謎の図形
窓もない室内にいるとわからないが、雨は強まるばかりだったようで、演奏する高校生以外、ほとんど来なかった。何はともあれ、仕事は終わったので、あとはあいつらの活躍を見守るだけ……忘れてた、磯貝を勘違いさせてたんだった。まっいっか、今日はお客さん少ないし、足しになってもらおう。私は隅のほうで、慎ましく腕を組み、保護者面下げることにした。
蒔希のカリスマ性は、ある範囲においてただものではない。強烈な内輪ノリを見事に使いこなしている。それに、ちょっとだけ洋楽をインターネットで聞きかじった身からすると、演奏も上手く見える。あんまりバランスは取れてないけど。
古の炊飯器のパフォーマンスに見惚れていると、隣にあからさまな不審者がいることに気が付いた。水の滴るレインコートで闇に溶け込み、そのわずかな切れ目から、赤く鋭い瞳と謎の図形をのぞかせている。しかもよく見ると、手を服だかカバンだかの中に突っ込んでいる。ステージと不審者を交互に見ていると、しゃもじ連合の番が回ってきてしまった。
不審者はゆっくりと、前のほうの人の塊に紛れようとしていく。私一人の命で、みんなが救われるのなら……、私は唾を飲み込んで一歩踏み出し、レインコートの裾を掴んだ。すぐに不審者は振り返って、私を睨みつけたかもしれない。
「あっあの……、何をしでかすつもりですかっ」
その不審者は私の微分音とビブラートを聞くや否や、すでに颯理たちが上がっているステージをちらっと見てから、私の口を片手で塞ぎ、壁に押し付けた。もちろんふがふがしてしまう。
「ここは穏便に行きましょう。あまり騒ぐと、颯理たちの迷惑になる」
「ふぁっふぁひ……、はふして……」
「……こっちに来て」
私は不審者に抱えられながら、ステージの死角に追いやられた。何人かの聴衆がこの闇の取引に気が付いているが、誰が見ても怪しむファッションを平気でするような人にとっては、気に障らないらしい。不審者は首まで覆っていた布を下げて、私に素顔を見せた。
「私は颯理の晴れ舞台を見に来ただけ。ここでテロを起こそうとなんてしてないから。現に何も凶器は持ち合わせてない。信用できないというなら、まさぐってもらって構わないけど」
「あっ、でもその恰好は……、人は見かけによらないが、見かけで判断するので……」
「わかった。これはカラコン、実際は赤目じゃないよ。純日本人だから」
「どうしてそんなものを……?あーいや、どんな人もおしゃれする権利があると、おーおっおっ思いますよーっ」
「同じ志を持つ者同士なんだから、もっとフランクに来ていいよ。聞きたいことは他にある?」
この容貌で、よくも同じ志だの、フランクだの言えたものだ、とは口が裂けても言えない。とは言え、想像していたよりも、優しそうな声と表情をしていたので、少しだけ緊張がほどける。
「颯理の晴れ舞台って言ってたけど、もしかしてお母さんだったりしないよね……?」
「そんなに老けて見える?」
「えっ、いやいやー、颯理の母親がめちゃくちゃ若々しいほうに賭けたまでだよ~」
「確かに九音さん、結構若々しいというか、幼いというか……。でももう40だからねぇ。私たちの5/2倍」
「とりあえず、母親ではないんだね。じゃあ伴侶とか?」
「ふっ、面白い奴だ、気に入った。殺すのは最後にしてやる、から黙って颯理たちの雄姿を見届けててくれる?」
「それって……やめて殺さないでっ!」
私はとっさに頭を両手で覆った。蛇に睨まれた蛙のような私を見て、この振り切れない不審者は鼻で笑った。
「叩いてかぶってじゃんけんぽんみたいになってるよ……」




