外堀を埋める
「時雨さん、どうしちゃったんですか?」
「さあ……、私にもわからーん」
あの後、LINEでも聞いてみたが、やはり口を割る気配がない。あまりしつこくされると、怒りを爆発させかねないので、これ以上の追及は諦めようとしていたところだった。
「私としても、時雨さんが全然プレゼ……じゃなかった、部活の連絡を返してくれなくて、困ってるんですよ!死活問題ーっ」
「それはいつものことじゃない?」
「まあそうなんですけど、でも、バンドのメンバーが、こんなに落ち込んでいるのに、何もしないわけにはいかないじゃないですか。見てください!報告書を作りました!」
颯理は机の上に、思ったより薄っぺらい紙束を置いた。何とも、黒塗りをしたくなるような書体をしている。とりあえず、ざっと目を通してみた。
「あの、人の会話を盗み聞きしたり、平気でストーカーしてる気がするけど、何すかこれ。お前はこの世界のナレーターか!?」
「そもそも、大事な話をするのに、私の息がかかったミヤコワスレでやるほうが悪いんですよ」
「えぇ……」
「注目してほしいのは、4ページ13行目から。ミヤコワスレを離れた後、時雨さんはまっすぐ家に帰ってるんですよ」
単なる気まぐれだと思ったのだが、その翌日も雪環の家を訪ねてないらしい。別に毎日様子を見に行くことが正義ではないが、それ以前は毎日行っていたらしいので、まあ根拠なしに訝しく思わざるを得ない。
それにしても時雨がしでかしたことが、全て漏れなく、詳らかに記されている。颯理、恐ろしい子……。自分も同じ立場になったら、同じことをされるのだろうか。鳥肌が立った。
「私ができるのはここまでです。正直、二人の会話を盗聴させてもらいましたけど、結局何を望んでいるのか、全くわからなかったんです。嘉琳さんしか、時雨さんの生態全てをわかってあげられないので、頑張ってくださいっ」
「いやぁーなことに、ちょっとわかってしまった気がする。そうだ、ゆきっぺの住所はここでいいの?」
「はい、表札も見ましたし、間違いないと思いますが……」
予想外の援護射撃のおかげで、この問題を解決する糸口を見つけられた気がする。きちんと外堀を固めてから、本人に挑もう。心配なのは、雪環の病状が悪化していて、私に怖気づかないかという点か……。
まず、颯理に時雨を追跡させ、またまっすぐ家に帰ったことを確認してから、私が雪環の元に赴いた。インターフォンを鳴らすと、誰かが階段を下りる音が、うっすら聞こえてくる。
「時雨ちゃ……んじゃない……?」
「よー、今、上がっても平気?」
「えっ、それは……」
「じゃあここでいいや」
私は上がり框に座った。少し話をするだけだし、これで十分である。雪環は階段の一段目に座った。
「あの……、名前って何ていうんでしたっけ……」
「嘉琳だよー」
「あっ、うん、嘉琳ちゃんは、時雨ちゃんの友達なんだよね。じゃあ、私が言いつけを守ってるか、確認しに来たのかな」
言いつけとな?何だか不穏な空気がほとばしった。
「別に時雨に言われて来たわけじゃないよ。ただ……最近、時雨ってここに来た?」
「来てないけど……。でも、時雨ちゃんだって忙しい時はあるよねっ。テスト前らしいし」
「でー、その言いつけとやらは?」
「それは……言いふらしても怒らないかな」
「それは問題ない。私があやつをボコボコにする」
「えぇっ、それはやめてよ!」
「やめてあげたいところなんだけど……。友達に言いつけなんて、普通はしないからなぁ」
経験ないのにしみじみ話すと、雪環は納得してくれた。
「家の外、というか本当は部屋から出ちゃダメって言われた。後は、薬は絶対飲むなって取り上げられたし、勉強もしなくていいって……」
時雨が目を背けたいこと、それは雪環をがんじがらめにしたことだったみたいだ。それでも、何も頑張れなくなっても、深刻にせず、いじらしく呼吸を続けようとする雪環に、何を寄せればいいのかさえわからなかった。
「あの、でも時雨ちゃんは悪くないよ。私が何度も失敗して、その度に多大なご迷惑をおかけしてしまった。少しでも、心配をほどいてあげないと。言われたことぐらいできるんだってこと」
「君は時雨のために、自分を変えようとしてるの?まずは自分のためでしょ。描いた目標を取り下げる必要はないよ。そんな言いつけ、破っちゃいな」
