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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第4話:天衣無縫サマー
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少女たちのお泊り会

「私のことをもっと知ってほしいし、踏み込んだ自己紹介がてら、この問題をやってみてよ」


 内接円と九点円が内接し傍接円に外接することを証明せよ。これは初等幾何最難関とも言われる、フォイエルバッハの定理である。ドイツ語でFeuerは火がつく、Bachは小川を意味する。つまり私の名前を強引に捻じ曲げると、フォイエルバッハになるのだ。私は人生の7割を数学に費やしているし、自分の名前も覚えてもらえて、数学の面白さも伝えられる。思いついた時は天才だと自負していた。まあ、数学オリンピックに出場するような人間に対してじゃないと、全く効果がない。


「とりあえず図を描いてみたが……。おい、そこの時雨、何かアイデア出せ」

「だっ!かっ!らっ!至福のひと時を邪魔するな!私が犬なら貴様の手を噛みちぎってるし、スターリンなら粛清している」

「ここに来てから、脇目もふらずそこに座ったので、もう1時間47分38秒は座ってますよね!」

「言ってる途中に2秒ぐらい経過してそう」

「あまり座っていると、思わぬけがをしかねないので、そろそろ止めたほうが……」

「颯理は説明書か!うっさい、私は禁断の果実を食べるほど愚かじゃない。故に楽園は追放されないっ」


 時雨は全く聞く耳を持たず、まるで酒に酔ったかのように、訳のわからないことを連ねている。面白い人だなぁと、興味をそそられていると、嘉琳に鋭い眼光を突き付けられていた。


「絶対に解いてやる。負けたくない負けたくない」

「気合い入ってますね!野球の応援の時に振り回す、ツインスティックってありますか!」

「もちろん、その箱の中にあるよ~。昔ライブで配ったの~」


 様子を見に来た颯理の母親が箱を指さした。どうやら颯理が、さっき持ってきたこの箱の中には、若い頃の思い出品が詰まっているらしい。


「天稲ちゃん、応援いらないから。気が散る」

「私は対になった棒状の物に惹かれてしまうんです!」

「こんなドラマーは嫌だっていう大喜利やってる!?」

「何点くれますか!」

「零点」

「意地悪すると、季節を冬にして、静電気を起こしますよ!」

「天稲ちゃんはまだまだだね。量子力学的に見れば、不確定性原理によって、粒子は常に振動した状態になるのさ。つまり、つまり何か、何かある……。やめろ!しゃかしゃかしないで!」


 二人はまたじゃれあい始めた。


「こんな様子じゃあ、何もできないだろうし、とりあえず颯理もこの問題やってみてよ」

「何度も挑んで、その度に玉砕して、小川の徹底解説聞いてるのに、できた試しないんですよ?そもそも私には数学が向いてないんだ……」

「そんなに落ち込まないで……。次のテストの時は、教えてあげるからさ」

「本当!?約束だよ?私、小川がいないと数学勉強できないから、頼むよーっ」


 颯理の病的な数学の点数を思い返すと、私的なやりたいことを、彼女以上に優先するのは、さすがにまずかったかもしれない。でも、颯理は要領の良い子だと認識していたので、あそこまでボロボロな結果には驚くしかなかった……。


「そりゃあ、颯理には苦しんでほしくないし、喜んで補習してあげるよ。何なら、夏休みの課題は大丈夫?」

「颯理ー、私も人よりは数学出来るし、聞いてくれてもいいんだぜっ」

「確かに、小川ばかりに負担をかけるのも良くないかなぁ」

「いやいや、フォイエルバッハの定理すら証明できない奴に、何が教えられるっていうのさ!」


 私は血が騒いで、嘉琳に指をさしていた。手元の紙には、的外れな数式がびっしり詰まっている。なかなか強者の予感がする。


「ちくしょーっ。いや待てよ、小川女史よー、期末の数学、何点だった?」

「98点だね」


 私は細心の注意を払い、落ち着きを取り戻した。


「はい、私満点ですーっ。つまり、颯理は私に聞いたほうがいいってことだよー」

「2点差なんて微々たるものでしょ。5段階評価に写したら、変わらないし」

「そうだよ!私なんて90点でいい気になってた、恥ずかしい……」


 マッサージチェアにくくられている時雨が飛び起きて、手で顔を覆った。


「大丈夫ですよ~。私なんて30点ですから」

「まだまだですね!私は34点です!お二方の3倍すれば100点を超えますし、圧勝です!」


「そう、こういうことなんだよ。わかるかね?」

「えっ、やっぱり高校生になると、いくら県下トップ校でも、落ちぶれる奴は落ちぶれるんだなーとしか……」

「そうだね、あっ、この問題は10年以内に必ず解いてみせるから。そして絶対颯理に数学を教えてやるんだっ!」


 後半、物凄い早口になった。颯理に数学を教えるという行為に、普通はそれほど価値を見出せないと思うのだが、まあ10年後なら、むしろそれは良い提案かもしれない。あっ、 “以内” と “後” を、都合よく履き違えてる。


「って、いつまでくつろいでるんだよっ」


 嘉琳はマッサージチェアの電源を切った。時雨はまるで子供みたいにぐずり始めた。人を第一印象で決めつけることが、どれほど愚かなのか、魂に牢記された。


「やだやだー、もっとマッサージされたいー」

「そもそも、これは一応、合宿っていう体なんだからさ……。颯理も何とか言いなよー」

「甘いですね!嘉琳さん!私がドラムを持ってこなかった時点で、やる気ゼロの邂逅です!」

「練習はしないにしても、何か一曲作りなって」


 嘉琳は不敵な笑みを浮かべた。


「うわ、黒歴史が出来上がる瞬間を心待ちにしていやがる」

「え、そういう動機だったんですか?」

「はあっ、違うが?そんなわけないでしょ。私も総合プロデューサーとして、仕事をせねばならないからねぇっ」

「どうして余計な羞恥心を煽ったんだ……。気にせず、好きな音を奏でればいいんじゃないかな」


「嘉琳がそういうんだったら、もう1時間マッサージされよ……」

「うおーいっ、働け、私もマッサージチェア座りたいー」

「争いは何も生みません!私が代理で揉まれてあげます!」


 颯理は麦茶を飲み干し、大きく背伸びをすると、私がまるで話しかけてほしかったかのように、こっちを向いた。私が来ていなかったら、もっと堅苦しい場になっていたのだろうか。そんなことあるはずが無いのに、少し期待していたんじゃないかと、期待している。


「まあ、こんな人たちだけど、根はいい人なんだよ?」

「その言い方、DVされた人と全く同じだ……」

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