少女たちの休日
後ろで手持ち無沙汰になっているどちらかの腹が鳴った。このうるさいゲームセンターの中にもかかわらず、颯理と蒔希はまっすぐ桜歌に視線を向けていた。言われてみれば、桜歌が胸の前で腕を組んでいる。これって何か隠し事をしているという意味だったような……。あまりそういうものに左右されて生きるのは、狭苦しいんだけど。
「何」
「えっ、何でもない……です……」
石を投げるような重みのある威圧に、颯理はやられてしまった。
「まあ、そういうわけだし、昼ご飯にしようかー」
「いや、早くギロを買いに行きましょう」
「知ってる?腹の虫を放置すると、足のしびれとか、免疫力の低下とか、貧血とか、味覚障害とか、肌荒れとか、疲労とか、抜け毛とかが起きて、もうそれは大変なことになるかもなんだよ!めしめしーっ」
そう言って蒔希は揚々と筐体から立ち上がった。
「でもそれは、単なる栄養失調ですよね。腹の虫が暴れると言ったら、やはり胃壁ぐらいは貫かないと、名折れではありませんか?」
「どういう指摘よ、天稲ちゃん」
アニサキス向けの啓発をしている天稲に、蒔希が足を止めている。あー、想像してしまって胃が痛い。これから飯なんて食えるか。
私たちはデパートの案内板の前で、どの店に入るかを決めることにした。
「やっぱりー、人間水分の次にタンパク質が多いし、肉食うしかないでしょ」
「中華良くないですか?刀削麺って食べたこと無いんですよねぇー」
「回らない寿司」
桜歌はアニサキスが、おしゃれなスクリーンセーバーみたいに蠢くさまを、思い浮かべてないのか。だからそんなことが言える。絶対寿司は阻止したい。
「いやー、JK4人、回らない寿司、気難しい大将、あつあつホットな玄米茶、いけるかー?」
「自分数え忘れてますよー」
「私が奢ってあげたら、時雨っちは先輩のこと、好きになってくれる?」
「誰すか、そのスラブ系の人」
ふん、第二ボタンまで開けてる、巨乳お姉さんキャラなど、この私が蹴散らしてくれるわ。
「そう言えば、天稲ちゃんに何も聞いてなかったね。何食べたい?」
「食べ物ですか……、柘榴は食べ物ですよね?」
私と颯理は、まず案内板を見返し、その後この場から見える全てを確認してみたが、どこにも柘榴を想起させるものすら見つからない。とっさに柘榴の気配を探してしまったけど、よく考えたら質問からおかしい。柘榴は食べ物以外の何物でもない。柘榴石の方から知識を付けた稀有な人と仮定すれば、理解できないこともないけれど、自分の思案に理解が全く追いついていない。
「うん、ここは円満に、デパ地下で柘榴を買い込んで、そこら辺で貪ろう。これが乙女のランチ」
「ついでにマンゴーとかパイナップルとか花梨とかも、売ってたら丸かじりしよう」
「全部かぶりつけなくないですか……?」
柘榴の皮には毒があるし、マンゴーも皮に触れると肌がかぶれる可能性があるし、パイナップルはどう見ても歯が欠けそうだし、花梨は生食に向かないタイプの果物だし、非常に高度な冗談をさらっと用意するな。
ネットで調べたら、柘榴は時期じゃなかったので、休日のショッピングモールのベンチで、柘榴を懸命に貪らなくてよくなった。丁々発止の大怪獣バトルの末、蒔希の奢りで回らない寿司屋に行くことになった。危なかった……、きちんと自分の食べた分を支払えた。もしここで蒔希にごちそうになっていたら、それを弱みの二度漬けにされてしまう。
腹ごしらえも済んだので、独特のにおいが漂うショッピングモールを散策した。エッセンシャルは不可欠なという意味があるから、と言う理由でエッセンシャルオイルを飲まされそうになったり、全員でお揃いのサングラスを付けて超知的生命体集団に見せようと画策したり、厄介な店員ごっこを実際の服屋でやったり、結構楽しかった。
次のターゲットは、コーヒーのいい香りが染み付く、コーヒー豆がメインのお店であった。おー、わかっていても触りたくなる布製のツタ、これがあるとショッピングモールだなぁと感じる。。
「あー、おいしそうなミックスナッツだわ、これは買うしかなーいねぇ」
蒔希はパッケージの裏などを見て、複数の単語を必死にメモしていた。私はこんな人間でもオーガニックに染まるのだと、ただただ感心していただけだったのだが、颯理が妙に納得している。
「どうした、片手をパーにして、そこに拳を突きつけたそうにして」
「それだと開戦前夜ですよ……」
「言われてみれば……。言葉って難しい」
「あれです、和南城先輩っていつも変な帽子被ってるじゃないですか、ですよ。その文言ってどこから来てるのかなーって思ったら、こうして普段から涙ぐましい努力をしていたんですね」
「変な帽子ねぇ。あれ着けてると、ライブが盛り上がるんだよ」
「にわかに信じがたい……」
「えー、 “Unsung War” とか結構ウケたよー。Unsungってなんや、ライブで歌わないのかーって。まあがっつりボーカルいたけど」
「でも今日は着けてないんですね」
「あれだよー、恥ずかしいから、部活中かライブ中だけ身に着けてる」
それもウケ狙いであってくれたら、どれほど良かっただろうか。
手遅れなことに、境界を越えて、店に足を踏み入れてしまったので、コーヒー豆には興味ないし、私たちも輸入食品を眺めることにした。
「二人とも、コーヒー豆が中心の店なので、豆を見てうっとりするべきではないですか?」
天稲がひょっと現れて、誰にも取り合ってもらえなさそうな提案をした。
「何の生産性もないですよ、それ……」
「生産性ねぇ、じゃあ豆だけに豆知識を披露するのはどう?」
私のくだらない駄洒落によって一行を混乱に陥れてしまった。
「おー!ばっちこーい」
「望むところですわっ、かりんちゃーん。豆といったら蒔くものだからー!」
嘉琳と蒔希が名乗りを上げて盛り上がっている。しかしながら、二人の気迫はそう長く続かなかった。嘉琳も蒔希も、話の種を用意できていないのである。ん……嘉琳?
