夏の定番
私は根底では生真面目なので、練習一つとっても、燃え尽きる心配もせず、ありったけの魂を吹き込む。最後に適当にかき鳴らしたら、桜歌に先を越されないよう、さっさとパイプ椅子に直行した。快適に休憩するために、最近はクッションを持ち込むようにしている。
「様になってきたねー」
「それはどうも。まあ、あんまりサボらないですし。今日は休むかーって、甘えたりしてないから」
“Pasteur Pipette” と書かれた帽子を被った蒔希を見上げると、明らかに手がうずいていた。右手首を左手でしっかり握っている。
「それにしても、やっぱりささっちゃんは真面目ね」
颯理は、演奏を複数の先輩に見てもらって、色々アドバイスを賜り、新しい課題を発見している。まず、部内でそれほど気に入られているのが、私との大きな差だ。私はこの変態ベーシストにしか好かれない。
「多々良さんも、どんどん先輩に質問したほうがいいよ」
「ぃいぇー、人から言われたことって頭に入ってこないんですよー」
「でも、変な癖ついてるよ。しかもその癖がころころ変わる。色んな動画に踊らされてるんだなーって。私がおふざけ無しで教えてあげようかっ?」
「あー、じゃあ後で、文面にして送ってください。それを基に改善します」
「私の語彙力というか、文章力を問うつもり……!?」
後ほど、一回分には収まりきらない量のメッセージが届いた。読むのが極めて億劫だが、否ませない涙ぐましい努力に免じて、君色に染まってあげることにした。
それはさておき、収穫があってご機嫌な颯理が戻ってきた。それとは対照的に、蒔希の顔が曇った気がした。
「あー、ささっちゃん。一つ謝らないといけないことが……」
「何ですか?和南城先輩」
「休み中に、県中の高校を集めた、大きなライブがあるーって言ったじゃん?いやー、私の不手際で参加できなくなっちゃって……」
「えーっ、初耳ーっ。でもラッキーっ」
「もし私がここでげんこつをしたら、多々良さんは私にハマってしまうけど、それでもいいの?たまに暴力を振るうけど、本当はいい人、自分が不甲斐ないからいけないんだ。そういう後輩もまた一興か……」
「すっぱい葡萄の寓話ですね!」
天稲がここぞとばかりに首を突っ込んできたが、やっぱり静まり返ってしまった。私も擁護する術を持っていない。
「そんな……、気にしないでください!」
「高校生バンドなんて、成果をひけらかせる場は限られてるから。貴重な機会を奪ってしまって、本当に申し訳ない。物で釣るのも気が引けるけど、何か奢ろうかな……」
「こんな、深々と、頭を下げる蒔希は珍しいから。許してやってよぉー」
「そんなに頭下げなくても……、むしろ次のライブまでみっちり磨き上げられますから!」
蒔希が視線を下に向ける度に、颯理が息苦しそうにしている。何とも居心地の悪い時間だ……。でも、こんなに十全十美な蒔希が、そんな初歩的なミスをしたのか?ほんのり憤りすら揺曳させる蒔希の表情に、私は違和感を持った。
「本当に、何をやっても参加できないんですか?」
「えぇ、主催者と知り合いだったら交渉の余地はあったんだけど、今回は公的機関も一枚噛んでるし、厳しいと思う」
「そもそも、どうして出られなくなったのですか?書類の不備みたいな事由ならば、非は私たちにあります!」
「それだったら、もう少し図太くしてたよ、天稲ちゃん」
気色悪い、私たちと同じ視線に降りてくるのさえ、とても不愉快に感じた。演技臭さがあるから?いやいや、それは私が先輩が先輩であってほしいと、勝手に願っているだけか。一応、しゃもじ連合の一員として、こういうことだけは気に掛けておこう。じっと蒔希の表情を観察していると、圧倒的に上から、須臾の間微笑まれた。
まあ、このバンドは蒔希の物でも、私の物でもない。颯理か嘉琳の一声で全てが決まる。それが暗黙の了解である。颯理は拳を突き上げた。
「じゃあ、夏は文化祭に向けて全力で練習しましょう!毎日15時間練習!」
「おー!どうせなら合宿とかしようぜーっ!」
どこからともなく音もなく、龍巻地獄のように嘉琳が生えてきた。
「遊びたいだけでしょ。有意義とは思えないから、私はパスで」
躊躇していると、桜歌に先を越された。際どいことなら立て板に水なのが、この阿智原 桜歌という人間である。私はどうしても、そんじょそこらの、何だかんだ言って今日の飲み会しか考えていない人たちの血が騒いでしまうので、急ブレーキをかけてしまった。しかし颯理が、ため息を抑えるという余裕をかましていやがるし、私も本音をぶつけてやろう。
「まあ、某夏の心霊特番よりも自明だと思いますが、私もやりたくなーい」
