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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第5話:文化祭事変
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妖怪練乳煮っ転がし

 真夏の学校、令和だしさすがに……と思っていたら、全然普通に運動部が校庭を駆け回っていたが、文化部の我々はクーラーの利いた部屋で、それでいて爽やかな蛍光色の炭酸飲料を片手に、今日も馴れ合っている。


休憩時間になったので、私はパイプ椅子に弾みをつけて腰掛けた。もし100%安全なたばこがあるのだとしたら、一本いただきたい。部会のメモの半分が消されて、重さ90.5 kgのドラゴンが落書きされたホワイトボードを眺めながら、一服してみたい。


「え~、めっちゃいいじゃぁーん、オリジナルの曲。メジャーデビューも夢じゃないよぉ~」


 嘉琳が30年後のバッドエンドな顔をして近付いてきた。そう、練習を高みの見物され、筆舌に尽くしがたい腹立たしさを覚えた。時々遊び10割で颯理の目を奪うので、彼女の演奏が乱れるのである。私はホワイトボードから目線を動かさず、からくり人形のように嘉琳の顔をはたいてやろうとした。もちろん、寸前で止めましたよ?


「褒めてるんだよっ!」

「そこ強調したら恥ずかしくなるじゃん!」

「私にはわかるよ。まずは素の時雨が、本心なんてありゃしない、複合不可能な暗号みたいな歌詞を作るでしょ。次に常識を脇に挟んでる時雨が、世間体を気にした剥き出しの歌詞を作るでしょ。で、最後に素の時雨が猛々しーい言葉を追加して完成。悪いな、私は時雨に詳しいんだ」

「うぅ……、こんな風に言われるなら、颯理みたいにまっすぐ、爽やか、幼気な歌詞書けばよかった……」

「とんだ諧謔をおっしゃいますのぉ」

「何、賄賂が欲しいんか。菓子箱に入れて渡せばいいの?」


 嘉琳は何か手をこねこねしていた。


「まっまさか、それってつまり『これから全てのお土産は、中身を全部自分が美味しくいただいてから、札束を詰めて貴官に渡します』ってこと!?」

「どんだけがめついんだ」

「いやだーっ、普通にドゥーブルフロマージュがいいっ!白十字のワッフルがいーいっ!」

「ほーん、確かにロンドン (クリスマス島) のお土産って渡されて、中身お札だったら、ちょっとがっかりするかー」

「それは確かにがっかりするな。いや、意外といい品かもしれない。ヤシの実とか」

「お土産屋さん一つもなさそうだもんねー。自分で拾って調達」

「というか江戸時代なら、日本国内でも移動するのに一苦労しただろうに、お代官様はお土産が小判でがっかりしなかったのかな」

「お金があればー、何でもできるっ」

「なるほど、お金があれば江戸時代はテレポートができたとか!?」

「うらやましー。家から学校までテレポートしてぇー」

「残念ながら戊辰戦争で木端微塵にされた。ロストテクノロジーってやつなんだ……」

「くそっ、五稜郭許すまじ」

「五稜郭に罪はないだろ」


 まあテレポート技術は嘉琳に再興してもらうとして、私も若さを流し込んでいると、藪から棒に爆発みたいな音がした。音の発信源を見ると、スタジオの入口に地雷系寄りな容姿のアホの子がいた。


「ぽよぽよ~」

「あっ、ぽよぽよ~」

「いや、応じなくていいでしょ」


 なぜか嘉琳は惑いに惑いながら、向こうに合わせた。まあ、私たちのほうを向いているし、何か心当たりでもあるのだろうか。次の瞬間には、その少女は練乳に砂糖をどばどば入れて、煮詰めたような声を上げながら、一目散に突進していた、これまたいつも通り、お行儀良く椅子に座って本を熟読する桜歌の元へ。


「ちばにゃぁーん、会いに来ちゃったの~!わぁーっ、今日もかわいいねーっ!ふわふわ~」

「やめ……近寄るな……!くそっ、その呼び名使ったら、あなたの弱みを全世界にばらまくって言ったよね!」

「知らないよー、奈良県民としてのアイデンティティなんて」


 無慈悲にも本の角が床を突いた。弱みをばらまくどころか、ただただ殺しそうな憎しみを顔に浮かべている。あまりに熱烈に顔をこすり合わせるので、私もひやひやしてきた。


「うーん、言われてみれば、奈良県民なのに名字に千葉が含まれてたら耐え難いよな」

「えー、そうかぁ?愛国心高すぎでしょ」

「でもいいことを教えてやろう。三重には相可(おうか)という地名がある」

「うそ……、やめ……」


 嘉琳は顔を近付け、突然の刺客にしてやられている桜歌に残酷な世の理を爽やかーに告げた。一転して桜歌は目を大きく見開いて、純真ゆえにはめられて死ぬという、一番心に来るタイプの死の間際みたいな顔をしている。


