開幕
「それじゃあ、私は数学部行ってくるよ。午前は私の担当だからね」
「丸一日放置してしならせたマックのポテト早食い選手権のために、胃袋を開けてきます!」
「とりあえず、見回り行ってきまーす」
「ちばにゃんを必ず捕縛して、引きずり回すのーっ」
文化祭初日の朝、クラスでの役割もないし、ライブは最後、大トリだし、誰かしらいるだろうと思って生徒会室に来たら、蜘蛛の子散らしたように、知り合いが一斉に去っていった。まあ嘉琳と行動を共にすればいっかー。
「今日は予定詰まってるんだよねー。まっ、人望があるからさぁ、頼られちゃうんだよ」
「手先が器用で、しかもちょろいからじゃないですか?」
「いいよ?私がいなくなるだけで、立ち行かなくなる催しがいっぱいあるの、この私が文化祭を支配してるって感じで!まあいいや、パチ打ってくるー」
嘉琳もいなくなった。当然、颯理も業務があるのでここから動く気はないらしい。だとすると、もしかしなくても文化祭ぼっち……?嫌だ、一緒に回る人もいなくて、文化祭に興味ないからって、仕事をする気もないのに自分のクラスで、椅子に座ってずっとスマホと握手なんて!せめてチョコレートでも配ろうかな……。
「もしかして、時雨さんはつれづれぇーって感じですか?」
「あっうん、どうしよう、することないし帰ろうかな」
「一人で回ってくればいいじゃないですか」
「一人で楽しめるほど、娯楽に飢えてないよ」
「なら、私と回る?多々良さーん」
不敵な笑みで誘われたくはなかったが、これも人生経験だと解釈すれば悪くない。
「受けて立ちましょう、先輩」
「えぇー、どっか行くのぉー?蒔希ー」
「私はね、後輩思いなのよ~。だから一緒にいてあげるねっ。あー、常葉にはこれあげるよ」
「1000スタンフォード札……、これって使えるのぉー?」
「もちろん、私の権威を盾に使えるよ。あ、ささっちゃんにもあげるね」
蒔希は手作り感満載の1000スタンフォード札の束を、常葉に渡して懐柔した。これこそ札束で殴るというやつである。いや、通貨発行権で殴る?
「こ、こんな横暴な話が、通じるんですか……?」
「ささっちゃんよー、汗水垂らしてタダ働きしてる私たちが、文化祭で飲み食いするのに、日本銀行券を使わされるのっておかしくない?」
「まあそうですね。そうですよ」
あの粉落としみたいな颯理が納得して、そっと袖の下にしまったので、余程ハードワークだったのだろう。あと二日もつのか怪しいが、ライブ前に倒れられるわけにもいかないので、ここは激励の言葉を投げてあげよう。嘉琳に電話した。
「はい、私を励まして」
「励ます?とっくりがっぽり、こっくりがっかり、見初めたミネソタ、死ぬときゃぽっくり」
「ありがとう。今までで一番感謝してる。神の祝福があらんことを」
「おかしいだろもっとか」
私は机に座って雑務に励む颯理に跪き、嘉琳から教わった治癒魔法を詠唱した。
「あっあぁ、ありがとうございます。元気出ました」
空気読めるなぁ~。感心していたら、蒔希につまみ出された。
「別に児玉先輩も一緒で良かったんじゃないですか?どうせ、仕事は颯理と実行委員に押し付けてるんでしょうから」
「あの人はとんでもないんだよ。『小太りのおじさんが言ったら即刻退場になる、どぎつい下ネタを女子に言って回ったらどうなるだろぉー』とか、荒唐無稽なことに対しては頭が回るの」
「そうなんですねぇ。でもいいじゃないですか、どれだけ滑稽でも、惨めでも、それが許される場所があるなんて」
「あの、多々良さん、まだ文化祭始まって5分なんだけど、夕暮れ時の屋上で話してる?」
「おー、それやるためにキャンプファイヤーしましょうよ、校庭で」
「残念ながら厳しいんだよね。遠い昔、当時の馬鹿会長がヘマして、消防車がオクラホマミキサーしたことがあったの。あの、笹川 九音とかいう稀代の狂人」
「颯理の……お母さん……?」
「面白いよ、生徒会日誌。その人の時代とか、学生運動真っ盛りの頃なんかが特に」
「先輩も書いてるんですか?」
「当たり前じゃない。シグレッチっていう架空のスラブ人を作り上げて遊んでる」
「もう少し胡椒を一捻り入れたら……」
廊下に行くと、そこはもう朝っぱらから勧誘合戦が繰り広げられていた。文化祭で客引き禁止条例制定したら面白そうだなぁとか、常葉みたいなことを考えていたら、幼気にはしゃぐ蒔希が肩を叩いてきた。
「お化け屋敷だってーっ。入ろうよー」
「えぇ、もうお腹いっぱいなんですよ。あっ、あっちのクレープ美味しそうだな。食べてこよー。先輩は一人で入っててください」
冗談のつもりだったのだが、蒔希はそのクラスの女子に囲われながら、口を膨らませつつお化け屋敷に入っていった。はいはい、クレープ買ってきますよー、だ。って、私には1000スタンフォード札ないじゃん!?
