祭りの後の余韻
さて、磯貝との “デート” は、その後何か物語にできそうなことが起こるわけもなく、綺麗さっぱり完了した。とても無垢なので、終わってからがお楽しみとかいうどんでん返しが脳裏をよぎって、牙を酷使した今の私は流されてしまうかもしれないと、頑張って愁眉を寄せていたのだが、杞憂に終わってくれた。
それはさておき、何となく歩いていたら、きちんと颯理の家に着いた。本当に何となく生きて、アンニュイな雰囲気を漂わせていたら、間違えて「ただいま」と言ってしまった。
「おかえりー。ご飯作るから、先お風呂はいっときー」
「何してるの、時雨」
「何って……、家事だが?」
恥ずかしさより、湯桶とタオルを持っているだけの時雨があまりにも面白い。話題を逸らすことで何とかしよう。
「はいっときーって何」
「え?何かおばあちゃんが言ってた気がする。そんな気がしてこない?」
「さあ?まーいいや」
「冷たいなぁ。これ、あったかいから使いなよ。颯理の汗も染み込んでるし」
「使わないよ……。あー、疲れた」
まるで自宅のような心持ちで、颯理の家のリビングに向かった。颯理の母親がリビングの片隅にて、まるでエンターキーを無駄に強打する人のように、グランドピアノを演奏している傍ら、奥のアイランドキッチンでは、小川がせかせか米を洗い、天稲がイキッた手つきで、野菜の下ごしらえをしていた。
「まさか、そういうこと?」
「うん、あれが本来の九音さんだからねぇ」
「嘉琳さんもこき使われてください!休んでる暇はありません!」
「あーうん、手を洗ったら」
時雨も戻ってきて、3人は楽しそうに所狭しと料理を始めた。この人たち、人の家だということが完全に頭から抜け落ちていそうである。
「どうしてマスクしてるの?」
「いや、普通に考えて、料理中にマスクなしで喋ったら、衛生的によろしくないでしょ。いやー、料理する前提で来たから何か持ってたわ」
「うーん、私はそこまで気にしないかな」
「どうせならば、よく工場にある、あのエアシャワーを浴びたいです!」
「そもそも、この空気中に無数のウイルスが舞ってるんだから。こっちをどうにかしたほうがいいよ」
「途端に飯が不味くなりますね!」
「やめろ、そんなこと言うな」
「私の愛情で相殺してやる」
「怨念を込める気か!?」
「え、そんなにこの世に恨みないけど」
「CIAにも同じことが言えますか!」
「えっと……、あーそれは無理かなぁ……。むりだぁーっ、あぁーっあっ」
料理中に膝から崩れ落ちる時雨を、腕組んで眺めていたら、彼女は目で合図を送ってきて、何だかわからないうちに、私のほうに向かって倒れこんで、反対側の台に額をぶつけた。
「踏みとどまった、こんな汚れた手で嘉琳を触ったら、三枚おろしにされると思って……」
「あ、えーっと、三枚おろしはしたことないんだよね……」
「4人で回せるほど、このキッチンは広くないので、暴れないでください!」
「んだんだーっ!いいから、嘉琳も手伝いなさーい!」
「え、いや、何作ってるの?」
「当ててごらんなさいよ」
「ペスカトーレがメイン、後はぼちぼちそれっぽいのを……」
小川はレシピを開いたタブレットを渡した。
「おい、楽しみが一つ減ったんだけどーっ」
「もうパスタもトマトもオリーブオイルも切り身も並んでるのに、面白くないだろ、そのクイズ」
「とりあえず、冷蔵庫からもったたらちーずとってきてー」
その喋り方といい、時雨って、酒に酔ったらとんでもなく面倒になる気がした。とりあえず、混ぜるものを混ぜ続けて、お茶を濁すことにしよう。
「そう言えば、颯理はどうしたの?」
「今は色々あってダウンしてるよ。まあ夕飯までは戻ってくるでしょ」
「ふーん、後で様子見に行くか」
「私もついてくーっ」
「何で?」
「さっき行ったでしょ」
「あーっ、颯理が恋しいっ」
マスクを着けて気合いが入っているのはいいが、お喋りに夢中で手元が危ういので、冷や汗が止まらない。こいつから包丁取り上げないと、時雨のエキス入りのパスタを食べる羽目になってしまう。
「あ、時雨、このにんにく切っといて。そろそろソース作るから」
「任せとけ、私はフリーライダー嘉琳とは違うので」
「は?私だって大事な任務の真っ最中……」
「はい!にんにくを普通のまな板で切らないでください!」
「え、何それ」
「においがつくからね。この牛乳パック使わせてもらうか……。私がやっとくよ、包丁貸して」
小川は永遠に油を攪拌させ続けている私に、してやったりと言わんばかりの表情で親指を立てた。
「えっ、することなくなったが?」
「じゃあ、パスタ見ててください!あ!吹きこぼれさせんな!」
時雨は容赦なくダイヤルを右に回した。でもダイヤルから手を離さなかったあたり、こいつわざとやってやがるな?
「いった!天稲ちゃん、殴らなくてもいいじゃーん」
「私も後で一発やるか。脛とかがいい?」
「いやいや嘉琳、それは品がないよ。暴力じゃなくて、もっと精神的な負担を与えないと」
「そうか……。あ、一曲作り終わるまで、颯理の家から帰れないっていうのはどう?合宿らしいし」
「えっ、ちょっと嘉琳?」
「いいよー。遠慮せずに何泊でもしていってー。何なら、うちの家族になる?」
「調子に乗った報いだ。時雨にばかり、いい気にさせるかよーっ」
颯理の母親から許可も賜ったので、私は鼻で笑いながら、油ブレンドをかき混ぜる手を速めた。また膝から崩れ落ちちゃう時雨が隣にいると、いつの間にか人を小ばかにできるようになっていた。
しかし、何だかんだ言って、夜遅くまであーでもない、こーでもないと言いながら、一人苛立っているのを見ると、何だかここまでしたたかさを維持できる時雨に、尊敬の念を抱かずにはいられない。
「ふわぁ……、さっきまで寝ちゃってたから、今日は徹夜しちゃうかも……」
「まっって颯理、今、リビング入っちゃまずい、幽霊が集会開いてるから!小川女史が必死に除霊してるけど、邪魔したら最悪命が危ないって……」
「ほんとですかっ!?それは大変……、わっ私は部屋に戻ってたほうがいいですよね!?」
「私が隣にいます!なのでもし幽霊に目を付けられても、この命に代えて守ります!」
天稲と一緒に颯理は二階の自室に戻っていった。危ない危ない、時雨は量子的な存在なので、観測されると壊れることが知られているのだ。




