布を被っただけの雪だるま
誰からも指摘されなかったけど、やっぱり長靴は子供っぽいのかなぁ。少なくとも足元を気にせずに歩けるというのに、どうして普及しないのか。まっ、そう一人で正当性を確かめようと、誰も聞いちゃいない。私は一人、怯えながら南口を早歩きしていた。
それにしても、颯理から送られてきた「今日は幽霊がたくさん出る日です。速やかに帰宅してください」ってLINE、一体何だったんだろうか。もちろん唾棄して、反骨精神で街を歩いている。何なら嘘の添削をしてあげてもいいぐらいだ。
あてはきちんと持ちながら歩いていると、歩道の真ん中に、和風テイストで私の傘に比べて半径が√2倍の、真っ白な傘が転がっているのを発見した。通行人はみんな、それを避けて平然と過ぎ去っていく。この連綿と続く雨の中、傘を落としていく阿呆がいるのか……。
拾って警察にでも届けようと傘に近付くと、その先にビルの根元で倒れこむ白い人影があるのに気が付いた。このご時世、制服を着た女子高生に話しかけるのが憚られるのはわかるけど、誰が好き好んでビルの狭間で、サディスティックな沛雨に打たれるんだって話だ。溶けないうちに、傘を持って少女の元に駆け寄った。同年代の同性なら、さすがに警察に突き付けられることはないだろう。
「平気?怪我とかしてない?」
「はっ、はひっ」
「あー、怖がらないで。とりあえず、屋根のあるところに行こうか」
自分で立てないほど衰弱していたら、非力な私ではどうしようもなかったが、肩を貸せば、雨をしのげる場所まで移動できる体力は残っていて助かった。どこかの会社のオフィスかもしれないが、まあ軒先をちょっと借りるだけだし、気にしないでいただこう。それより私はタオルを取り出して、さっそく座り込んでしまった白い少女の頭を拭いた。
もし制服を着ただけの雪だるまだったら、と訳の分からないことが、半ば真実のようによぎってしまうぐらい、少女は脆そうで直視できなかった。見るからに寒そうなので、私のカーディガンを被せ、何か温かい飲み物を求めて、辺りを捜索した。
ありがたいことに、温かいミルクティーがまだ自販機にあったので、雪だるま系少女に買って渡した。良かった、毒を入れられてないか、警戒されることなく、慎重に飲んでくれた。少女はペットポトルを両手で大事そうに包んでいる。時雨なら、この時期でもカイロの一つや二つ、持ち歩いていそうなのだが、私はそんなに話の種に富んだ人間じゃないので、これ一本で温まってくれることを祈るしかない。
ふと、少女の中身の入っていなさそうなカバンに目を向けてみた。この青緑の翼に、尾が鮮烈な赤色をしている鳥のキーホルダー、時雨が二つぶら下げてたものと同じじゃないか?何かのキャラクターにしては、あまりに写実的だし、この年代の子たちがこぞってぶら下げるものとも思えない。時雨たちと少女を繋ぐものなのだろうか。慎重なふりして、単刀直入に探りを入れてみることにした。
「あのー、時雨って知ってる……?」
「うん、たぶん……」
「何だろう、あのあんまり特徴のない人」
「あー、言ってることはわかるよ。普通の人って感じ。ごくありふれたムードメーカー」
ミルクティーで喉を潤し、体を温められたおかげか、少しずつ声が線形になっていた。やはり私の読み通り、少女は時雨を知っているみたいだ。莞日夏も同じものを持っていたらしいし、それならば、あの時の昔話中に出てきた登場人物のうちの、一人かもしれない。
「お名前は?」
「小久 雪環」
「私は神宮寺 嘉琳、時雨の取り巻き同士仲良くしよう?」
私は握手を求めた。しかし、衛生意識が高いようで、すっと顎を腕の中に隠した。
「取り巻き……、そうなのかな」
「違うのかな。時雨が莞日夏って子なんかと、よく遊んでたって言ってたから」
「私には、よくわからない……。でも時雨ちゃん、私とか莞日夏ちゃんの話をよそでもしてるんだね」
「まっ、いろいろあって昔話を聞かされたのさ。目から汗を流しながら」
「時雨ちゃんと友達なの?」
「まあ、そうだねぇ」
「その……上手くやってる?」
「え?うーん、たぶんかなり正解を踏んでる。たたらは踏んでないぜっ」
「そう……、やっぱりすごいなぁ。それに比べて私は……冴えてないなぁ」
「まあまあ、そう言わず。自分のことは、低く評価してもいいことないよ」
「数字になるものは全部平均以下。他人の死を目の当たりにしたら、落ち込みっぱなし。もう一回立ち上がれる強さもない。やっぱり私は、楽しい人生を送る資格がないんだ……」
「それは違うんじゃない。どんなに劣ってても、弱くても、今の日本では楽しく生きる権利はあるはずだよ」
「頑張ったら、虫のいい甘い生活が戻ってくると思う?」
「そりゃあ格段に確率は上がるよ」
「ごめんなさい、私、頑張りが足りてなかったかも……」
「そんな、焦燥感に理性を奪われないで。そう、らるげっちょの精神が大切なんだよ。ゆっくりと、最後に変わってればいいわけで」
「ずっとそうやって甘えてた。手をこまねいてた。それじゃダメだから、頑張るって決めたのに、少しも足踏みしたくない。そうだ、あの、私、頑張りますっ」
雪環はそう宣言しながら、壁に手をつきつつ、ゆっくり立ち上がった。
たった一人で負の感情を抑え込もうとしている。定義の曖昧な “頑張る” を糧に、不穏な思考に支配されている。時雨は負の感情、永遠に満たされぬ欲望を自覚し、その存在を許していたから、人様に迷惑をかけて回ったとは言え、自身の破滅は免れた。でも彼女は、都合悪くそういった図太さを持っていない。綺麗事を捨てきれない。
しかし、友達の親友というだけの間柄で、自分色に染めてしまうわけにもいかない。だからと言ってこのまま、この逆オアシスから送り出したくはない……。あぁ、行ってしまう。
「あっありがとうございます。ミルクティーのお金を……」
「あー、そんな細々した金額はいいよー。時雨に請求しておくから」
「えっ、時雨ちゃんを困らせちゃう。私が払うのでっ」
癖で余計なことを言ってしまった。下手に気の遣い合いをするのも不毛なので、おとなしく受け取っておいた。
雪環は駅のほうに向かっていった。しかし、どうもやっぱり心配だ。こっそり後をつけることにした。でも私のほうが先に降りないといけない。意味ないことは重々承知の上で、音が消えるまで電車を見送っていた。
そう言えば時雨、あれ以来きれいさっぱりしているけれど、本当にそう割り切れるものだろうか?まあ、あの「ありがとうは服従の言葉」なんて言い出しそうな時雨が、あの桜の木の下で素直になったのは、確かなる事実か。季節外れの雪明りに絆されてしまったかもしれない。




