Fragile Distance
「例年すごい人が来るよね……」
「何がそんなに人を駆り立てるんだろうね」
「それ、小川が言う?」
「我々が生まれ育った街の祭りだよ?私たちが参加するのは、当然のことじゃない」
「ふーん。でも、小川が楽しそうで何より」
それって周りの人間の目には、とんでもなく浮かれている私が映っているという意味か?それは地元民として許せないので、和傘を少しだけ低く持って、顔が隠れないかなーって愚かなことをやっていた。
「あの、頭に傘当たってる……。貧弱な小川さんは、もう腕疲れたの?私が持ってあげるよ」
「えっ、いやごめん。大丈夫、一応颯理より身長高いし」
「大差ないでしょ……」
「というか、やっぱり一人一本で良かったんじゃない」
「人混みで邪魔でしょう?」
何だかんだ言って、フラグを立てているのは颯理のほうだ。特別な意味はあっても、感情はないはずなのに、私は距離の決め方を恣意的にしてしまう。いつでも手が届く位置にいるのに……。って、いい雰囲気なのに邪魔しないでほしい、この下駄とかいうとうの昔に廃れた履物。履き心地が最悪である。
「ところで、時雨はどうなったんだ?」
「何か、私たちがこうするのを見越したかのように、ばっちり嘉琳と遊んでいやがる」
「えー、じゃあ天稲ちゃんは?」
「これを見なさい。あの子も寄り道して、美味しそーうなもの食べてるよっ。あー、お腹すいたー。あっ、とりあえずぽっぽ焼きを買いましょう」
逆転されて安心している自分がいた。私の機微に触れないでくれたほうが、いつまでかは気楽だから。それはさておき、私はいか焼きで対抗した。
「せっかくだしさ、食べ物だけじゃなくて、こう遊び系の屋台に挑戦してみたくない?」
「確かにー。年を重ねると、そういうのやらなくなるよね」
「じゃあ、今日はあのくじ引き屋の闇を暴こう!」
「君子危うきに近寄らずって言葉を知らない?」
「誰が言い出したか不明な言葉は、信じないことにしてるんだー」
私は颯理の心配もよそに、さすがに人を騙しそうにないおじいさんがやっているくじ引きを選んで、挑んでみた。しかし、私が屋台に近寄ると、おじいさんは砂粒が舞い散るぐらい、強く杖を突いて起動し、眼光が現れた。それにしても、景品のガワすら一つも置いていないとは。一周回って詐欺ではないのだろう。
「若さ……それはすなわち力、そして蛮勇の源。君の魂は秋まで待てばいいのに、目先にある火中の栗を欲している。強欲な奴め。良かろう、ソドムの民の末裔よ。この乾坤一擲に勝てば、君の欲するものを何でもプレゼントしてやろう」
「えっと……。どんな乾坤一擲をするんですか?」
「あっ、ルール説明してなかったねぇ。君がやることは、ワシが出す数字を素因数分解してもらうだけ。2分間やって、終わったら出した素数の書いてある箱を開ける。その中には、1等から5等まで入っているかもしれない。質問はある?」
「つまり、たくさん素因数分解すればいいってことですね。でも例えば、2のべき乗ばかり出されたら詰みますよ」
「はっはっはっ、心配無用。ワシは完全な乱数を生成できる。コンピューターなんぞ、使い物にならない」
経験豊富なベテランジジイに見えるが、どこか若々しさがあって乗っていいのか判断に迷った。しかし素因数分解は数学徒の嗜みなので、実力を顕現させてせしめよう。颯理に見守られているのもあって、私はペンを気合い入れて握り、腰を据えて構えた。
おじいさんはたぶんランダムな数字を、淡々と次々に言っていく。いつもよりもペンが滑らないし、颯理が手を合わせて見つめているし、思うように決め打ちがハマらない。アスリートがオリンピックより緊張しました、と言うのが今なら身に沁みてわかる。祭りの喧騒が勝手にシャットアウトされて、一人孤独に苛立つしかない。素数自体が出題されませんように……。
「君……!一体何者なんじゃ……!」
「何って、しがない数学徒だが?」
「わかんないけど、やっぱり小川凄い!」
「あぁ……変に謙遜すると嫌われるからやめておくけど、確かに苦労した甲斐はあったな」
私は自分の書きなぐったメモを見返した。
「おぉー、一等、一等じゃ!」
「一等って何が貰えるんですか?」
「何でも好きなもの。ただしワシのポケットマネーで買える範囲で」
「うーん、じゃ、このリストの数学書、全部ください」
1冊何千円もする、この辺で買えるのかも怪しい洋書を、10冊ぐらい要求してみた。残念ながら、高校生には知識への投資なんてしている余裕がないのだ。この機を逃すわけにはいかない。ここで遠慮したら後悔する気がする。とは言え、さすがに小川が世間体を気にするか……。
「えっ、いや、そんなよくぶか、みっともない……」
「ワシはそんじょそこらの、祭りを金のなる木だとしか思ってないテキ屋とは違う。君のような未来ある若者には、たっぷり投資せねばな。じゃっ、丸善行ってくるぅーっ」
「あの!新潟に丸善はありませんよ!」
颯理の忠告もむなしく、おじいさんは杖で地面をタイミングよく叩きながら、屋台を捨てて、どこかへ走り去っていった。しかし、メモ無しで買えるのだろうか。まあ、乱数を生成できる人だし、映像記憶能力も桁違いなのかもしれない。何の関係もないけど。
そういう心配をすることで、自分からは目を逸らした。 “未来” という言葉ほど、あまりに無謀なものはない。希望とか、どうしても超えられない才能の壁とか、そういうもののほうが好きだ。
「かっこよかったよ、小川」
「未来か……。そんな虚構で、人の心を打ちたくなかったな。物凄い脂ののった今しか、確実じゃないのに」
「とか言ってるけど、しっかり報酬は貰うんでしょ?あれは定型句、そんな深読みしないの。それより、何か食べる?それとも……」
改めて颯理と顔を向き合わせると、狂気を理解しているという狂気も含めて、それを後ろで支えているとは、到底予想できない。それくらい儚げも、年相応な雰囲気もあって、颯理はかわいいってことだ。
「お、あそこのお化け屋敷、毎年あるよねぇ。そんなに人気なのかな」
「さあ……って、入るつもり!?」
「記念に入ってみようよ。たぶん、生涯一度きりのイニシエーションだから」
私は意気揚々と、熱々の日なたに駆けていった。