「えっ、あの、わ、私はやりたいです……。できるなら」
「いいですね!夏らしく、仲間と共に雌雄を決しましょう!」
「逆クマノミごっこだぁー!」
「えっと、嘉琳さん、逆クマノミごっこはいいんで、今だけしゃもじ連合に入ってくれませんか。人数で負けます」
「そもそも学校から許可下りるの?もし下りたら、この学校も落ちたものね」
「阿智原さんの言う通りです!私たちに、社会的に見て合宿をする必要はありません!」
「天稲ちゃんには自我が無いんか」
「あんたたち、よくそれで分裂しないわね」
「音楽性の違いはないですからね」
「どうする、颯理」
「時雨さんはー、どうせ口だけですけど、そっちは……」
颯理は桜歌のほうに愁眉を向けた。って、誰が口だけじゃい。まあでも、こう本質を見抜かれるまでの関係になったと考えれば、まあ悪くないか。
「まあ、私も予定が被らなければ行ってあげるから。というか、私の欲望も下塗りされてるし」
「うーん、ですけど、全員が揃ってたほうがいいかなーって。こういうの、亀裂に繋がりそうじゃないですか?」
「あら、まるで誰かに人生2周目であることを気付いてほしそうにしてるみたい」
「意味わかりませんよ、先輩」
「あんたが言うかいっ」
「そもそもぉー、部活として合宿をやるのはぁ、申請とかめんどぉーだからぁ、あんまりおすすめしないよぉー」
「まあねー。まずは生徒会たる私たちを倒さないといけないし」
「受けて立ちましょう」
「やっぱり時雨さんは、和南城先輩に親でも殺されたんですか……?」
「目の敵にしたら、生活が豊かになるかなーって、ただただそれだけよ」
「私がちょちょいと本気出したら、時雨のたたきになるよ?」
「さあ一体、火炙りされるのか、ぎたぎたに引き裂かれるのか。どっちだろう、気になるなぁっ!」
どっちかはマシであってほしかったが、どんなに捻くれてもどっちも嫌なことは変わってくれなかった。
「そんなのはどうでもいいですけど、それなら、私の家でお泊り会しませんか?」
「颯理にとって私の死に様はどうでもいいんだ……」
「死に様はどうでもいいですよ。死なれたら困りますが」
「いぃーやぁー、颯理の家、一度行ってみたかったんだよねぇ。ジャングルを抜けて、山を登った先の湖のほとりに、シナモンの森があって、その中に黄金でできた館があるんでしょ」
「そうですよ。ですから、飢えて共食いでもしててください」
「おーごんきょぉーだねぇ。私も行ったことあるよぉー」
「そんなはずありません!嘘つかないでください!」
「あっ、ごめんなさい……」
ちゃんと謝れて偉い。しかし後輩に謝らされて、それでいいのか?常葉には、蒔希の先輩が板についた感じを見習ってほしいぐらいだ。
「颯理さえ良ければ、えっと、この4人でお泊り会するか」
「日程はおいおい聞きますね。2人もそれでいいですか?」
「はい!颯理の家で練習するとして、近所迷惑になりませんか!」
「音量絞ればいいでしょ」
「私はドラムを叩きます!」
「持ってくるつもりですか!?」
持ってくるかどうかは、その時の天稲の気分次第ということになったので、その不確定要素も楽しみに入れておこう。お泊り会とかいう、これ以上にないイベントが、輝かしき夏休みの予定第一号となってくれて、ほくほくしながら家に帰った。
こんなやかましい水の中でも、桜歌は飄々とハードカバーの本を読んでいた。もちろん、さすが、とそれを褒めることはできなかった。嘉琳も同じタイミングで桜歌に視線を向けていたようで、私はそういう素晴らしい心構えが持てたことを誇りに思うことで、とりあえずは不干渉の姿勢をとることにした。
一方、颯理は浮足立ちながら、生徒会の業務と言って、常葉とどこかへ向かっていった。
「いや、ほんとに、多々良さんには悪いけど、勝負は文化祭までお預けってことで……。わざとじゃないよ?これはただの一生の不覚……」
「えっと、そもそも知らなかったんですよねぇ。まあ、いつでもかかってきなさいな。魔王は逃げないのだ」
「時雨、予定管理能力低すぎじゃない?」
「はーい、馬鹿と時雨と天才の言うことは鵜呑みにしたらダメですぅーっ。テストの日程、美容院の予約、親の誕生日、忘れちゃいけないことは、ぜーったい落とさないので」
「何だこいつ、たたきにしちゃってくださいよ、先輩」
「多々良さんが寿命でくたばったら考えるわ。そいじゃ、そろそろ文化祭の準備で、生徒会も動かないといけない時期だから。私も行ってくる~」
どうか蒔希に私の死が知られる前に、焼きを入れてもらえるよう、こればかりは祈るしかない。横を向いたら嘉琳が、やれやれという尖った手書き文字を、空気中に書き込みたくなるような表情をしていた。




