ギロ相手に必死になって、悲しくならないの?
「おーっ!かっこいぃーっ!カブトムシっぽいよぉーっ!」
「やらないからね?高かったんだから」
放課後のスタジオ、私は30万のベースを見せびらかした。いくらこの私でも、初回特典ボーナスで、これでもかというぐらい、手垢さえ付かないよう気を配っている。輝かしき未来の私を曇らせないために。
「おととい寿司食べた時も思ったけど……。多々良さんって金銭感覚が麻痺してるんじゃない?いったい親の金を何だと思ってるのさ」
「せっかくのお小遣い、使わないともったいないじゃないですかー。まあ、残った金で……服とか買いたかったですけど、贅沢は言ってられないか。一般家庭だし」
楽器を買うのに同行した蒔希が、昨日と同じあきれた顔で出てきた。お金の価値というのは、年を取るにつれて下がっていくものだ。だから今使い切っておくに越したことはない。
「このままエフェクターなどに手を出したら、いよいよ多々良家は破産すると思います」
「天稲ちゃん……、この子にして、そこまで馬鹿な親なことあるわけないでしょ」
「何だか……時雨さん取っつきにくくなってませんか?」
「えっ、ちょっと、ちょっと待ってよー。私はずっと庶民派だよーっ」
調子に乗りすぎるのも良くない。私は30万のベースを、棺の中に遺体を入れるかのように、ケースへ滑り込ませた。
「碌に練習もせず腕前もないのに、二人前の機材を揃える。私はそういうのに、心惹かれなくもないから安心して」
「うーわ、嫌みったらしいこと言うねぇ」
いつものようにパイプ椅子に座って、本を両手にエクスビジョンを観覧していた桜歌が、独り言のように本音を漂わせた。
「そう思うなら、今からチャックを逆方向に引いて、少しぐらいはベースを弾いたらどうなの」
「まだ教えてもらわないとどうしようもない段階だから、先輩の手があくのを待ってるだけだしーっ。むしろ、そっちこそどうなの……」
桜歌は素早くどこからともなく、ギロを取り出した。何というか、電子回路の抵抗に見えなくもない。
「大小様々、津々浦々のギロを用意したから。これでライブは大盛り上がり間違いなし」
「それって、いわゆる『碌に練習もせず腕前もないのに、二人前の機材を揃える』なのでは?」
「ギロ相手に必死になって、悲しくならないの?」
「本職はボーカルなんじゃ……」
まあインストバンドとして急場と糊口をしのげばいいか。そんなことを考えていると、桜歌の口角がわずかに上がったのが見えた。命の危険を感じて振り返ると、まさかまさかそれがあだとなった。猶予のある険相の嘉琳に、頬を冷たい手で押さえつけられたのであった。
「つべた……」
「さすがに颯理を見習え」
「うっしゃい、家でれんひゅうする予定だったの」
「……嘘だったら?」
「嘘一本呑み込む」
「爪一枚ひっぺがえすが妥当だと思う」
「ちょ、それは、想像するだけでレッドアウトなんだけどー!」
爪を剥がすという拷問は、気軽そうでなおさらたちが悪い。しばらくすると、 “Battering Ram” と書かれた帽子を被っている蒔希が舞い戻ってきたので、私も練習をほんのちょっぴりさせられた。うーん、全てが上手くいかない、この世界は間違っている。どうして私が思った通りの音を出さないのか。どうして蒔希はこんなに、私をなぶりつくすような言動をするのか。