「どうしてここに嘉琳さんが?」
「普通に用事があってここに来たんだけど、親にお土産買って帰ろうと思ったら、こんなところで油を売ってるなんて……。私も混ぜろーっ」
「ここで売っているのは、コーヒー豆です」
「それはいいけど……。嘉琳ちゃん、 “豆” 知識だったら、持ち合わせてたりしない……?」
「うあー……豆より範囲を絞ったら、絞り出せるかも?」
「じゃあ私が、今ここにあるコーヒー豆のどれかを、親のために買おうと思います。どれがいいかプレゼンしてみてください」
颯理が最良のパスを投げた。
「おー、それならもうブラジル産しかないやろがーい」
「どうして関西弁を……?」
「あれだよ、関西弁でプレゼンすると、訴求力が上がるんだよ」
「どうして和南城先輩の肩を持ったんですか……?時雨さん」
「なにせなにせ、コーヒー豆の生産量が世界一やねーん。うんっ私が知ってるコーヒー豆知識これしかないっ」
「味の話とか産地の話は無いんですか?」
「なんか……とても苦くて深くてコクがあって香り高くて酸味も甘みもあって飲みやすくて……、後なんだろうコーヒーに対する褒め言葉」
「これだから素人はー。いいかい、よく聞いとけよ。カフェオレはフランス語、カフェラテはイタリア語、これは勝ったでしょ」
「それ全くプレゼンになってませんよ」
「あーっ、もうイタリア産でも飲めばいいんじゃないのっ?いやでも、イタリアってコーヒー作ってなさそうだなぁ」
「でもエスプレッソっていう、日本人が満場一致でお洒落だって思うやーつがあるじゃない」
「あれって何が特殊なの?パスタでも入ってるのかな」
「ひどいステレオタイプを見た」
「このままだと埒が明かないなぁ。あっ、ブルーマウンテンって有名ですよねぇ」
「あー、そのブルーマウンテンって、富士山のことなんだよーっ!」
「ジャマイカに富士山はねーよ」
「うおっ、敵には塩を送らせないってか。抜かりないね、嘉琳ちゃん」
「んーじゃあこれは?」
颯理が適当な産地のコーヒー豆を指さした。
「おぉっ、さつーりは中々お目が高いねぇ。このー、スマトラ島産のコーヒー豆はー、そうだなぁ……。何かこうバランスの極みと言いますか……」
「絶対何も分かってないでしょ」
そう、嘉琳は何もわかっていない。私もPOPを指さして指摘した。
「ちょっと、ここに、『苦味とコクが強くて酸味がなく、独特な後味が楽しめる』って書いてあるし、バランスの極みではないんじゃない?」
「ちっくしょう……、ジル・ド・ラ・トゥレット……」
結局、颯理は嘉琳の親が好きな産地のコーヒー豆を買った。
「ところで、時雨はベース買ったの?あー、あとギロ」
「んあーっ、今回ってそういう会じゃん」
「もう遅いし、明日にしようか」
「うわっ、明日も外出しないといけないの……」
「日光に当たると、ビタミンDが皮膚で作られますよ!光合成する植物の気持ちを、味わってみてはいかがですか」
植物に感情があると、天稲は主張したいのか。否、そんなわけない。
「でも明日って曇りでしたよね」
「それが大丈夫なんだな。ビタミンDの合成に必要なのは紫外線、人間は曇っててもばっちり光合成できるぞ!」
「多々良さん、私のギロもついでに買ってきてね。なるべく音のいいやつを頼む」
ギロの音の良し悪しとか、知る由がないんだが……。とりあえず今日は解散となった。歩き疲れたけど、本来の偽りの自分を取り戻せた気がした。それにしても、どうしようこのアロマ、こういうの焚いたことないんだよな……。




