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思い立ったが淡雪  作者: Ehrenfest Chan
第10話:鏡花水月のイデア
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儚い陽だまり

 今なら、激しく高温の飛沫を飛ばす天ぷら油の気持ちがよくわかる。自分の選択とは言え、私のことが大好きで仕方ない鏡花と、離ればなれになるのは過酷を極めた。


 前と全く同じ手順を踏んでも、失敗することは無数にある。だけど、今回は上手くいくと確信していた。というか、それだけが私にとっての救いだった。それでも、鏡花の残像でも目に入れば、理性を保てる自信がない。


 ここまで、まるで国家が背後で支援するテロのように、周到な計画を立てているかのような語り草だったが、実際は全然そんなことはない。いつまで、二人の気持ちを膨らませ続けるのか決めてないのである。しかし、協力者がいないので、鏡花が寂しがっているかどうかも、確かめようがない。


「時雨、今日の放課後、スタジオに行くの忘れないでよ」

「んあっ!?わわわ私の記憶力をなめてもらっちゃ困りますねぇ。10分休みに単語帳をパラパラめくっただけで、英語の小テスト満点だったんだから」

「そんな方法じゃあ、何も頭に残ってないでしょ。誇らしげに言われても」

「優等生ぶりたいの?根本から変えないと無理でしょー」

「そんなのを、知能のバロメーターにするなって意味だよ!一応自慢しておくけど、私は数学オリンピックで金メダル取ってるからねっ」


 隕石に滅ぼされた恐竜に同情した。地球でいい気になっていたら、ある日突然どうにもならない天誅を食らった彼らと、今の私が重なる。この学校、小川のように、ちょっとペーパーテストができる以上の人間が、そこそこ混ざっているのが恐ろしい。


 軽音の巣窟ほど、呪術的な魔力がたむろする場所もない。そんな所に鏡花が近寄るはずがない。放課後、無機物の中では一番愛くるしいベースを背負って、私は教室を後にした。


 と、慢心ほど、あてにならなくて、身を滅ぼしかねなくて、奇跡を起こすものもない。中央階段を下りようとした時、人目を憚ることもなく、自分の名前を叫びながら、鏡花が突撃してきた。それはもう、周囲の目線は、私たちに釘付けである。


 私は鏡花に押されて、成の二の舞を踏みそうなぐらい強く、ガラスの柵に体を打ち付けた。けれど、痛がってる素振りとか見せている場合ではない。私も鏡花の腰の辺りを、いつもよりぎゅっと抱きしめた……というか、体の力が抜けて、もう寄りかかっていた。


「見つけた、会いたかった……」

「ごめんなさい……悪かったとは思ってるから……」


 用意していた言い訳が全部吹き飛び、空いた心に鏡花の愛が流れ込んでくる。首筋を鏡花の涙がくすぐる。あぁ、鏡花にも愛が芽生えてくれた……。これ以上、私は何も欲したりしない。なぜならこれ以上の幸福など存在しないのだから。


 とは言え、私にも恥じらいというものがあるので、本音はこんなにかわいい鏡花を、タダで見せびらかしてあげる程、私は情け深くないので、足元に落ちたクッキーを拾って、人気のない校舎裏までやって来た。


 もう少し落ち着きたいから、再び抱きしめ合って、お互いの心音でも確かめた。1年前の惨禍を乗り越えて、私たちは再び歩き出せる……。


「鏡花から会いに来てくれるとは、想定してなかったから、過呼吸で死にそうになった」

「ん、突然押しかけて、ごめんなさ……」

「酷いことをしたのは私だよ。ちゃんと説明するから」

「うん……」


 私は鏡花の唇に人差し指を当てて、自分を大きく見せようとした。


「私は鏡花のこと、すごく好きなんだけど、鏡花も同じ夢を見てるか、探りたかったの」

「きっ聞いてくれれば、あの、答えたから……」

「それじゃあダメなの。言葉はいくらでも綺麗に整形できるから。真実の愛のために、手段を選んでられなかった」

「真実……」

「愛のためなら何をしてもいい。翻せば、何があっても鏡花への愛を貫くってこと。いいよね?」

「……どうして、私にそこまで入れ込んだの」

「鏡花が正直で意固地で一生懸命だから。姿態とか口癖とか、そういうのはどうでもいい」


 私がそう言うと、鏡花はいっそう顔を赤くして、粉々になったクッキーを見つめた。


「わざわざ手作りとは……。気に障ることをしちゃったって、自分を責めた?」

「うん……」

「ふふっ、後で美味しく頂くからね」


 思わず吹き出してしまった。前にもこんな動機でお菓子を貰った気がする。味は案外思い出せないものだけど、雰囲気だけははっきりと覚えている。こういうところに、私はいとも容易く惹かれてしまう。


「えぇーっ、ありえない、ありえないよ!」

「まっまあ、お小遣いって家庭の色が一番出るところだから……」

「つまりなもちは、100円玉2枚を握りしめ、駄菓子屋で頭をねじる……みたいな経験をしてないってこと!?この特権階級が!」

「頭はひねるものよ」

「うるさいっ、論点をずらすなぁっ」

「小学生のうちはそれくらいがちょうどいいよ、身の丈に合ってる」

「庶民を小馬鹿にすることだけは抜かりない……」

「いやいや、そこら辺を甘やかされた私が、いったい何度成に頭を下げて、お金貸してもらったと思ってるの」

「天才ちゃんからお金を巻き上げるなもち……。想像しただけで震えが止まらない」

「私への印象、二転三転しすぎでしょ」


 陽菜と芽生が、他愛のない話をしながらこちらに近付いてくる。背負っているベースで隠れていることを祈って、私はそっとキスをかましてから、面倒なバンド会議に向かうことにした。


「ん、また一瞬だけ……」


 私もだいぶ焦らされて、鏡花以外のことがどうでも良くなってきた。バンド会議さえ終われば、私は鏡花と思う存分絡み合える……。

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