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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第3話:虹の咲く七夕
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親友①

 花しょうぶは満開のようだが、あいにくの曇天である。とは言っても、まだ梅雨は明けていないわけで、雨の気配がからっきし無い今日は、むしろ運がいいと言えよう。


 嘉琳が最後まで行先を伏せたり、雪環まで動員した割には、と悪魔が囁いた。そう、悪魔が囁いた。私の本心ではない。むしろ、1輪をミクロな視点で見たら、こんなにも心が華やぐものもない。花びらの丸まり具合とか、筋の入り方とかを一通り見終えたら、おしべやめしべを探したくなる。


「やっぱりー、これを見ないと私の誕生日は締まらんのよ。今日は晴れたしねぇ、虹もかかっちゃって」

「嘉琳には何が見えてるんだ……」

「花しょうぶとか、そういう類いの花を英語でアイリスって言うけど、語源はギリシャ神話の虹の女神だから、実質虹が咲いてるのさ」

「いいよーそういう屁理屈、何年前から用意してたの?」

「一昨日からだよっ。そんな長年捏ねてないから」


 一昨日から、決め台詞を考えていたというなら、もう足を向けて寝られない。嘉楓もこれ以上になく瞳を赤らめていた。


 一方、もう雰囲気だけで十分みたいな嘉琳とは違って、雪環はもっと熱心に花を見ていた。平日で人もまばらだからか、彼女が発作を起こしそうな気配もなく、何とか肩の力を抜くことができそうだ。


「見て、ミツバチがいるー。近くで見るとかわいいね」

「何か、すごい楽しそうというか、活力が戻ってきたわね」

「家に籠ってた間、いろいろ考えてたんだけど、いや考えすぎだなーと反省したの。もうどうでもいいやって投げ出さないと、ずっと苦しいまま。時雨ちゃんだってそうでしょ」

「えっ、あぁ、まあそうっ……かもね」


 なかったことにしようとしていた私の愚行に、意味を持たせようとしているのかと思って、否定しようとしたけれど、これが彼女の言う考えすぎなのかなぁ。でもあの表情が、改めてフラッシュバックすると、どうしても目を逸らしたくなってしまった。


 雪環は何に対しても二つ返事を欠かさなかった。身も心も私に服従しているようで、これには脳の働いてはいけない場所が、目覚めたような気がした。


 でも、これを折ったら最悪の結末を迎えるかもしれない。それを言い訳に、雪環を私の認識の中だけを生きる存在にしてしまおうと、やがて努力も苦悩も悪だと言い張って、彼女をステレオタイプな監獄に押し込んでいった。


 当然、ここに来てプライドも何もないので、戒厳令を取り消そうとも考えたが、雪環の苦しそうにしている表情と、壊れた笑顔と、どちらを選ぶかと言われたら、後者のほうが僅差で上回った。


 進めばどんどん瓦解していく。戻れば全てが元通りになるかもしれない。お互いが戻りたいと強く願うことこそが希望だった。けれど、これを無かったことにするのは、どうしても私だけの力ではできなかった。不完全な理性を持つ者の定めとも言うべきか……。


「時雨ちゃん!ハチ、ハチ!」

「んあっ!? 何だー、こいつしつこいっ……!」


 ミツバチだし、まだ一度もハチに刺されたことないし、死ぬことはないだろうが、向こうが体の色で警戒させてくるのなら、それに乗っかってあげるのが、食物連鎖の頂点に立つ種族の礼儀というものだろう。払いのけようとした手を刺されても困るし、もう一目散に逃げた。


「はぁー、写真で見る分には気持ち悪くも何ともないけど、実物はやっぱり怖い……」

「まあでも、こっちに植えてある色違いも見たかったから、ちょうど良かったよー」

「何だか意外な一面を見た気がする。熱心に花を愛でるなんて……?」

「そうかな。特段、お花が好きってわけじゃないけど、いいなぁーとは思うよ」

「位置かな。ゆきっていつも、私たちの後ろにいるイメージがあるから」

「本当はこんな風に、博物館の展示とかお店でもいいけど、もう少しゆっくり見たいって思ってたんだけど……。邪魔したら悪いなと思って、あんまり近付かないようにしてたかも」

「あぁ……、わかるよ、わかるよその気持ち」


「璃宙ちゃんがちょっとね……」

「そう!るりが飽き性なんだよ!あいつ、全然じっとしてられないんだから」


 親友のことを噂されると笑いたくなるやつが、雪環にも到来した。人生で最高の笑顔がこれだったら、もう “無かったこと” にしても人の道を踏み外したことにはならないだろう。


「何か、璃宙ちゃんの愚痴みたいなの、前々からいっぱい抱えてそうだね」

「どうでもいいことだけどねー。ゆきはどうなの?」

「私はそれをひっくるめて、璃宙ちゃんだと思ってるよー」

「逃げたなぁーっ」

「じゃあ代わりに、時雨ちゃんの直してほしいこと言ってあげようか?」


 存外、策士な雪環に、また驚かされるばかりであった。もちろん、谷底からここまで引き揚げてくれた嘉琳と、雪環自身の努力も見過ごせないが、何より私はこの、雪環と繋がれた感触を墓場まで持っていきたい。花しょうぶは、単なる彩りにしか見えなくなっていた。

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