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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第3話:虹の咲く七夕
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正面突破2

 時雨の背中を偉そうに押してから数日。毎朝、嫌でも顔を合わせていると、悩みを溜め込んでいるのは痛いほど察してしまう。隠そうとしているだけまだマシなのだが、このまま時間に任せきりではいられない。でも何か困っていることはないか、朝の電車の中で聞こうと思っても、結局毎日よもやま話で終わってしまう。


「かぁーりんさんっ」

「生きてて楽しそうでいいなぁ、颯理は」

「なんでそんなにいやみったらしく言うんですか!人生楽しいほうがいいに決まってます」

「そうだけど……。何かいいことあったの?」

「例えば寝癖があんまりついてなかったり」

「それはいいことだね」

「今朝の目玉焼きが、いい塩梅の半熟具合だったり」

「それもいいことだね」

「こういうささやかな幸せでいいんです。大きすぎる幸せは持ちきれませんよ」


 何だか2、30年後にはエッセイを書いて出版してそうだな……。それで、それなりの著名人に帯で推薦してもらえるんだ。


「エッセイ出すなら、帯に私のコメント載せてよ!」

「えっ、何ですか急に……」

 面白い反応をする間もなく、颯理は後ずさりしていった。


「まあエッセイは絶対黒歴史になるので書かないとして、7月7日の放課後、空いてますか?空いてますよね」

「7月7日?これまた絶妙な日を……」

「特別な意味はないんですけど、そう、ミヤコワスレでぱーっとパーティーをするんです。見てくれはあれですけど、中ではもう王族の舞踏会みたいな感じで、おいしいワインが飲み放題!」

「私たち、一回煮沸消毒してからじゃないと飲めないよ?」

「冗談ですよっ。でもこの招待は嘘じゃないですからね。ミヤコワスレに7月7日17時以降、絶対来てくださいよ?」

「えー、私の知らない人は来るの?そこまで社交的じゃないから……」

「そこは問題ありません、たぶん。変なジョークを入れたから、誤解されたかもしれないですが、ただ身内でやりたいなーって、七夕ですし」


 颯理に誕生日を教えた覚えはないし、ぽろっと教えてしまった時雨が、誕生日会を提案するなんてあまりにもらしくないし、ただ偶然パーティーをするだけなのだろうか。まあ七夕だし、特段違和感はない。


 しかし、私には誕生日のルーティンがある。親の実家の近くに、綺麗な花しょうぶを栽培しているところがあって、ちょうど開花時期と重なるので、毎年欠かさず訪れている。今年は諸事情で祖父母の家にいる従姉妹も連れていく約束をしているから、外すわけにはいかないんだけどなぁ。


 珍しく強引な颯理から、何とか逃れられないか試行錯誤していると、横からシャチのスパイホッピングみたいに、磯貝が顔を出してきた。おい、ここ何組だと思ってるんだ。


「俺はさすがに行ってもいいよね。長い付き合いだし」

「待って……、なおさら行く気が失せたぁー」

「酷いなぁ。ライブの時、見事騙されたのに、まだそういうことする?」

「そう言えば、いらしてましたね。嘉琳さんが呼んだんですか?」

「本当は、じかりんがかっこいい演奏でフロア沸かせるって聞いたから、行ったんだけど……。もちろん、笹川さんたちの演奏を貶すつもりはないよ」

「本当に来るとは思わないじゃん。はぁー……」


「えっと、まあこの通りなんで、7月7日放課後、ミヤコワスレに来てくださいね」

「ぜっっっったいやだ、何で行くと思った!?」


 私は選択肢を一つ唾棄した。磯貝の息がかかっているとあらば、断固としてそのパーティーには参加しない。磯貝も颯理も、揃いも揃ってやれやれモードだが、構うもんか。ルーティンのほうが大切に決まってる。


