指示薬
ストレスが与えられると、苦みをあまり感じなくなり、逆に甘みをよく感じるようになるらしい。ということは、本来人払い用の、とにかく渋いブレンドを時雨に飲ませれば、彼女が悩んでいるかどうかの、判別法になると気付きを得てしまった。
今日も時雨が平然とした顔で登校してきた。よくよく観察すると、目の下にクマがあるし、元気は足りてなさそうだけど、また私のあずかり知らぬところで、何かが解決してるみたいだ……。あっ、単純にテストが不安だっただけかもしれない。
「はい、今日は特製ブレンドですよ」
「何だかんだ言って、きちんと淹れてもらった紅茶は美味しいから、自販機で売ってるやつはもう紅茶だと思えなくなった今日この頃」
「そう、紅茶の魅力に気付いてもらえたなら、この慈善事業の甲斐もあるわね」
前と同じ指使い、息遣い、目線、一回に口に含む量、それら全てが見慣れたもので、私はこれ程にない安心感を得た。ティーカップもソーサーも、時雨専用のいつもの代物。しかし、何もかもが一緒かと言えばそうではない。たった一つの未知が滴下されている。彼女が飲んでいるのは、紛れもなく “指示薬” なのだ。
当然、自分でも試飲している。一口飲んだだけで、顔をゆがませたくなる、恐ろしい一杯だった。悪い気を取り込みたくもないし、可及的速やかにシンクへ捨てた。あぁ、そんなものを時雨に飲ませるのは、どう考えたって罰当たりじゃん!
「ダメっ、そんな飲まなくていいからっ!」
「んあっ?どうした、間違って毒でも入れた?」
「それ、あんまり美味しくないでしょ……」
「何だろう、ブラックコーヒーって、舌の上でころころ転がすと涙が出てくるけど、抗えない快感があるじゃない?あんな感じで、朝にはぴったりだと思うよ」
時雨は口の中に残る違和感を流し去ろうと、またその指示薬を口にした。
「無理しないで、何事も」
「あー、徹夜は良くない。あと、渋みには抗わないほうがいいっ」
そう言いながら、時雨は水筒を取り出して、口の中を洗浄した。やっぱり痩せ我慢をしてたんじゃん……。
「ごめんなさ……、ちょっと手元が狂ってしまったかも」
「最初はいけるかなーって調子乗ったんだけど、どうにも後引くタンニンがいただけなかった」
「怒ってるよね、あーっ、今度、とっても美味しいクッキーでもプレゼントするからっ。そう、連日行列ができて、中々入手できないやつ!」
「そんなことでは、怒らないけど。さすがにもう一回はいいかな」
少しでも時雨が語気を強めると、草食動物のように怯えてしまう。謝られることにさえ呆れた感じに、そっと俯くことしかできなかった。
いやいや、それより、これは劇薬に反応したと判定していいのか、重要なのはそこだ。……進まなければ、狡猾な手段を用いても、皎潔な手段を捻りだしても、何も解決できないのは明らか。聞かないと、全てを洗いざらい言ってくれなきゃ、何もわからないから。
「あのね時雨ちゃん。この紅茶、元気な人が飲むと、苦汁をなめることになって、逆にストレスで禿げそうな人が飲むと、あんまり苦くないって言うやつで。最近様子が、ちょっぴり不安定だったから……。ごめんなさいっ」
「うーん、もう暗い話はごめんなのよ。私、光属性だからさ。Zマシンみたいに蠱惑的な光を放つタイプの」
「ちがっ、そうじゃなくて、だって夜更かししてたってことは、何か考え事してたりしたのかなーって」
「まあ、風情があっていいと思うよ」
時雨は私を嘲るように、自信満々にそう言った。目を合わせにきても、明後日の方向を向かれても、ドキドキしてしまう。
「それってどういう……」
「渋かったよっ!正直。でも、安全と味が担保された、大量生産食品に慣れきってしまった自分への警鐘だと受け止めるさ。これでいい?」
「えっと、とにかく、本当に、何も、何もないんだねっ」
「嘘2割でいいなら、夏休みの過ごし方に困ってる」
「それは、確かに、テストも終わったし、もう私たちを阻むものはいないわね」
「そう。朝、冷蔵庫にかかってるカレンダーを見て、私は思うのです。全然予定ないなって」
「まあ、休みが始まるまで1週間はあるし、いつの間にか埋まってそうだけどねー」
「初心者かー?夏休み何回目?自分から動かないとね、全然暇。夏休み最終日に課題をやるなんて、夢のまた夢よ。これは、もっと友達が多かった時代からそうだから。逃れられないカルマなのかもねー」
「そうなんだ……。ちなみに私は、旅に出る計画をこねている最中。どう?旅に挑戦してみるのは」
「りょこーじゃなくて旅とは、これまた大きく出たね。私は絶対嫌だけど。どこ行くつもりなの?」
「それが、まだ漠然としてて。何かパワーがたくさん貰える、ご利益のある場所に行きたいんだけど……」
「この世に一択しかないじゃん。お遍路でしょ。八十八か所を巡るやつ」
「おー、それは名案かも。少しー、考えてみるね」
「他人事だから全然過酷なものを、か弱い乙女に勧める時雨ちゃんなのであった」
「まあまあ、救いを得るために、手段はあまり選べない、というか選ぶつもりもないから」
「なぁに、そんなに成就させたい恋でもあるのー?」
気が付けば、私の相談になっていた。時雨は私の弱点を的確に突いて、いい気になっている。あぁ、ただからかいたいだけの笑顔は、あまりに劇薬すぎる。まだ彼女を見捨てなくてもいいか……。