「クレープ食べたいの?」
「んあっ、いや、そんなことは決して断じて神に誓ってありえないよっ」
わざわざクリームを口元にくっつけた真朱帆の千里眼は、私の言い分など眼中になかった。彼女は持ってる食べかけのクレープを渡してきた。うーん、美味しいところは全部持ってかれてるからなぁ。かと言って、これを蒔希へ横流しにするのも気が引けるし。
「あー、紅茶パウダーをかけようか?絶対合うと思うんだー」
「何でもいいけど、こんな朝から食べようとはならないんだな。ふぐっ」
力ずくで口に押し込まれた。真朱帆はもう片方の手で、しっかり私の胴体を壁に固定していて、一周回って芳香剤みたいな紅茶の香りとともに、クレープを飲み込む以外の動作が許されなくなった。明らかに物理法則が破綻している。何気ない普通の顔も、魔女が心の底から楽しんでいるようにしか見えなくなる。やっぱり苦手かも、この人。
「あーっ、先にクレープ食べてるーっ。あーあ、少しは信用してたのに」
「先輩が長いから、食べさせられたんですよ。ちくしょうが」
「その言い方、トイレ入ってたみたいだからやめて……?」
完璧に口の周りのクリームは拭いたはずなのに、どうして見抜かれたんだと思って、顔中べたべた触ってたら、鼻の頭についていた。
蒔希はまだ磁石みたいに付近の女子を引き寄せ、1000スタンフォード札でクレープを買い占め、全員に餌付けして解散させた。生徒会副会長みたいな地位の人間が、有象無象に取り巻かれるという現象が実在するとは。なんか、これを見られたのが、高校に入ってからの一番の収穫かもしれない。
「ごめんね、私、人気者だから」
「部活の時以外で一緒になること、あんまり無かったから知らなかったけど、なんと言うか、大変ですね」
「多々良さん、部活の時でさえ、あんまり関わりたくなさそうな雰囲気を醸すから……」
「別に普通になら接しますよ。キスしよーとかは、ちょっと無理ですけど」
「それより手前ならいいの……?」
「そもそも、先輩が後輩をさん付けしてるのに違和感ありありなんですよ」
「そりゃあ、先輩だからって傲慢な態度はいけないでしょう。でもいいって言うなら、時雨っちって呼ぼうか?」
「架空の人物じゃなかったんか……」
人の流れに逆行して外に出てみると、新校舎の入口前、正門入ってすぐの場所で、某世界中に広く分布し、日本では主に千葉に住んでいるねずみの耳を被った人間かと思ったら、指が四本しかないキャラクターに酷似した着ぐるみが、朝っぱらから来場者に愛想を振りまいていた。
「これはー……?」
「せっかくだし、今年の文化祭は、マスコットキャラクターを投入してみようかなーって。提案したのは本間さんよ」
「で、誰がデザインしたの?」
「アブ・アイワークス……じゃなかった、これはね、常葉のオリキャラだよ」
「やあ、僕の名前ははくさい!よろしくね!」
声まで寄せようとしているが、全然ピッチが足りてないし、かすれて息絶えそうになっている。このおかげでオリジナリティーが生まれて、D社が訴訟を逡巡している可能性すらある。
「というか、この見た目で “はくさい” は無いでしょ。普段どんな白菜食べてんのさ」
「仕方ないでしょ。白山高校文化祭、略して “はくさい” よ」
「じゃあ普通に白菜をモチーフにすれば良かったのでは?」
「それだと、日本中にのさばってる、いまいちパッとしないゆるキャラと変わらないじゃない!」
「このネタも使い古されて、南極でもないのにパリパリになってるよ!」
「じゃあこの着ぐるみの、唯一無二なところ教えてあげる!まずこの素材、日本のすごい企業が開発した特殊な繊維のおかげで、刃物はもちろん、防火性、耐熱性、防水性にも優れてるの。これで常葉に何されても中の人は安全。その代償として、すこーし抱き心地は悪いんだけどね」
抱きついてみると、キャンプ道具みたいな人工の繊維を感じる。強引にもぞもぞしてみると、なんかひと際堅強な部分があることに気が付く。
「防弾性能もばっちり。SOCOM PISTOLでも問題なしっ」
「要らないでしょ。何、潜入ミッションにでも使うの」
「後はね、日本が誇る強力な接着剤で、腰についてるファスナーは固着してあるから、もう外から開けられる心配なしー」
