつけたような言い方が引っかかるが、確かにエリーゼは運命や前世からの因縁という言葉に非常に弱かった。馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、懲りずに憧れてしまう気持ちはある。
エリーゼが迷う様子を見てこれはいけると感じたのか、メイシーは更に畳みかけた。
「ね? よく知らないから断るなんて言うなら、もっと話してみてから決めればいいじゃない! そうしないときっと後悔するわよ。あんな好物件そうそうないんだから」
「確かに……そう、かも?」
丸め込まれたような気がしないでもない。だが確かに、断りを入れる前に少し話してみるくらいはするべきかもしれない。
頷いたエリーゼを見て、メイシーは顔を輝かせた。
「決まり! 何かあったらいつでも私に相談してね。何もなくても報告して」
メイシーはおもむろにエリーゼの手を握った。
「彼、あんなに有名人の割に全然情報が入ってこないんだから。こんなチャンス滅多にないのよ。なんならデートに同行しましょうか?」
興奮で目を爛々と輝かせるメイシーを、じとりと睨みつける。やはり、彼女が親切心からアドバイスをするはずがなかった。
「……なるほど、それが目的なわけね」
「まぁーねー」
メイシーは悪びれもせずニタリと笑った。