「思わぬ誤算……。まさか磯貝さんと繋がりがあるとは……」


 そう颯理がこぼした。落武者のように磯貝が去っていく。不覚にも私の良心が揺さぶられた。


 まあまあ、今は時雨の心配をしてあげよう。放課後にでも二人で話をしないかってLINEでも……、何か送られてきた側は身構えてしまわないか?何度か推敲した挙句、果たし状を突き付けることになってしまった。


「いや、教室の前で出待ちしてれば良かったんじゃないの?」

「こっちのクラスのほうが終わるの遅いんだから、走って帰っちゃう時雨に追いつけないじゃん」

「それは走らないと間に合わないダイヤを組んでるJRに言ってよ!どうしてこんなに私を駆り立てるの!?」

「駆り立ててるわけじゃないだろ……」


「で、こんなミヤコワスレで決闘する気?」

「血糖値ー?そうだよ、こうやって何にも邪魔されず、ケーキを食べられるのは若いうちだけ。年を取るとまず、血糖値とか、コレステロール値が大変なことになって、気軽に脂肪と糖を食べられなくなるの。でもその後が酷くて、次はそういう脂っこいものが食べられなくなっていくのよねー。そのくせ、皮下脂肪は一向に減らない」

「あー、苦労されてるんですね……」

「ちょいちょい、これは全部同級生と夫の話よ。私は全然、体質が違うのかな」


 ミヤコワスレのこの人は、確か齢40って誰かが言っていた気がするが、とてもそうは見えない。こうやって客が注文したショートケーキのいちごを、自分の口に投げ入れるところとか。


「あーっ、ごめんごめん。ついうっかりー。癖でお客さんのショートケーキのいちごとか、モンブランの和栗とか、食べちゃうんだよね」

「さすがに、お客さん来なくなりますよ?」

「だから、クレームを言わせないように、十倍返ししてるのさ。よっこらせっ」


 ステンレス製ボウル一杯のいちごが出てきた。いちご狩りの時が、人生で最もいちごを食べる瞬間だと思っていたが、その認識は改めないといけないらしい。時雨とマスターと山分けして、何とか食べきった。


「何かすでに満腹なんだけど……」

「で、人並みに察せやができるから、何となく嘉琳が呼び出した訳はわかるけど、何」


 腹が満たされて、勝手に目的も果たされたと勘違いしていた。今にも激しい貧乏ゆすりをかましてきそうな声を聞いて、本題を思い出す。


「あー、困ってたりしないかなぁーって。たぶん、雪環っちのことで、何か上手くいかなかったことがあるんでしょ?」

「その話……、だっ大丈夫だよ。ちょっと結果が出るまで、時間がかかるだけで、何も問題ないって」

「確かに、あの子が無事に復活するには時間がかかるだろうけど。どんなことをしてあげたの?何もしないで傍にいてあげるでも、具体的な社会復帰プランを考えるでも、私は肯定するよ」

「……やっぱり、この話をするのはやめよう。さっさとゆきに会わないといけないし」


 時雨は荷物を手繰り寄せ始めた。ボウルもグラスも空で、彼女を縛り付けるものはもうない。


「待って待って、そんな風にしてる時雨、自分から何か抱えてることをバラしてるようなものだよ!?」

「いいからっ、何とでもできるからっ。お願いだからこのことに金輪際触れないで……。私の頼み、素直に聞き入れてくれるよね」

「なっ何があったんだよ……。余計にかき乱されるじゃん」

「……またあしたね」


 内なる怒りを滲ませながら、時雨はそそくさと帰宅していった。落ち込んでいるというより、何かに苛立って、八つ当たりの一つや二つかましたそうにしてた。短絡的に興味がないもの全てを遠ざけようとしていた。


 でも私にも明かせない胸の内って、一体どれほどの闇を煮詰めたものなのだろうか。それとも、今までの時雨は全部虚偽なのか……?今度は私がとても耐えられない。でもこうやって、考えたくないことから逃げたら、あんな風になってしまうのだろうか。そしたら誰が助けてくれるの……?って、私が時雨を助けなきゃいけないのに。

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