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”ギンセン”

『……つごもりさんが、地中で結びついた一つの巨大な生命体ではなく、それぞれが独立して活動する妖だったら、あの薬だけで無害化出来たかもしれない』

 立ち話を続けているのに疲れたのだろう。別海も、加邊の隣にしゃがみ込んだ。

『ただ、それが可能になったとしても、課題はある。今の段階では、ある程度相手に近づいて、直接薬を投与するしか方法がないからね』

『神を相手に、生身の人間がやるにはきついな』

『ああ』別海は頷いた。『そもそも、ギンセンの掌中に我々が五体満足で踏み込めるかどうか自体が賭けだ。柑乃が味方についてくれたとしても、上手くいくかどうか……』

『すまないね』加邊が低い声で言った。『こんな身の上でさえなければ、僕も力になれたのに』

 それを聞くや、別海は大袈裟に身を震わせて『おお、嫌だ』と言った。

『冗談はよしとくれよ。手前の面倒を見るだけでも精一杯な年だってのに、さらにもう一人、(じじい)を連れて神殺しに行かなくちゃならないだなんて、考えただけでもぞっとする』

 加邊は、少しの間、ぽかんとした顔で別海を見つめた後、放心したように自分の頭をさすった。

『そうか……。僕は本来、もう、七十を超えているのか』

『年を数える習慣くらい残しておきなよ。──ま、その点は私も、他人に偉そうな事が言えた義理じゃないが……』

 別海は苦笑まじりに言った後、表情を引き締めた。

『妖や神霊の類は、大抵、ヒトよりも長命だ。その分、代謝や繁殖の周期も長い。ギンセンも、最近になってようやく、何年も前に喰らった魂を糧として動き回れるようになったんだろう』

『それは、僕も同じ事を思っていた』加邊が身を乗り出す。『あいつがいるのは潮蕊(うしべ)()だ。数多の河川が流れ込み、そして同時に、多くの河川の源ともなる場所。なればこそ、瘴気の流出を防ぐ為の弁が各地にある。それが、ここ一年ほどの間で立て続けに、弁のある土地の近くで様々な異変が見られるようになった』

『私もそれくらいは聞き及んでいるよ』

 素っ気なく返した別海を、加邊は、じっと睨みつけた。

『何だい。気色悪いね』

『弁は、潮蕊湖に近い地域ほど多く作られている』

 加邊は重々しく語り始めた。

『だから、当然、異変の報告件数も潮蕊湖に近づくほど多くなる。今までは、せいぜい、潟杜の辺りが北限だった。

 それが今回は、潟杜よりもずっと北にある、この岩河弥村で異変が起きた。しかも、変異したつごもりさんが地下水流から侵入し、弁の機能の(かなめ)を担っている本を運び出そうとする、という──』

『わかっている』別海が手を掲げて加邊の話を遮った。

『……わかっているさ、その意味くらいは。だから、私も柑乃も、実を結ぶかどうかもわからない試みを、来る日も来る日も、やり続けずにはいられないんだよ』

 その会話を最後に、二人は口を閉ざし、やがて東の空がかすかに白み始め、ばらばらに立ち上がってその場を離れるまで、一言も言葉を交わさなかった。

 柊牙の方も、そこまで追うのが精一杯だった。

 革紐に編み込まれた霊視封じの術式と反発しているのだろう。左の手首が、熱した鉄を近づけられたような痛みを放ち始めている。

 美蕗から渡された布を外して上着の内側に仕舞い込んだ時、ピアノを弾き終えた冬也が、こちらを振り向いた。

「あの……」冬也はぎゅっと唇を結んで、沈痛な面持ちだった。

「なんか、リズムを合わせなきゃって思うと、今まで弾けていた所が弾けなくなって」

「大丈夫だよ」柊牙は人当たりの良い笑顔を浮かべて、楽譜に顔を近づける。「気にしなくちゃいけない事が、いきなり一個増えたもんなあ。ちょっとくらい、調子が狂って当たり前だよ。メトロノームの音を聞くっていうよりも、リズムを自分の物に出来れば良い訳だから……、そうだな、俺はそういう時……」

 冬也に話しかけながら、柊牙は、過去視を使って知った別海達の会話の内容を、美蕗に報告する為に頭の中で整理し始めた。

 霊視の力を使っていた事を相手に悟られないように、違和感のない会話をしてみせるのは、彼にとっては、もう慣れた所行だった。

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