「何かわかんないけど、よかったねー!うんうん、うれしい時は笑顔なのー!」

「noli me tangere !」

「わぁーい!綺麗な発音!」

「うわー、ぜーったいろくな意味じゃないでしょ。青鯖がこんがり焼けて、香ばしい煙が青空に逃げていくような顔しやがって、みたいな」

「構わないのー、愛があれば」

「だそうです」


 嘉琳が振り返ってきた。なんかかわいそうになってきた。


「いいぞ、やっちまえ、阿智原氏」

「わかる、華麗な逆転劇キボンヌ」


 この少女は人目も憚らず、命を惜しまず、桜歌とひたすらいちゃつき続けた。彼女の性格なら、強力なパンチで顔に一つや二つ穴が開けにいってもおかしくないが、非暴力服従を貫いている。と、こんな人が自分の後ろの席じゃなくて助かったなんて、肩をなでおろしていると、桜歌は必死に黎夢の靴を踏みにじっていた。


「ねぇ時雨、もしストーカーかなんかにナイフで刺されたら、迷わずそいつに抱きつくといいんじゃない?」

「どうして?」

「だってハグすると、モルヒネ以上の効果がある脳内麻薬が出るらしいじゃん」

「なぜこのタイミングでそれを?」

「あーっ、この間ナイフで刺された人が、我が子を抱いてたー!」

「ドラマか漫画の話だろうけど……。麻薬打っても死ぬ時は死ぬのよ」


 この世は残酷だ。愛する者を抱きしめるだけで、出血デバフをディスペルしてくれるほど甘くない。


「というわけで、ちばにゃんは貰ってくのー!」

「待つんだ妖怪練乳煮っ転がし、何の見返りもなしに、阿智原さんを持っていかれちゃー困る なぁ?」

「よーかいれんにゅーにっころがし?れむには、宇野(うの)() 黎夢(れむ)っていう立派な名前があるのーっ!」

「そうか、ネーミングライツをくれるのか?」

「うーん、そーだ!はい、まとりょーしかなのー!」


 黎夢はブレザーの裏から、まるでロシア帰りかのように手乗りサイズのマトリョーシカを渡してきた。なるほど、こんなに暑いのに夏服じゃないのは、そこから取り出したいものがあるからか。


「マトリョーシカかぁ……?いる?時雨」

「マトリョーシカ……?いるかいらないかで言ったらいらないけど、貰ってあげてもいいぐらい」

「まとりょーしかはね、子孫繁栄の象徴なのー」

「いや、尻すぼんでますけど。どんどん小さくなってくやん」

「知らんけど、だいたいの伝統工芸品って子孫繁栄願ってるし、全くありえない話じゃないかも……?あー!理解、私は森羅万象を理解した。わかった、これは私が大切にしよう、何ならライブで使おう」

「なんだ、バラライカに転身するのか」


 桜歌が殊勝にも、沈黙をもって助けを求めている気がするが、まあだる絡みしてくれる友達がいるなんて安心した。私はありがたくマトリョーシカを受け取り、桜歌は黎夢にご同行願われていった。


「大事にしてね、それ。宝物だからぁー」


 上機嫌な黎夢と目が合った。いつもだったらきっと、 “何だその社交辞令、虚心坦懐に考えて、宝物だったらそんな気安く人に渡すわけないだろ” とか、何の捻りもなく心の中で呟いているところだろうが、今回は違った。そういう考えも丸ごと、排水溝から流れていくように、何なら1秒ぐらい自我も流されていた。まあ偶然か。別に取り立てて騒ぐことでもないかな。


 こんな調子で酸素を浪費していると、うちのバンドのメンバーはみな、ここからいなくなっていた。というわけですることもないし、嘉琳と一緒に文化祭準備を見て回ることにした。ちょっと胸に、山椒のような微弱な痛みが走るが、天衣無縫サマーにはふさわしい。


