見て見ぬふり
鏡花とはこんなに順風満帆なのに、たまに不吉な想像をしてしまう。プロトコル通りに事を運んでしまったら、もう一度死ぬんじゃないかって。さすがに次はもっと上手くやれるか。人が二度死ぬなど馬鹿馬鹿しい。
「時雨?」
「何」
「いや、おめでとさん。かわいい彼女を侍らせてるらしいじゃん」
「どいつもこいつもその話題ばっかり。嘉琳は冷やかしたりしないでしょうね」
「私はいつだって時雨の味方だよ。誰もが抱える、ベーシック苛立ちをぶつけたりしないって」
しかし、朝一番に出会うのは嘉琳なんだよなぁ。嘉琳は最近、私の所作の機微を、なめまわすように観察してるような気がして、何だか……なぜだかと胸を突かれた気がして、鼓動が早くなる。。
「もう少し詮索してもいい……?やっぱり、時雨の相手って気になるんだよ……」
「んー……」
「お願いっ。当たり障りのないことしか聞かないからっ」
「わかったよっ。でも答えたくないことは、世界の半分をくれようと、何をしてくれようと、絶対教えないからね?」
嘉琳は手を合わせて、雑に一生のお願いを使う人間のように頼み込んできた。私の冷ややかな困り顔が目に入らないのだろうか。そりゃそうか、目を瞑ってるもんね。
「ありがとう、その寛大な御心に感謝しますっ。でー、何から聞こうかなー。まずは馴れ初めからかな」
「そんなものはない」
「初めから仲良かったわけあるかい。幼馴染だったとしても、何かないの?」
「んあーもう、一目惚れだよ一目惚れ」
「おー、じゃあどこに惹かれたの……」
「その質問には答えない」
「えー、当たり障りないよねー」
「はぁ?ていうか、そうやってへらへらするのも辞めてくれない?」
「わかったよ。もう聞かないから……」
「こっちも質問させてもらうけど、何を意図して、わざわざそんな事を朝っぱらから聞いてきたの?」
「それは……純粋な好奇心と言いますか。だって気になるのが、むしろ普通でしょう!?」
「そう。もういい、二度と話しかけないで」
口を滑らせて、とんでもない事を言ってしまった。さすがに取り消したかったけど、口を押えて自省した様をアピールするのは、真実の愛が許さなかった。
いいんだ、嘉琳は鏡花との仲を引き裂こうとしたんだから。嘉琳だけはそんなことをしないって、どこかで思い込んでいたけど、それは都合のいい妄想だった。私の夢に口出ししてくる人間は、片っ端から排除しないと。
私が早歩きで振り切ろうとすると、嘉琳は往生際悪く腕を握って引き留めてくる。こういうことをされると、余計な噂が流れるんだよね。
「どうして、あの子以外のことを、全部かなぐり捨てようとするの……?」
「捨ててなんかないっ!」
レストランで、次の料理が運ばれてきたら、その分のスペースを作るようなものだ。同時に注げる愛情にも限りがある。こんなに論理的な判断に、嘉琳は感情的な反論ばかりしてくる。
「自分がおかしくなってる自覚がないの!?」
「そんなこと、簡単に言わないで!」
「今日の態度で確信したよ。自分の行動に自信があったら、私ほどの友達を見捨てたりしない!」
「知らないよ、勝手に被害妄想を繰り広げてれば?」
嘉琳はこれ以上の武器がないようで、ゆっくり私の腕から力を抜いていく。あまりにも心理的に負担がかかっていたようで、一瞬だけ清々しくなれた。
そう、嘉琳を見放してから、たった数秒だけ。すでに、私の思考は収拾付かなくなっていた。
私が好きだったのは莞日夏であり、それは今も変わらない。では鏡花は、私の中でどういう位置付けなのだろうか。莞日夏の代わり?それとも本当に一目惚れしたの?
