不穏な影
初夏の蒸し暑い土曜日、私は人目もくれず日陰を綱渡りして、糊口をしのいでいた。そうしていると、集合場所に着く頃には、舌も出したい気分になっていた。
「多々良さーん、遅いよ~」
真っ先に蒔希が、私の接近に気が付き、よく通る声で呼びかけた。しかし、いつものヘンテコな帽子を被っていないので、横の颯理たちを見て、初めて私の知り合いだと認識できた。あれがないと、色んなところに目が行って、何か変な気が起きそうである。
「ドッグイヤーの対義語をシグレイヤーにしたいんだけど、どうかな」
不釣り合いな色と大きさの日傘を持っている桜歌は、相変わらずの切れ味であった。
「不測の事態に備えて、多々良さんはもっと余裕を持って家を出るべきです」
特段関わりのなかった天稲からは、正論が飛んできた。とても感情がなくて、まるで誰かに言わされているような……。ボブは訝しんで、天稲の足元を見た。
「まあ……、みんなそーこまで待ってないんで、行きましょうか」
天稲に迫っていると、颯理は手を軽く叩き、意地の悪い言い方でみんなを動かそうとした。
私は約束の時間通りに来たというのに、どうしてこんなに冷血な表情を、揃いも揃って浮かべているのだろうか。私は数多の苦難と挫折で磨かれた鋼の精神で、居直ることにした。
「よく考えてよ。バスとか電車とかが、時刻表の時刻より早く出発してったら、もうそれは大問題でしょ!」
「別に、みんな時雨さんのことを、責めてるわけじゃないんですよ。どうしてこんな空気になってるんですか……!」
「え?私はもう瞋恚が滔々と、泡を立てて波打ってるんだけど」
「それは嘘です。私には、阿智原さんの口輪筋が緩んでいるように見えます」
桜歌は自分の手で口元を触った。
「ここで立ち話してても暑いですし、とりあえず場所を変えませんか?」
「そうだねー。大丈夫だよ、多々良さん、そういうレッテルが貼られるだけだから」
「たまたま電車がこの時間だっただけなのに……」
私は蒔希に背中を叩かれながら、ようやく一行はどこかへ向けて移動し始めた。そして涼しい館内を彷徨っていると、ゲームセンターに来ていた。この騒々しさ、懐かしさを覚え、私は立ち止まっていた。それを訝しむことなく、蒔希は私を店内に押し込んだ。
「もしかして、ゲーセン初めて?」
「違いますよ?嫌となるほど入ってるんで」
「そう、なーら良かった。えっ、何やるのっ」
「あー、あれやりましょうよー。頭文字I」
颯理はレースゲームを指さした。しかし、負けず嫌いが空回りして、そもそも勝負の土俵に立つのはやめておくことにした。土俵は女人禁制だし。
「それなら、私が受けて立とう!先輩として、いいとこ見せてやるーっ」
蒔希はそう勇み立って、ない袖を捲ろうとした。だが、颯理はそれを凌駕する気迫で、筐体に座った。メニュー画面の操作から、もう格の違いを感じさせる。蒔希のほうは厚底の靴なのもあって、ペダル操作がもたついている。
首をかしげようとも、シフトレバーのつまみ方をプロ棋士の駒の打ち方みたいにしようとも、ないクラッチペダルを踏む素振りを見せても、実力差というのは覆ることがなく、颯理相手に蒔希は10連敗を喫した。さすがに衝動が抑えられなくなった蒔希は、溜息なのかぼやきなのかわからない、大きな声を出して両手を挙げた。
「笹川さん、もしかして私がベーシストで、ギター教えられないの、そんなに根に持ってた?こてんぱんにしたいぐらい。ごめんね、古の炊飯器のギタリストが常葉で……」
「えっ、違います、違いますよ!?確かに、和南城先輩は教え方が上手で、時雨さんが羨ましいって、10年後笑い話にしてるかもしれませんが……」
「でもこれでわかった。レディースの総長にならない?どうやら、内部抗争で分裂した片割れが、人材不足で困ってるらしいんだよねぇ」
「いやいやいやいや、今どき時代遅れですって、そんな組織」
「時代なんか一蹴して、それくらいロックに生きたほうが、音楽も上手くいくんじゃない?」
「うんうん、私も原動力はいつもアングラだからねー」
「二人とも、友人を非行に走らせようとして、楽しまないでください!」