「うちの部はどうかなーっと。おー、やってるねぇ」

「嘉琳もポスター発表するの?」

「まあね、そんな凄いのじゃないけど」

「じゃああいつとどっちが凄い?」


 私は物理室に似つかわしくない、バチバチに髪を染め上げて、チャラチャラしてる人を気軽に指さした。


「あー、あの人は凄いよ。弟が外見でいじめられてるのを見て、自分が “人は見かけに依らない” の最たる例になったらしい……」

「へー、って何泣いてんの!?」

「ここで泣いたらっ、内申上がるかなーって、ぐすん」

「大学受験に関係ないでしょ」

「でも自分の兄弟にそこまでできる?」

「兄弟いないからわからんー。もしかしたら母性が芽生えちゃうかもねぇ。そっちはミニ嘉琳もいるし、わかるんじゃない?」

「言われてみたら、ミニ嘉琳をかばって死ぬな」

「死ぬなーっ」

「ミニ嘉琳は頼んだぞっ、ごぼごぼぼ……」


 ちょうど潤んでいるので、余計に不毛な死を遂げる寸前みたいになっている。しかし彼女の目が湿っている理由は、内申を上げたかったからであることをお忘れなく。


 嘉琳が熱弁してくれたが、人は締切ギリギリに過集中したほうが効率良いらしいので、物理部はまだあまり準備が盛り上がってなかった。というわけで主人を求めて、また流浪の民となった。


「そうかー、軽音はどんどん来る人が減ってくけど、もっと文化祭間近になったら増えるのかなぁ?」

「いいよね、どろっどろの軽音の絶えないトラブル。聞き耳を立ててて飽きないよ」

「性格悪っ、いやこの時期になっても、なお軽音にしがみつく3年のほうが性格悪いか」

「ふーん、時雨たちがそっち側になった時が楽しみだな」


 そう言われると、私もワクワクドキドキが止まらない。


「そう言えば時雨、クラスの出し物の準備は大丈夫なの?」

「そこまで熱心じゃないから。夏休みはやりたい人だけーって感じ」

「何やるの、ボルケーノボーディング?」

「どこに火山あるんだよ」

「まっ、越後平野に火山はないからねー」

「何もねーな」

「あるのは米だけ。お酒は20歳からだし。あでも、私がいるじゃん」

「なんじゃ、わらわもおる、がっ」


 蹴り飛ばしても良かったが、膝で小突くぐらいにしといてやった。だが嘉琳には、どうしようもない世界に対する若者特有の怒りが余程あったようで、久々に強烈な蹴りをお返しされた。私は廊下の壁に叩きつけられて、崩れ落ちるしかなかった。


「どぅわっふっ!?なななななにしてるのののの!?」

「何って……あしたのジョーのものまね……」

「あっ、その、エーレンフェストちゃんも時にやりすぎちゃうの」

「やややややりすぎとか、そそっそそういう問題じゃない……よねっ!」


 通りすがりの無念無想純朴少女に助けられて、何とか息を吹き返した。華奢な見た目に反して、想定以上に握る力も引く力も強い。


「はぁ、命拾いした……。私、こいつにいじめられてるんですっ!」


 この子が味方に付いてるからいけるはず。私は嘉琳を思い切って指さしてみた。


「ええええええっ、そうなの!?」

「まあ、せやでー。いつもありがとう。君がいないと、コンビニでタバコ1カートンすら買えないよ」

「そんなに生活に困ってるなら……バイトしたらいいんじゃない?」

「それはそうだな。悪い時雨、今からバイト行ってくる」

「いや、いいけど、働いたらタバコ買わないといけないんじゃない?大丈夫?」

「確かにそれはやだ臭いが無理体に毒だしあんなのが合法なんてちゃっちいナイフぐらい持ち歩いたっていいだろ」


 わからんでもないが、そんなに酒粕みたいな声で訴えなくても……。


「何でもいいけど、いじめはダメだよ」

「そう、そうだよ!やってる側しか楽しくないからね」


 これは声を大にして言いたい、やっと言えた。


「この学校って風紀委員あったっけ」

「ん?私は文実だよ。このクラスの出し物、7回も先生から突っぱねられてるの」

「ここって嘉琳のクラスだよね。何やらかしたの?」

「あぁ……。白状しよう。カジノなり何なりでかっぽり稼ごうと、主に私が画策してる」

「やっぱりバイトしたら?」

「ありだけど、学生の本分は勉学だから……」

「文実だって忙しいんだから、さすがに諦めてよー。はぁー、楽な仕事だと思ったのに」


 文化祭実行委員って、一年の中でごくわずかな期間しか活動しないし、楽だと思われがちだが、真に賢しい者はニートを選ぶのだ。それはそうと、嘉琳はクラスの何か威張ってる人に厄介事を投げて、流浪の民の座を守った。この子は、私たちの主人にするには、あまりにも威厳がない。カツアゲに巻き込まれそう。


「さっきの子、かわいかったね」

「え、何、目覚めた?」

「ちゃうわ、なんて私たち汚れてるんだろうって。自然派っていうのかな」

「それじゃあ胡散臭いブログ記事を鵜呑みにする人になっちゃうよ。素朴とかでいいでしょ」


 おっと、つい陽な部分を垣間見せてしまった。

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