「今度こそ大丈夫って大口叩いて、いつも時雨ちゃんに肩を貸してもらいながら帰るの。どう見ても私が悪いよ……。ねぇ、時雨ちゃん怒ってなかった?」
雪環は身を乗り出して聞いてきた。
「私の予想だけど、きっと慚愧の念に駆られて、家で悶えてるんじゃない?プライド高いから、上手くお姉さんぶれなかったことが、空気になりたいぐらい気に入らなかったんでしょ」
「でも、どうしてこんな人と友達になっちゃったんだろうって、少しは思われたんじゃないかな……」
言葉の通り受け取るなら、その確率も0とは言い切れない。だが、そんなことはどうでもいい。
「君はどうなりたい?例えば学校に行けるようになりたいとか。そこまでいかなくても、まずは厚顔無恥を恐れず、街中歩けるようになりたいとか」
「時雨ちゃんと、友達になりたいっ……」
「それでいいの?」
「だって、それ以外、私が頑張る意味が見つからない。いつも失望させて、苦労させてばかり。少しぐらい笑わせてあげたい。これが、私の本当の気持ち……多分」
「友達なら、そういうことを気にしないでいたくない?」
「気にしないで……?」
「この間迷惑かけたんだから、今回は全面的に尽くせみたいなのって、実質お金の貸し借りと変わらないでしょ。この間迷惑かけたんだから、また迷惑かけちゃうかも~ぐらいが、少なくとも二人にはお似合いじゃないかな」
お互いこれだけ失敗を積み重ねてきた上で、まだ縁を切る気がないのなら、もうこれは足枷にしかならない。雪環は喉に刺さった小骨が取れたように、表情が柔らかく、澄んだものに変わったように思えた。
「色んな友情があるからねぇ。絶対に一線だけは越えさせない関係、馴れ合いを打ち続ける関係、最後には帰ってくる関係。まっ、お好きなのを選べばいいと思うよ。私の一押しはこれだけど」
「時雨ちゃんはどう思ってるかな……」
「うーん、確かめてみたいなら……、あっ、出かける?」
「出かけ……えっ、それは、その……」
「もちろん、私も同行するよー。安心しなさい」
「そうじゃなくて、私、まだ色んなものを怖がっちゃう……」
「いいじゃん。それで時雨の反応をうかがえば。どう、もしかしたら思い出を作れるかもしれないし」
雪環はあまり考え込むこともなく、「わかった」と承諾した。何だかここに来て、これまでの話の中で、雪環の意志が介在していたのかどうか、不安になってきた。なので逆転の発想として、ここで不安を煽るようなことを聞いてみた。
「ちなみに、目的地で私の親戚の小学生と合流するんだけど、ガキは大丈夫?」
「あーっ、年下なら大丈夫だよ。こう言ったら悪いけど、莞日夏ちゃんとそれなりに馴染めたのも、あの子があまりに無垢だったからっていうのも、今思えばあるかもね」
しかし、嘘偽りのない雪環を前にして、私はある邪推を立ててしまった。最初に出会った時から、もちろんたった今も、雪環は私を恐れる素振りを見せていない。ということは、私を年下として認識しているのではないか……?
「帰る前に1個聞いておきたいんだけど、どうして私のことは、そんなにすんなり受け入れてくれたの?」
「えっ、それは……」
「あー、時雨と同じ雰囲気をまとっているから?それとも、指はじきで殺せそうだから?」
「と、年下だと思ったから……」
極めて遺憾……。しかしここで気を確かにしなければ、時雨と同じ轍を踏むことになる。ここは、雪環が元気になって、他の人と変わらない生活を送れるぐらいまで回復するまで、問い詰めるのは待つことにしよう。
「ごめんっ、気を悪くしたなら、謝るからっ」
「もう謝っちゃってるじゃん。見えちゃうんならしょうがないとして、具体的にどこら辺が誘因させたの?」
「見かけ……が一番かな。あっ、でも、とてもしっかり者だと思うし、気配りもできるし、わかんないけど良い人だよねっ」
「そうなっちゃうかぁー……」
やっぱり人は見かけに陽に依存するらしい。でもまあ、雪環が私を信用してくれていたから、今回の収束点が見えてきたわけで、裏を返せば、万人に惹かれる容姿ということで、ここはいったん納得することにしよう。あまり長居していても、家族の方々へ迷惑をかけてしまうので、荒い計画だけ伝えて退散した。