「えっ、もしかして僕、一生涯この姿……!?どうやってご飯食べればいいんだい!?」
はくさい風情が何かほざいている。それでも特徴的な声という、キャラクターを捨てないなんて、外見に取り込まれてしまっているのかもしれない。労いの言葉をかけてあげたいが、着ぐるみから出てこられないならどうしようもない。
「なぜ宇宙服スタイル……」
「だって常葉だったら、子供がいい感じに集まったタイミングで、『見て見てぇー、これが世界の真理ぃー』とか言いながら、中の人を見せしめにして、子供の夢を壊しかねないでしょ」
それはもし、いい具合に子供が集まっていてかつ、私に妹がいて姉貴肌を会得していたら、私もやっていただろう。
「微笑ましいなぁ」
「何が?」
「先輩と児玉先輩が仲良くしてるのが」
「意外だな、時雨っちまで、そういう幻想を抱いちゃうなんて」
「げんそ……何のこと?あと勝手に頭撫でたんで、スタンフォードください」
「時雨っちには正しく私を理解してほしいからね。愛弟子だもの」
含みを持たされても、当然何もわからない。蒔希とは部活の先輩にすら満たない関係しか築いていないのだから。まあ、どこか全身に力を込めたくなる高飛車な威容もありますし、私にとっては、ただの音楽的な到達点にしておくのが妥当なのかもしれない。でも孤高で絶対的だと思っていた蒔希が、私との距離を測りかねていたのは意外だった。一歩間違えれば、最高だっただろうに。
ここで全校放送が流れる。堅苦しい、台本読み上げソフトに代替されそうな放送だったのだが、突如としてキツいノリに早変わりする。素人でもわかる下手な演技と、物語のような台詞、自分たちだけが盛り上がっている、それを傍から見ても、薄ら寒いだけだ。
「怪盗なんて許せませんね。私は悪を成敗することにだけは興味があります。あの怪盗チェレクラ、まだ何も盗んでないけど絶対殺したいので、はくさいに来た人全員に協力を義務付けます。お手元のパンフレットをご確認ください。そのURコードを読み込むと、犯人確保のための情報共有掲示板に飛びます。そこで……」
「なんだー、おれのぼうがいをするなんて。はっはー!つかまえたかったら、ぶかつとーまえのでっかい木でDDAFHCCEえっと一、十、百、千、万……3500000をみるんだ!」
「まだ何も盗んでないのに、よくも怪盗気取りできる……」
「はっはー!じゃまがはいったぜー。だがしごくまっとうなごけんかいだ。ならばてんをぬすもう。……はっはー!」
「そこはオーバーじゃないんかい」
「ここで突っ込むぐらいなら、収録の時にやってください……」
まさかまさか、蒔希が出演しているとは。しかし生来の気質とは残酷なものだ。蒔希はただ生真面目に原稿を読み上げているだけで、まるでアナウンサーのような上品さがあって、役が形成されるというのに。
「ところで、時雨っちはわかる?」
「何ですか、自分は答え知ってるからって、愉悦に浸りたいってこと?」
「それが教えられてないんだよねぇ。実行委員に謎を作るのが得意な人がいるらしくて、その人が作ったから、それなりの難易度はあるとみてるけど……。でも博覧強記の時雨っちなら、ぱっとわかったりしない?」
「えーっと、何だっけ?」
「あ、特設掲示板があるから、そこで情報共有ができるよ」
「そんなことも言ってたね」
パンフレットのQRコードを読み取った。すでに様々な憶測が飛び交っている。今この瞬間にも、新しい仮説が提言された。
「アルファベット部分と数字部分があって……、まあ二進数に起こすんでしょうね」
「うーん、私は3500000という数字自体に、何か意味がありそうって、勘繰ってるけど」
「そう……、何の数字か、心当たりある?」
「それはまでは、ぱっと出てこないかな」
「みんなの共通認識じゃない知識を使ってくるのって、反則感あるから、してこないんじゃないかなぁ。それか……今までこの学校を卒業した生徒とか?」
「そんなわけないけど、確かにこの文化祭というイベントでやる謎解きなら、この学校に絡めた数字の線もあるねっ。ちょっと生徒会室戻ろうか。資料を漁ろう」
蒔希と絶えず頭を回しながら、生徒会室に駆け足で戻った。とりあえず私も、紙とペンが欲しい。




