舞台袖の印象攻防戦
五月雨祭にはもってこいの雨、おととい梅雨入りしたらしく、絶え間なく雨が降っている。私は湿気で広がった愛しい髪を指で回しながら、せわしなく準備している人たちを見守った。時に大きな音がすると、不謹慎ながら少しわくわくしてくる。
「雨すごいんだけど。駅から歩いてたら、急に強くなってきてさー。このありさま」
頭頂部以外、ほぼ全てがびしょ濡れの嘉琳がやってきた。しかし用意周到な奴だ。きちんとタオルを持ってきていやがる。
「あーあ、重役出勤ですか。ごっくろうさまでーす」
「待て待て、開始まであと何時間あると思ってんのさ……」
「もうみんな着いてるよ。初めてだから、やる気がみなぎってるの」
「そもそも私は部外者なんだが?」
「あ!おーい嘉琳ちゃーん!機材トラブルー、ちょっと見てくれなーい?」
「私じゃなくてライブハウスの人に聞けよ!」
蒔希に呼び出されて、嘉琳は裏方に吸い込まれていった。到着してから10秒も経ってないだろうに、嘉琳も変なお節介を焼くからこうなるんだから。それにしても、このアングラな雰囲気が落ち着かない。そう言っておけばいいだろう。実際は、他校のキラキラした軽音部と同じ箱の中にいるのが落ち着かない。
というわけで楽屋に避難してきた。桜歌が相変わらず本を読んでいる。まあ、ギロと喉にはチューニングがいらないのかな。
「何か余裕そうだねぇ。ギロは忘れてきてない?」
「本当にギロを出すと思ってたの?あんなの、奈良県民4号の悪い冗談だったんだけど」
「だってわざわざ買ってたじゃん……」
「ところで、あなたは緊張してる?」
「えー、それなりには?いや、意外にも」
「そんなあなたにいい方法があるよ」
「期待しないで聞いておくね」
「ずばり、本を読むこと」
「それっていつも本を読んでいないと意味ないのでは……」
ということは、案外桜歌も緊張しているのだろうか。桜歌が辞書を引き始めたので、私も自分のスマホに視線を戻すと、楽屋に颯理が慌ただしく入ってきた。健気だなぁ。
「天稲ちゃんいる!?」
「んあっ?いないよ」
「わかりました……」
「あっ、信濃リバーなら……何でもない」
桜歌の含み笑いで、颯理が足を止めて振り返った。
「阿智原さん……?」
「緊張のあまり食べちゃった?」
「なかなか酷いことになってるからっ、あのままにしておいてあげてっ」
そんなに面白いことになっているなら、見に行かない手はない。私も楽屋を出て天稲を捜索することにした。
あっさり見つかった。何やら熱殺蜂球があるなーと思って寄ってみると、天稲にたかっている他校の生徒だった。そのマスコット的な言動から、写真撮影やら、お触りやらをせがまれているらしい。私も1枚写真を撮ったし、頭頂部を軽くチョップしておいた。
「はい、天稲ちゃんの写真」
「私じゃなくて笹川さんに引き渡してきなよ。きっと喜ぶよ」
「私にたんこぶができるよ……」
高鳴る鼓動を電気信号に変えて、いざリハーサル。こういう感じかー、新鮮な体験で、型落ちの感情を抑え込む。本番の頃には、見せびらかす用のテクニックも、ベースの弾き方も、ニュートンの運動方程式も忘れてしまいそうで、胃が痛い。
「はっはっは、めっちゃ緊張しとるやん。ほら、胸を貸してやろうか?」
「常葉先輩ー、壊す用のギターって余りありますかー?」
「おい待て、齢15にして、前科持ちはお先真っ暗だぞ!」
「はぁーい、どうぞぉー」
常葉は期待を顔に、高そうなギターを持ってきた。握るのを拒もうとすると、擦り付けてくる。全力で、振り向かずに、この狭い箱庭の中を走って逃げ惑うことになった。颯理に物凄く白い目で見られた。
舞台袖でつくねんと棒立ちしていると、ゆっくり桜歌が近付いてきて、スカートの裾が揺らいだ。
「どうした?」
「私の歌って上手いの……?」
「さあ、透明感のある音ではあるんじゃない」
今は原石、ボイストレーニングなんかを積み重ねていけば、輝くんじゃないかとも直観的に思ったが、そこまで言える立場にない気がするので、それだけにしておいた。
「そう。私はみんな、嘘とお世辞だけいっちょ前で、本当に大事なものは隠し通そうとするって、決めつけてるから」
「私が何も隠していないとでも?」
「それは……ただ、錆びついて中々開かない錠前の中身を、あなたになら見せやすかったから。と言えば満足する?」
「そういうのは先輩にやってあげたらいいのに」
私は気付かれないよう、一糸も姿勢を変えなかったので、逆に悟られていそうである。自分を偽ることは、本当に奥が深い。ボロが出ないよう、そっと目線を逸らした。なぜかその先に古の炊飯器ご一行がいた。




