強かな陽だまり
「みんな、自分のことばっかり。時雨みたいに、気遣いのできる人って絶滅危惧種だよ」
「いやー私も、蠅は払っちゃうかな……」
「毒を持ってるわけじゃないんだし平気だよー」
「でも鏡花だって、決死の覚悟で追い払ったんでしょ?」
「んーっ、だって気になるんだもん!」
鏡花はそうやって、すぐに頬を膨らませる……気がする。何でもいいけど、言い返せなくなった時の、子供っぽく見せてやり過ごそうという魂胆がかわいい。というか、言動全てが愛しい。
鏡花は、椅子から勢いよく立ち上がると、またいつものように転びそうになる。まあいつものように、私のお腹に突っ込んできて、全く喜びを隠さず、静かにニコニコしている。手を握ってあげると、もっと喜ぶ。
こうやって放課後になったら、鏡花のクラスまで迎えに行って、それから一緒に美術室でだらだら時間を潰し、下校時刻になったら鏡花が帰りのバスに乗るのを見送る。当然あると思っていた毎日をようやく実現できた。幸福度調査を私にしてくれたら、日本の順位向上に貢献できるというのに。
手を繋いで廊下を歩いていると、相変わらず後輩たちに物凄く注目される。最初は憚られたけれど、噂が全身に回ったようで、コソコソする必要なんてない。というか、今さら遠慮すると、不仲になったのではないかという別の噂が立って、人々を混乱に陥れてしまう……悪くないな。
まあむしろ、唾を吐いてくるような人がいれば、誰でも容赦なく叩き潰すつもりだ。私といることで鏡花が不幸になるのは、何よりも避けたい。
「鏡花はさー、平気なの?」
「ん?何がー?」
「こんなに視線を集めて、見世物じゃねーんだぞって思わない?」
「誰にも相手にされないよりはいいっ」
「えー、私以外でもー?」
「それは……ダメかな。時雨がいい……」
今抱きしめてるのは、私を煽ててくれた鏡花へのご褒美であって、これは鏡花のためであって、照れながら私の名前を囁いてくれる鏡花が、あまりにもかわいいから、衝動的に一方的に刹那的に利己的に体が動いてしまったわけではない。これは鏡花との関係をより強固なものにするための、極めて打算的な行動である。そう、人間関係はギブアンドテイク、お世辞でもそれで気を良くしてしまったら、全身全霊で返さなければならない。ほら、鏡花も私の温もりを感じて、あーすっごい満面の笑顔ですよ。
「あら、浜風の噂通りね」
「おー、立花さんではありませんかー」
鏡花と色々やってるのを取り締まるかのように、真朱帆が現れ、仕方なく体だけそっちに向けた。彼女とはクラスが別になったので、もう二度と関わることはないと思っていたが、学校という同じ檻に入っていたので、そんなわけ無かった。
まあ悪いことばかりではなく、茶会にお誘いいただいた。しかしそのために、校庭を挟んで反対側の部活棟に行かないといけないのは面倒だー。
畳の敷かれた茶室に正座すると、出てきたのは茶碗に入った紅茶であった。どうせそんなところだとは思ったが、鏡花は一気に飲み干す私の手元を、横で全身を使って追いかけた。どうやらずっと、真朱帆を警戒しているようである。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「ん……、お先に」
「もしかして、茶道の作法を守ろうとしてる……?」
私も茶碗に手を添えて、彼女の口にゆっくり流し込んだ。何の意味もないけど、というか飲みにくそうだけど、それで鏡花が安心するならそれでいい。紅茶自体はお気に召したようで、お代わりを聞かれると食い気味に首を振った。
「んー?」
「しょうがないなぁ、ほら、火傷しないように気を付けてね」
2杯目が運ばれてくると、鏡花はあざとく頷いた。あーもう、したたかに甘えてくるんだから。私はまた茶碗に手を添えて、鏡花に紅茶を飲ませてあげた。
「私の紅茶で、こんなに破顔してくれる人は初めてかも。ありがとう」
「そうでしょうそうでしょう」
「なんで時雨ちゃんが威張るのよ」
「そりゃあもう、一蓮托生みたいなところありますし」
私は鏡花の華奢な手を手繰り寄せて、自分の膝に載せた。真朱帆の目が笑ってないのも合わさって、相手の親に挨拶してるみたいだ……。
「美味しかったねー。やっぱりあの香りと味だよ」
「んー……」
タダで紅茶を振る舞ってもらっていただけなのに通ぶっていると、鏡花がくすぶっていた。私がそれに気付くと鏡花は、忌憚のない意見というものを、私の顔色をうかがいながら小声で言った。
「また、あそこに紅茶を飲みに行く?美味しかったけど、ちょっと苦手だなぁ……。時雨以外の人と話すの、なんか怖い」
「そうなの?その割には、お代わりしてたけど」
鏡花はまだまだ、思った百倍臆病だったようで、平気でテコピンして睨んできた。
「ごめんって。まあ、私が付いてるから、肩の力を抜いて平気だよ」
本音を包み隠さず言うなら、鏡花にはこうやっていつまでも、私だけに心を開いていてほしい。けれど、鏡花の恋人としては、多少なりとも社交的に成長してほしいし、その手助けもしなくてはならない。人の人生の指針で遊ぶべきではないけど、こんな事にいつまでも悩んでいたい。
肩の力を抜けと言ったのに、鏡花は逆に力を込めて、私の肩を掴み、背伸びしながら唇を求めてきた。まったく、部活棟の2階から見下ろされるかもとか、考えないのかなぁ。さっき飲んだ紅茶の残り香が、鏡花に混ざりながら頭の中に広がって、酔いしれてしまいそうだった。