俎上の魚
まずは雪環を家に到着し、彼女を無事に送り届けた。途端に広々として、人肌を感じられなくなって、少し切ない気持ちになった。
「今日、七夕だけど、曇ってて天の川みられないね」
時雨は窓に腕をついて、かっこつけてそう言った。
「別に夏の間ならいつでも見られるでしょ。というか、人工の光のせいで碌に見えないし」
「じゃあ山行く?」
「私、インドア派」
「ですよねぇ……」
「あ、嘉琳も疲れてない?」
「え?まあ、移動ばっかりの、弾丸日程だったからねぇ。土日はゆっくり休もうかな」
「膝、というより太ももをどうぞ?寝っ転がりなさい」
時雨は自分の太ももを叩いて、私に頭を載せるよう、ほぼほぼ要求をした。ここから私の家まで、そんなに時間かからないだろうに、今から寝ろというのか。
「いいからーっ、遠慮しないでーっ」
時雨は強引に手繰り寄せたので、私はもう彼女の思惑通りにならざるを得なかった。身が引き締まる思い……、全然落ち着かない。
「あのっ、『かかったな、一瞬で切り落としてやる』とか思ってませんよねっ!」
「ふん、俎上の魚ね」
「ひいっ」
「いい気味だわーっ」
「ひゃぅ」
「ちょっと、ただ車が揺れてるだけなのに、変な声上げないで」
時雨の手が、常時私の頭をロックオンしている。絶対に起こさせないという気概を感じる。時雨の顔を見ようにも、頭を動かしただけで、首を切り落とされるかもしれないので、ひたすら運転席の後ろの布を見つめていた。
時間の感覚も麻痺していた。遠くの空はすっかり赤く、信号がはっきりとした青になる。一斉に動き始めるトラックの音。そしてこのすっからかんな駐車場。車から降りると、そこはミヤコワスレであった。
しっかり忘れていたが、颯理にしつこくパーティーに来るよう言われていたんだった。まさか時雨にまで協力させるとは。どんだけ私に恥をかかせたいんだ。
「おっと、私、スマホを車の中に忘れてしまったー。先入っててー」
何だか、さっきの雪環みたいに、時雨が隣にいないと不安という感情が芽生えている。どうしてこうも、すこぶる悪い予感がするのだろうか。目を半開きにして、その扉を開けた。




