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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第4話:天衣無縫サマー
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心ビッグバン

 時雨と本屋に立ち寄ったその日、家に帰ってから、本棚にかかったレースを久方ぶりに開いた。最近よくめくる物理の専門書や教科書は、机の上に積むか、別の棚にしまっているので、ここにはあまり用事がない。他にも卒業アルバムみたいに、保存しておきたいけど頻繁に取り出さないものが、ここで役立つ一瞬、もしくはひとり立ちを待っている。


 “雪割草の芽吹く頃” は、私がそっち方面のオタクだった時に、一番のめりこんだ作品だ。読んでいるその時間を思い出すだけで、胸が高鳴る。実際、改めて読み返してみると、同じ恍惚を味わえた。


 序盤は小学生主人公とヒロイン星鳩 玉赤の、冒険に明け暮れる毎日が主である。きちんとこの時代を描写しているのも、この作品の特徴だ。ちょうど同じくらいの年齢だったから、そういうこともしてみたりしたけれど、磯貝と仲良く大目玉を食らったので、より引きこもりが加速してしまった。


 それで突如引っ越しが決まった玉赤に、主人公が告白するも、返答はお預けというというお決まりの展開から、一気に今の私ぐらいの年齢まで飛んで、二人はめでたく再会する。しかし、玉赤は諸々あって、生活習慣は乱れ、交友関係も不良ばかりになってしまっていた。それを主人公が何とかしていく話が始まるのだが、その努力のおかげで、明るい性格が戻り、まともな友達が増えるようになる。


 しかし、自分の手から離れていきつつあると感じた主人公は、問題の原因を自ら作り、そして解決するというマッチポンプに手を染め始める。だが物語において、契りは先着順だ。周りの告白やら難やらを全て跳ね除け、最後は主人公と玉赤が結ばれる、


 何か、これで良かったのか?という気分に何度もさせられる。実際、ネットでは否定的な意見が多かった。まあ、これの終盤が出た頃には、磯貝は引っ越していたし、私はその手のオタクから身を引いていたし、ネットに上げないような他愛もない感想は誰からも聞けてないので、私の主観が多数派の解釈かは知らない。でも思い入れのある作品ではある。興味が減ったとはいえ、最終巻まで買い揃えているわけだし。


「よっ、やっぱり、同じ学校にいる以上、遭遇は避けられないね」

「出たな、磯貝。図書館でも見境ないのか」

「失礼な、俺はちゃんと、きりがよさそぉーなところで話しかけたんだぞ」


 私が図書館で、宇宙の真理のジャブに打ちのめされていると、磯貝が慇懃と話しかけてきた。今この瞬間どころか、まるで今日昨日を監視していたかのようなタイミングだったもので、少し強く当たりそうになる。しかし、懲りない奴だなぁ。


「仕方ないから、どうしてそんな本を抱えているのか。聞いてあげるよ」


 私は雑草図鑑とかいう、10年前に出会っていたら、趣味趣向性癖が歪められていただろう本に触れてあげた。


「部活で雑草を食べたいって話になって」

「どんな部活だよ」

「あー、言ってなかったね。釣り部に入ったんだ」

「だからって、雑草を食べようとはならんだろ……」

「魚が釣れる前提で釣りしてるから、何も捕れないと雑草を食べるしかなくなるんだよね」

「思ったより過酷だな。というか、釣りなんてやってたのね」

「せっかくだし、新しいことに挑戦しようと思って。まあ、たまたま仲良くなった奴が入ったからっていうのもあるけど」

「まっ、毒草も多いから気を付けて。トマトとかザクロとか、基本的にどの植物も毒があると思ってかかったほうがいいよ」

「アドバイスどうも。でも俺は食べるつもりないよ。冒険するのは性分に合わない」


 そう言えば、磯貝はそんなつまらない人間だった。おふざけに命を懸けたりしない。それが俗に言う、悪いところでもあり良いところでもあるというやつだろう。


「というか随分、思わず心ビッグバンしちゃう本を読むようになったんだね」

「酷いお世辞を見た……。そもそも、昔から関心はあったよ。親の実家にナショジオの雑誌があって、それでまあまあな理系人間ができあがっちゃったのさ」

「言われてみれば。理科のテストで、裏面まで満点とる人だったね。いやー、今はそういう方面に興味があるんだー」

「なんでそんなことまで覚えてるの……」

「思い出しただけだよ。さっきまで忘れてた」


 磯貝はかりそめの笑顔を披露した。そんな表情、昔はしなかったはずだけど……。


「あ、こうして長話をしていると、じかりんの迷惑になるね。じゃあ俺は、さっさとこの本を借りて、部室に戻るよ。頑張って」


 私が磯貝の他に変わった場所を数えていると、磯貝は手の平を見せながら、勝手に離れていった。今日は肌触り爽やかにできただろうか。いや、さっきまで読んでいた本と、再び向き合ってわかる。私は、省略された式の行間を錬成する時と同じく、眉間にしわを寄せていたみたいだ。


 もっと自然体で、嘘もご高説も遠慮なくまき散らしていた記憶は、思い違いだったのだろうか。そんなわけない。まごうことなく、人生に何度もない春のぬくもりが、今も脈々と脳内を流れ続けている。だから私は優しくなれたか確かめたんだ。

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