あらゆる補正が加わった、この継ぎ接ぎ足しの愛の原理を探れば、碌なことにならない。そこで賢い私は今まで、鏡花に愛情を注ぐという結果だけに焦点を当て、中身を断じて覗かなかった。そうすれば、私は不幸にならないし、この行き場のない想いも慰められると思った。
だけど、そんな絶妙なバランスの上に成り立っている幸福を、嘉琳は壊そうとした。ぐるぐるかき混ぜて、意図的に錯乱させようとした。私の勘は正しかった、嘉琳からは逃げないと、次は私が壊れてしまう。
いやもう、鏡花のことは純粋な目で見られない。私は鏡花に莞日夏を重ねて、灰の中の予定をこなそうとしていたんだ。鼻につく台詞の全てが嘘になる。お終いだ、嘉琳のせいで、私は一生涯報われないし、鏡花は傷付くかもしれない。
「ぽよぽよ~、おひさしぶりです、そんなにいそいでどこ行くの?」
「違法薬物に手を染めて、警察官の点数稼ぎにでもなってあげたほうが、世間のためよ」
「ちょっとちばにゃん、であいがしらに言うことじゃないのーっ」
バンド絡みのことを冷たくあしらっていたら、いつの間にか桜歌からの心象も地に落ちていた。まあ、桜歌の戯言などどうでもいい。嘉琳にせよ雪環にせよ、自分の正義を他人に押し付けるような人間は最低だ。私のように、自分の正義は自分の中だけで完遂するべきなんだ。
立ち止まって損した。無視して鏡花の元へ急ごう。一人で足踏みしていても、壁は越えられない。けれども鏡花と二人なら、きっと答えを見つけられる。そう思うのが、最後の希望だった。
今日は本当に静かな場所に行きたい。鏡花を連れて、静謐な住宅街の奥地へと進んでいると、鏡花は忽然と腰に手を回して、軽くしがみ付いてきた。
「どうしたの?」
「ん……何でも」
「甘えたくなった?」
「そんなんじゃない。待てぐらいできるし」
鏡花の視線の先を血眼になって追い求める。恐らく、庭先で太々しく座っている、鎖に繋がれた飼い犬を警戒したのだろう。まるで嘉琳のように、私たちの絆を疎ましく睥睨していた。
適当に角を曲がっていくと、誰もいない小さな神社を見つけた。公園も併設されているが、子供の気配はまるでない。私たちは、社の土台に寄りかかり、肩を寄せ合った。
「今日は涼しくて過ごしやすいねぇー」
「んー、お腹すいたー」
「いつもそればっかり……。5W1Hが不明な飴ならあるけど、いる?」
「うん!」
私はいつもより多く、鏡花の顔を見つめた。鏡花は何も変わっていないけど、余計なことを考えてしまって、どうしても躊躇してしまう。私は鏡花を鏡花として愛せない。この事実はあまりにも重かった。
鏡花を莞日夏としても貫けば、グングニルを弾く強い覚悟で締め付けておけば、倫理的な問題を残しながらも、鏡花が反旗を翻すまでは、自由にのびのびしていられただろう。でも私は後ろめたさに負けた。一生懸命突き進むことで、曖昧にし続ける、今を最悪にする選択肢を選んだ。
どうしてあの時、背後に注意を払わなかったんだろうとか、見境ない後悔で前が見えなくなる。別に涙ぐんでいるわけではなく、鏡花が私の愛を試しているだけだ。何とも言えない香料の風味が、微かに口の中に広がった。あぁ懐かしい……。こんな日もあったんだよ?諦めきれないじゃん……。
「んーっ、明日も頑張れるー」
「そう、良かった」
「なんか共同作業したい。絵を描いたり料理したり……。時雨は何がしたい?」
「えっ?そうねぇー、かっ、考えとくよ」
まあ無事に、今日も鏡花を見送ることができた。でもなんか、馬鹿みたいに見えなくなるまで手を振るのは辞めておこう……。