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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第3話:虹の咲く七夕
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正面突破1

 あれだけ深刻な顔をしていたのだから、時雨の憂いはこんなものではないはずだ。それを証明するように、彼女は授業中、時計をしきりに確認するか、ぼんやりと物思いに耽るかを、交互に繰り返していた。


 しかし、時雨にはすでに強大な同業者がついている。遠足の時、私は集合場所でアタッシュケースを何者かに奪われ、その隙に時雨をさらわれた。まるで私が邪魔者であるかのように、洗練された作戦で排斥を試みようとしたのであろう。……だったら、私も心を鬼にできたが、あの子たちがこんな風に考えているとは思えない。自分の体中を血が駆け巡っていることを、思い知らされたこともなさそうだし。せいぜい、足枷が関の山か。


 それでも、学校生活において同じクラスであるということは、大きなアドバンテージである。何とか、己の根幹以外はさらけ出せる良き隣人ぐらいまで至れていると、自分に暗示を重ねがけした。


 それでも恐怖は拭い切れない。邪な腹積もりが見透かされるのが。自然と殺気立ってしまうかもしれないのが。でも時雨は、何かに悲しみ、落ち込み、悩み疲れることができる人。だったら多少、気を遣ってくれるよね。


 帰りのホームルームが終わると同時に時雨は、現役時代の私を彷彿とさせるスタートダッシュで、教室から飛び出そうとした。だがすぐに、近くの机の横にかかっていたカバンに足を取られ、笑いたくもなるような声を漏らしながら、体がみるみる前に倒れていった。


 私が彼女の手をつかめたので、大事にならずに済んだ。時雨は軽く息を払うと、反省せずにまた駆け出そうとしたので、引っ張って牽制してみる。


「そんなに慌てなくても……。一杯飲んでから帰りなよ」

「えー、見てわかるように、今日こそは用事があるの」

「それって、私に言っても平気なこと?」

「まあ。友人のお見舞い、ほら、立派な “用事” でしょ?」


 私の脳内は入試の時よりも活発に動いている。例えば、その友人とやらが難病を抱えていて、容態に一喜一憂しているとすれば辻褄が合うだろうか。でも遠足中に、人からサプライズを受けたからと言って、友人の容態には繋がらない。じゃあ、余計な心配をかけないよう、自分自身が難病を患っていることを隠しているとか……?それでも、遠足中に突然元気になるのはおかしいか……。


 そんなことを考えている場合じゃない。早くしないと、手を振りほどかれてしまう。


「お見舞いなら、時間が厳密に決まってるわけじゃないし、ほら、今淹れるから、座って待ってて」

「世の中には色んな人がいてね。入院生活であっても、1分刻みで行動する人がいるんだよ。世の列車は15秒刻みなんだから、もっと高みを目指してほしいね」

「言い訳そんなに下手で、生きづらさを感じないの?」

「はーあ、今回は譲歩してあげるよ。私も立花さんみたいな淑女になりたいし」


 3か月前に比べたら、まだマイルドな口当たりだし、前とは違うことで悩んでいるのだろうか。何はともあれ、時雨は自席に戻り、私の淹れた紅茶をやけくそ気味に嗜んでくれた。


「その友達は……あれなの?ずっと入院してるの?」

「いやー?ちょっと馬鹿やって、緊急搬送されただけ。命も平気だし、後遺症もなかったけど、心配だから……」

「何だかんだ言って、面倒見よさそうだよね、時雨ちゃん」

「そう見える?……思い返してみたら、そんな気がしてきたわ。頼れる姉御肌ってところあるわ!」

「自慢げに自ら言うことではないんじゃないかな……」


 時雨はそう言った後、すぐに我に返って、ティーカップの中を眺め始めた。


「でもだからと言って、上手くやれるわけじゃないんだよねぇ。頼れても、頼り甲斐があるかは別問題っていうかー」

「何が引っかかってるの?」

「あまり良い言い方じゃないけど、入院してくれたおかげで、私はあの子のことを見つめなおすことができたし、そのことだけを心配しておけば良かった。退院したらそうはいかないよなーって」

「その友達、何か他に問題を抱えてるの?」

「あー、不登校なんだよー。もう長く……世間一般的に見れば大したことないけど、10代のこの時期ということを鑑みたら、それはもう億万劫よ」

「そういうことね……。まあ、本人の意向もあるし、どんなに親しくても外野だし、空回りしない程度に頑張るのが得策じゃない?」

「って、きっとどの高尚な心理カウンセラーも、そう言うだろうけど。一度、最高の味を知っているとね、何が何でもそこに持っていきたいって、執着してしまうものなの。どの口が言うんだって話なんだけど」


 だからこそ、どの高尚な心理カウンセラーもそう言うんだろうなーと思った。まあ、ここで言う高尚な心理カウンセラーとは、素人の妄想だから、本当のところはわからないけど。


「もし時雨ちゃんが、本人を超える勢いで悩んでいたら、本人も無茶し始めるかもしれないよ。そうしたら、どっちも幸せにならないよね」

「そうかなぁ。むしろ私は、本人の無茶を支えてあげようとしてる。これが正しいと思う。止めろって言うの?本人が変わろうとしているのに」

「それは程度の問題だよ。不登校なのに、いきなり学校に行きますー、みたいなのは止めるべきかもしれないし、逆に近所を散歩するぐらいなら、一緒にやってあげるのがいいと思う」

「階段を踏みしめろってのは、わかってるよー。デジタル人間じゃないんだし」


 なぜそこでデジタル人間……?授業でパソコンを使った時は、タイピングが速くて驚いた記憶があるし、機械に特別疎いというわけでも無いだろうに、そもそも文脈に合ってないし。


「まっまあ、そうだよ、雨垂れ石を穿つと言うようにねっ」

「それはそうだけど、何でこんなにもやもやしてるんだろう……」

「先行きが見通せないことは、誰だって恐怖を感じるよ。そういうものだから、割り切って冷静になるしかない」

「はぁー、頭空っぽにして生きてた、1年前に戻りたいわー……」


 しっかり、私の目論見通り、時雨は一杯飲む間に、冷静さを取り戻したように見えた。過去を掘り返して、ノスタルジーに浸って、逃避しているような気もするけど、いつもだったら忙しなく、仕方なく紅茶を飲み干して、足早に退散していたところを、今日は液面に顔を浮かばせて、ティータイムそのものを味わってくれたのだ。紅茶を通じて何かを見つめなおせたのなら、それは善意を抜きにしてとても喜ばしい。


 それにしても時雨だって、あんなに普通の、かわいげのあることで悩むんだなぁ。同じ表情をしているはずなのに、3か月前はとても歪んで見えて、さっきはとてもまっすぐに見えた。どうせ今を生きているんだから、今がまっすぐなら、真実もまっすぐで、純真で、淀んでも歪んでもいないはず。ちょっとぬるすぎる紅茶を片手に、私は称賛の勝算を弾き出していた。

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